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> 新卒採用なんて、企業がお子様学生のために用意してあげた、最後のチャンスなんだよ。 > 新卒採用をなくして学生のケツをひっぱたいたらどうなるか。俺は、以下の事が連鎖的に起きると思う。 http://anond.hatelabo.jp/20100125162149 新卒採用というのは、大量にいる「従順な学生」のためのものなんだろうなあ。その「従順な学生」は、学校教育を通じてつくられる。 日本の強み(というか、オリジナリティ?)というのは、こういう「従順なお子様学生」が大量にいる、ってことなんじゃないのかなあ。順番抜かしせずきちんと並ぶとか。 学校教育も家庭教育も、10年以上をかけて、子どもが持つ「やいば」を徹底的に抜く作業に従事しているから、その子どもが就職する頃には、攻撃力のない、無力化された、ペットのような人材が大量に発生すると。 或いはこうも考えられる。攻撃力のある学生を使える企業が
さて。 はっきりと言いたいことが固まっているわけではないので、エントリを起草することはためらっていたのですが、 どうやら、 trickenさんは雲隠れしちゃったし、 inf.さんは突然現れて10分20分バババッと意見投下してすぐに去っていかれるし、 contractioさんはcontractioさんで、言いたいことをいきなりパッと言うのではなく、「私たちはふだん、何々ということがあります。確 かにそういうことはあります。」みたいな話を延々と語るに近いかたちでの話法を選択されていたり(私にもそういうところがないわけではないが、私とはまた 違った形で相手のリズムを狂わせる話法を氏はお持ちのようだ)、話す(お書きになる)調子が非常にゆっくりなのでなんか調子くるうし、 そんなこんなで、もうこちらとしては、 もうだれを相手として、どのような読者を想定してしゃべりはじめればいいのかワケわかめで、 「も
バイト始めようと思ってる人とか始めてまもない人向けのなんか - G.A.W. なにごとかを教えられたときには「つまり、こういうことですか?」と自分なりに相手に説明してみるといいです。 実際、人と遣り取りしているときは、相手の言ったことを自分の言葉で説明してみる感じで相手に返答することが多い。そこで、一度や二度の遣り取りで次に進めればいいんだけど、それが無理っぽいときがある。 そういうときどうするか、というのはたぶん非常に重要で、たとえば、教えての「どんどん質問してくれ」という言葉の「どんどん」をどこまで信用していいのか、ということ。100回でも200回でも笑顔で教えてくれるのかと。たぶんそこには誤謬と欺瞞があるよね。 数回遣り取りして、意思伝達ができなかったとき、そのときどうするのか、に関する振る舞い方を、おそらく多くの人は、教えてもらってないし、いや、或いは、間違った形で学ぶ機会しか与え
レジの順番守れないおっさんたち - G.A.W. んで、これは俺の主観なんで、ツッコミ満載かもしれないですが、いままで4つくらいの店で店長やってみて、立地って実にさまざまだったんですけど、ぱっと見あきらかに所得低いなーっていう人たちのコンビニでの消費行動って特徴あるんですよ。店の使い分けしないの。一箇所で買うんですね。コンビニみたいに生活に必要なものをひととおり揃ってる店があったりすると、そこに依存する。 これはなんでなのかというのが非常に気になるね。なんでやろ? 低所得者は自分で全部買い物しなくちゃいけないから、少しでも店へ足を運ぶ手間を抑えるために、できるだけ一箇所で買おうとする、とかなのかな? --- ただ、それ読んで「横柄なおっさんにも二種類いる」っていうことをふと思ったので、このエントリを書いてみました。「客と店員」っていうシステムに過剰なものを要求するタイプのおっさんと、「並ぶ
基礎体力ということについて考えている。基礎体力がないと、ちょっと動いただけで疲れてしまう。基礎体力がなくても死にはしないが、あったほうが世界は広がる。 同じ事は基礎体力の比喩的な解釈についても言える。多彩な語学力があれば、海外で書かれた文献を読めるので、世界が広がる。しかし無くても死にはしない。数学的な物の見方も、できなくても死にはしないが、できたほうが世界が広がる。 こう考えてみると、なんでもかんでも基礎体力ということにしてしまえるような気がするが、そうではない。私の言う基礎体力がなにかということを考えてみるに、たぶんそれは、「日々の積み重ねのみがものを言う能力」全般を指しているのだと思う。 数学は積み重ねの学問であるとよく言われるが、体育だって同じ事である。普段から運動していない者がいきなり自転車で日本一周しろと言われてもできないだろう。体育は数学と同じで、積み重ねの体系なのである。
