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厄年も明けた今、SIという商売から少し距離を置いて色んなことをやっています。そう言いながら、今週は沖縄に来て要件定義の講習とか、そんな話をやってたりもするんですが。 そうやって離れてみて感じる、SIあるいは受託開発というものについて感じることが色々とあるので、雑多に思いつくままに書いてみます。結論を先に書くと、やれること一杯あるし明るい未来は十分あるよ、です。 さて、そういう立場で世の中を見ると、いやいや結構まだまだ売れる商品がたくさんあります。ネットを挟んだあちら側とこちら側なんて話も一時期流行りましたけど、こちら側、例えば食品なんかでも面白いように売れる商品があります。こういうのは売るのが楽しいです。お客様が目の前で喜んでくれますし。他にも色々と改めて感じ入ることがいっぱいです。そういうのは、やっぱり元の商材がいいんです。良い商品というものについて、私なりに最近パラメータが見えつつあり
マジカ!は業務フローなど、仕事の段取りを表現・整理するためのカード型のツールです。実はマジカ!は賛否両論というか、熱烈支持派と熱烈アンチ派が極端に分かれます。その最大の理由はどちらも「可愛い絵」です。では、この絵が変わるとどういう印象を受けるようになるのでしょうか。 記述する項目は変わってないことに注目してください。いわゆるSI系の方々には、受けが良さそうに感じます。では、続いてマジカ!のマジックたる由縁、その肝である"わたしへカード"と"あなたへカード"は次のようになります。 ついでに、他のマジカ!の各カードも一気に置き換えてみました。 尚、これらは全部ITマジカ!ではなくて普通のお仕事を書くためのマジカ!です。繰り返しになりますが、いずれも記述する項目に差はありません。それが意味するところが何か。エンジニアの方々であれば、すぐにご理解頂けることと思います。 ちなみに、人形をそれでも少し
先日、ITマジカ!をリリースしました。おかげさまで滑り出しは好調です。本当にありがとうございます。さて、ITマジカ!をリリースしたことで、今まで何年間も講演などで業務フローと業務システムの関係についてお伝えしてきたことが絵面