そのうち、ブログの大半がSNS化するという見立てがあるけど、どうだろう。現在、リアルの人間がITを駆使して相互にやりとりするに当たって、最も効率的で効果的で、一番よく使われていると思われる手段は、SNSでもブログでもtwitterでもない。それはメーリングリストである。 SNSやブログやBBSは、わざわざ見にいかなくちゃいけない。twitterも、twitterのクライアントを立ち上げていなくちゃいけない。メーリングリストはそのような手間がほとんどない(携帯の場合はゼロに近い)。 最近のメーリングリストサービスは、携帯アドでもPCアドでもどちらでも使えるので、メンバーそれぞれが少なくとも一方のアドレスを持っていれば使用可能である。現在、50歳以下の人間のなかから、携帯アドもPCアドも持っていない人間を見つけることはたいへんに難しい。 だから、単に離ればなれのメンバーが相互に連絡を取り合うこ
計画性の有無で罪の重さが変わるというのがわからない - ロックンロールに蟀谷を 突発的犯行のほうが「ついうっかり」度が高いという考え方もできるけど、突発的な犯行だからこそ「何の躊躇もなく」行われた犯行だと考えることもできる。そんな拠り所のない理由で刑罰が変わるのが理解できない。 一番納得できないのは、周到に計画練ってたから残忍という考え方。 だって、誰しもあると思うんだ。実際に行動を起こそうなんて思ってなくても、計画だけしてみることで少しでもその願望を満たそうとすることが。 例えば自殺にしたって同じで、死んじゃおーかなーなんて軽い気持ちで、遺書を書き上げて、縄を買ってきて、縛り目つくって、踏み台用意したあたりで、なにやってんだおれはって我にかえることとか、あると思うんだ。あるいはそのまま我にかえることができずにうっかり死んじゃうことだって、あると思うんだ。 「実行」よりも「計画」のほうが、
http://anond.hatelabo.jp/20090703175507 > 比較的冷静に対処出来たのはケンカになったら勝てると思った肉体的(精神的?)優位性があってのことだと思う。負けそう、もしくは同等と思っていたら怒りと恐怖からこちらも暴力を振るい返したかもしれない これは考えさせられる。「どんな理由があろうと、手を出したほうが悪い」は正論だが、一方で、「弱い犬ほどよく吠える、吠えざるを得ない」という、精神安定上の行動原理がある。 公の場で赤の他人に暴力をふるってしまった人間は、単にそれが犯罪であるということ以上に、「結果的に、自分が“弱い”ということを証明した」という点において、辱めを受けたということのほうが、本人にとっては大きい場合があるのではないか。 強い人間と弱い人間が対峙したときに、弱いほうはどうしても精神的に不安定になる。落ち着かないということだ。この落ち着かなさに起
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/06/post_451.html リベラル・アーツについて書いた記事がホッテントリ入りしている。はっきり申し上げて、茶番だなと思う。記事そのものではなく、リベラル・アーツの本義が「商品」として、顧客のお眼鏡にかなうように加工されてゆく「さま」とその「加工品」が茶番だと言うのである。 リベラルアーツの起源がリーダの育成というのは事実なのかもしれない。だが、「リーダの育成」というのは、高校生を対象とした市場においてすでに言い古された、手あかにまみれた、言われてもピンと来ない、すでに「古典」化しかかっている言葉であるような気がしないでもない。 なぜこのように、リベラルアーツの良くも美しい本義が、ことに「彼ら」の手にかかると、「ふぬけ」に映ってしまうのか。その理由は、リベラルアーツの本義が、「社
諏訪さん、お返事ありがとうございます。 社会科学における先行研究の存在意義 - 諏訪耕平の研究メモ ただちょっと以下の箇所の理解に苦しんだので、少し言及させていただこうかと思います。 対象の一部を捨象することで対象について分かった気になるというのは、物理学などに特徴的な発想ですが、女性で物理学科に進む人はとても少ない。対象の一部を捨象する、というものの見方が苦痛なくできるためには、「何々は見ないことにする」みたいな芸当が苦労なくできることが必要です。こういう芸当は、最初から全体が見えていて、全体は全体でしかない、と思っている人には苦痛に感じられます。 「子育てという重要で楽しい営み」という発想そのものが男性中心社会の思想@heis.blog101.fc2.com 「対象の一部を捨象することで対象についてわかった気になる」のはまずいことですが、「捨象した結果残ったものにそもそも興味がある」の
教育再生会議-塾は禁止 - 教育毒本 第3回 規範意識・家族・地域教育再生分科会(第2分科会)議事要旨P.23~ (野依座長) 塾をやめさせて、放課後子供プランをやらせといけない。塾は出来ない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだと思う。 (野依座長) 公教育を再生させる代わりに塾禁止とする。それくらいのメッセージを出していいのではないか。昔できていたことが何故今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。大学も誰でも入れるようになっている。難しくない。塾の商業政策に乗っているのではないか。 (野依委員) 我々のころは、部活もやって、その後、休憩してご飯を食べて、勉強していた。塾も行っていない。 あのさあ、「我々のころは、部活もやって」って、 あんたが部活やってたの50年前の話だろ? このご老人、驚いたことに塾は今でも出来ない子だけが行くと思っているらしい。 普通以上は
注意:以下の文章には不備があります。たぶんあとで追記などのかたちで修正します。以下の文章をあまり真に受けすぎないようにしてください。なおこの但し書きは修正後消します。 アウトライン。 ★全貌を見るために必要なことは何? ★締め切りに追われてばかりいると、いつのまにか、無意味な仕事を延々と繰り返すスパイラルに陥ってしまうかもよ。それでもいいの? ★締め切りに追われないためにはどうすればいいのだろうか ★目的があれば頑張れる? じゃあ人殺しが目的だったらお前は人を殺すのか? ★「私には謝意がありません。」という“誠実な”対応 ★子どもの「なんで勉強しなくちゃいけないの?」に答えてはいけないということと矛盾するのでは? 「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる人間」の取説とその弱点 -ミームの死骸を待ちながら 「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる人間」の特徴 このタイプの人間には幾つかの特徴
長文注意。 とりあえず長文のエッセンスだけを箇条書きするとこんな感じ。 (Q1)子育てという楽しい営みは女性が独占してきたのか? (A1)「子育てという重要で楽しい営み」という発想そのものが男性中心社会の思想 ○全体が見えていない男の利己的な行動が、傍目には利他的な功労者として映ることが有り得る ○利他的な行動を説明する原理は、男と女で違う可能性がある ○男は「支配」することに満足を覚えるのに対し(「ふはははは、世界は私のものだ」)、女は「共感」することに満足感を覚える(「ちょっと奥さん、これ見てみてよー」「ねえ聞いてよ、うちの上司ったらひどいのよ」) ・世界征服が夢である典型的な男性は、本質的に孤独な世界を生きている ・「世界平和」という自己満足と、「世界征服」という自己満足は、根源的には同一の満足感なのではないか ○男性中心社会的な思想に基づく行動は、「傍目には利他的な功労者に映る」こ
なぜ中国は人口が多いのですか? - 教えて!goo 回答者:noname#11159 中国は、過去戦争をする度に人口の均衡を保っていたのです。 (三国志などを読めばよくわかります。一つの戦で幾万の人が死んでいます) ここ最近の歴史では、日本が大虐殺したぐらいですから。 (誤解の無いよう補足しておきますが、これはよくない事ですし心の痛む事です) このように、戦争がなければ増えるのは常識。 「戦争をすることで、結果的に人口を保っていた」と言ったほうがいいだろう。 人口を減らすというのは当事の人々や支配階級にとって、目的ではなく結果なわけだから。 「我が国では人口が増えてきたな。そろそろ人口減らすために戦争でもするか。」ということじゃないということ。 「お前はべつに産んでも産まなくても良かったんだけど、少子化対策のために産んだのさ。」というのがほとんど有り得ないのと同じ理屈。 目的であろうが結果
産業界からの俗流ゆとり批判について - 技術教師ブログ 高専の学生が工学部の学生より優秀で使えるという話はこちらの世界では有名で、というのも普通高校から工学部へ進学しても、普通高校での教育内容は"いかに意味のないシグナルを処理できるか"という「基礎的認知能力」に対応した教育であり、また物理や化学の成績に優れていたとしても、それは科学的理解にしか反映されず、技術的理解には到達しない。簡単な言い方をすると「わかるけどつくれない」若者ばかりができる構造になっているのだ。高専は実践的なモノづくりと知識をスパイラルに高める環境であること、最近は知られていないが進級基準が厳しくなりつつあり確実な定着度が保証されていることなどがあげられる。 「つくる」際に必要とされる知識・技能と、「分かる」際に必要とされるそれらは一致しないということやね。 そういう意味で、「つくる」重視の高専は「分かる」重視の普通高校
あ、そうそう。めっちゃ大事なこと言い忘れてた。前回の記事の続きね。 > ・高校を卒業したあとは数年仕事をしたり、休養したり、徴兵義務を果たしたり、ボランティアをしたりした上で大学進学をするかどうか決める。 休養ができる、ってことはすごい重要。 いま日本に、胸張って休養できる場所が大学くらいしかないんだよね。 いま、大学生のくせにろくに勉強してない奴をとっつかまえて何やってるかって聞いてみると、そりゃ何にもやってないやつもいるだろうけれども、大部分は、自分の好きな何かに打ち込んでるってことが非常に多いように思う。 そーゆーことが社会的に許される場所ってのが、いまのところ、大学くらいしか無い。 世界一周の貧乏旅行とか、業界の人がたくさん棲息してるところへ紛れ込んでしばらく一緒に活動してみるとか、他にもいろいろあると思うけど、そういうことは、高校までではできないし(受験があるし、集団生活を強要さ
「受けてみたフィンランドの教育」実川 真由,実川 元子著 - Kousyoublog 主に真由さんの目から見たフィンランド教育の特徴を箇条書きにすると以下のような感じです。 ・受験がない ・授業料無料 ・塾もない ・校則がない ・高校から単位制 ・全科目自由選択なので、登校時間もバラバラ。授業の間の休み時間は教室は施錠され入ることが出来ない。 ・テスト前は「勉強」しない。その代わり「読む」 ・フィンランドのテストはほとんどが作文(エッセイ) ・日本のテストは暗記だがフィンランドのテストは知識を詰め込み、詰め込んだ知識を元にして自分自身の意見を書くこと ・テストに制限時間が無い ・数学のテストは計算機持込可。計算機を使いこなしながらいかに考えるかに重点を置く ・英語の授業は英語のみを使って行う ・英語の授業では英語の映画、ドラマ、ニュースなどを鑑賞して終わることが多い。 ・20分程度英語のテ
科学者の考え方と勉強の基本 - 考えるのが好きだった 今、広く行われていると思われるようなドリル的な効率重視の学習法で、今後、見込みある学者が生まれるのだろうか。私は危惧する。 それで、このようなことを言うと、必ずや、「勉強は学者を作るために行うと、この人は考えているな」と読み取る人がおられるだろう。その考え方そのものが、学校の勉強をますます歪曲させるのである。 勉強に、科学者のようなプロも素人もない。全てが同じ道を歩むものである。 さて、どんなもんだろうか。 義務教育は工員教育 -勉強を遊びの一つと思えない人たちが教える側に回るとどうなるか@heis.blog101.fc2.com へのanykeyさんによるコメント これは、学校に求められてる事が2つある事から生まれてる弊害に見えますね。 1つは普通にまともな学者を育てるという目的 もう1つは社会人として真面目に会社で仕事ができるように
エライ先生とは誰か、社会学は守るべきか - akehyon-diary 太郎丸博氏がブログに書かれた「阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望」を読んだ。力の入った文章であるし、アンテナでみた範囲だけでも、小谷野敦氏や筒井淳也氏もコメントを書いている。ブックマークもたいへんな数になっているようだ。太郎丸氏の主張を要約すれば、もっと学会発表と学会誌を大切にしようというもので、まさに正論であるし、大筋のところでは異論はない。だが、いくつか細かな違和感もある。 まず、ここで批判の対象とされている「エライ先生」というのが、どんな人を念頭に置かれているのか、つかめそうでつかめない。社会学者でネームヴァリューがあり、著書も多い人と言って思い浮かぶのは見田宗介氏、大澤真幸氏、宮台真司氏といったところだが、それでよいのか、確信は持てない。 私はたとえば、見田「まなざしの地獄」「現代社会の理論」、大澤「虚
宮台真司/東浩紀@シカゴ - 日記&ノート(転叫院) ――いまアメリカなりヨーロッパなりでは、文化集団について語ろうとした場合には、エスニシティなり階級なりのファクターが、「Otaku」や「Highschool girls」や「NEETRondan」のような区切りよりもよっぽど強固であるが、宮台さんなり東さんなりが、「Otaku」や「Highschoolgirls」や「NEET Rondan」のようなカテゴリーを研究対象とするのは何故なのか? 「Otaku」や「Highschoolgirls」や「NEETRondan」にはなんらかの特殊な地位があるのか? また(移民労働者や非正規雇用が増加しつつある)日本においてエスニシティや階級は文化集団としての地位を得つつあるのか?―― これに対する東さん宮台さんの答えは同様であって、「Otaku」や「Highschoolgirls」や「NEETRon
http://anond.hatelabo.jp/20090401235551 いじめにあっていたのも、そういうことの一環だったのかもしれない。母からも、「あなたが周りから浮いてるからよ」「ちゃんと、他の子達と同じにやれないからよ」とさんざん言われていた。 -- 中略 -- …以上、ほか同様な体験のいくつかを、後に学生時代にサークルの面々の前で打ち明けたところ、 「うーん、でも、よくある悪ふざけ、って感じじゃない? みんな子供だったしね」 「それって、実際、いじめなの? ちょっと被害妄想もあるんじゃない?」 「ていうか、お前の方にも問題有ったんじゃないかなあ」 「きみ、ちょっと周り見えてないとこあるし、年の割に中身ガキっぽいからねえ」 「自分のことしか考えられてないというか、客観性がないというか…」 「社会に出たらもっと厳しいんだから。そんな調子じゃ、いつまでも巧くやっていけないし、周りか
08年6月に起きた秋葉原無差別殺傷事件をja.wikipediaで見ると、その犯行動機に「たくさん人を殺せば死刑になれるから」ということが書いてある。犯行の動機が「死刑になりたくて仕方がないから」というのは非常に筋が通っている。犯罪を犯さなくても死刑になれるんなら、わざわざ面倒くさい犯罪など起こさないだろう。でも、刑務所に行って、「ぼくを死刑にしてください。」って言って、「はいそうですか」と聞き入れてくれる刑務官の人はいない。交番に行って、「ぼくを逮捕してください。」って言われて、「はいそうですか」と逮捕してくれるお巡りさんはなかなかいない。 だから、彼らは、しかたなく犯行に及ぶのである。逮捕してもらうために。逮捕されたいがために。 これは、年末になると正月に出る食事目当てでホームレスによる小さな犯罪が増えることとも非常に関連が深い。まあこのケースの場合、「小さな犯罪」なのでそれほど大事に
プライドの高そうな表現 - 蟹亭奇譚 彼の行方は杳として知れない。 「はっきりわからない」ではだめなのか。 ダメな場合がある、ということだと思う。 要件が通じればいい事務的な連絡事項であれば、「はっきり分からない」でもいいと思うが、これが文学作品だったらどうか。「杳として」という言葉を使わなければ表現できないもの、この言葉をつかったほうがより作家自身が伝えたいことを伝えられると判断された場合は、「杳として」という表現を使うことを、許してあげてもいいんじゃないか。 寡聞にして知らない。 辞書には「見聞の狭いこと。主に謙遜の意で用いる。」とあるが、ちっとも謙遜になっていない例である。 謙遜と感じるかどうかはひとえに、その言葉を発する側と受け取る側の関係性の問題である。だから、過剰敬語だと逆に失礼な意味になったりするし、貴様とかお前とか、もともとは尊敬語だったのにいつのまにかぞんざいな言葉になっ
伊豆半島に驚愕の「旅の駅」を見た - G.A.W. 俺の仕事は、上述したように小売業なので、まずもって批判的な視線でこうした施設を見ることが習慣となっています。批判的に見るというのは「どこがまずいのか、まずいとしたらそれはなにが理由なのか」ということであり、「どうあっても批判できない、感心するしかない」という点については、自分の仕事においても大いに参考になる可能性がある、ということでもあります。 つまりですね、ものすごくスレたいやな客ということです。ファミレスとかで便所きたねーと、ほかのレベルが高くても「なんだかなー」という気分になる人は多いと思うのですが、俺にとっては商業施設に入ったときに便所に入るのは、もはや習慣の一部です。便意の有無と関係ない。 ww とはいえ、一般的なお客さんだって、商業施設でちょう感動したりすることってあまりないと思うんですよね。これはバイトの初日研修のときに必ず
メールフォームから送信しようとしたのですが、確認ボタンを押してもいつまでも「Loading...」と出ているだけで送れないのでコメント欄からの送信になってしまいました。 はじめまして、just-sider(ハンドルネーム)と申します。貴ブログを拝見させてもらった結果、私と共通の問題意識を持っていると推測しました。私のホームページを読んでくだされば、より双方が問題解決に近づけるかもしれません。私のホームページは公開して日が浅いですが、閲覧してもらえると助かります。私は理解者を求めています。私の述べている内容がほぼ間違っていないなら広めて欲しいし、私の述べている内容が間違っているなら、その理由を知りたいのす。 > メールフォームから送信しようとしたのですが、確認ボタンを押してもいつまでも「Loading...」と出ているだけで送れないのでコメント欄からの送信になってしまいました。 メールフォー
シナリオ通りの「医療崩壊」 堤晴彦さん(埼玉医科大総合医療センター高度救命救急センター長・教授)救急救命士と医師の対立か。養老氏の「大学にいくとバカになるよ」を思い出した。医者は大学的知識&構えで救護に当たろうとするのに対し救命士は違う角度から事に当たる。そこに対立が発生するように思う。 >「医療は30兆円産業」といわれます。32兆-33兆円の市場が目の前にある。今は、その利益を医師が独占している。財界が食指を伸ばさないわけがないと思いませんか?
「黙っているしかないじゃん」をどうにかしたい - 発声練習 価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれないへのエントリー大学院の教授がクソだと言われる一つの理由でおっしゃっていることは良く分かります。卒論に関する考え方もほぼ賛成です。研究の背景や位置づけ、重要性説明は十数回しております。まあ、別に研究の背景や位置づけなどは百回説明してもかまわないのですが、今年も去年もおととしも、卒論指導で一番困ったのはこの部分なのです。 だから、自分の主張をとりあえず述べて、相手の反論が正しいと思えてから自分は間違っていたと考えれば良いんだよ。 とか言われても、もうなんというか絶対間違える自信がある訳ですよ。「精神的な背骨が育っていないから」ではなくて、自分の意見を言わないのはそもそも研究の目的が理解できてないから。間違うのがわかってて、それを論破されるのがもうほぼ確実に予想出来てるのに、わざわざ自
耕作面積の少ない山村では農地の零細化を防ぐために奇妙な家族制度を作った所があった。長野県下伊那郡天竜村では16-17世紀ごろから長兄だけが結婚して社会生活を営むが他の同胞は他家に養子になったり嫁いだりしない限り結婚も許されず、世間との交際も禁じられ、一生涯戸主のために無報酬で働かされ、男は「おじろく」、女は「おばさ」と呼ばれた。家庭内の地位は戸主の妻子以下で、宗門別帳や戸籍簿には「厄介」と書き込まれていた。かかる人間は家族内でも部落内でも文字通り疎外者で、交際もなく村祭りに出ることもなかった。 村の古老数人の報告 b)数人のおじろくを知っていたが、結婚もせず一生家族のために働いて不平もなかった。子供のころは普通であったが20才過ぎから無愛想な人間になり、その家に用事で行くと奥へ隠れてしまうものもあり、挨拶しても勝手に仕事をしているものもあり、話しかけても返事もしなかった。おじろく同士で交際
想像力 - はてな読み クローズアップ現代 放送記録 2月10日(火)放送 才能を開花させよ ~どう支える発達障害児~ 人とのコミュニケーションがうまくとれず、周りの状況にあわせた行動が苦手な高機能自閉症やアスペルガー症候群。知的な発達に問題ないのに読み書きや計算など、特定の学習だけが極端に苦手な学習障害(LD)。落ち着いて物事に集中することができない注意欠陥多動性障害(ADHD)。これらの知的に遅れのない「発達障害児」は、文部科学省の調査によると、通常学級に在籍する小中学生の約6%にのぼると言われ、いじめの対象になることもあり対策が急がれていた。国は、昨年度から全ての小中学校で発達障害児を支援する学習・生活指導を行うことを定めたが、専門家不足や教師への研修体制などが整わず、全国で模索と混乱が続いている。得意分野では極めて優れた能力を発揮する発達障害の子供達の教育はどうあるべきか?30年以
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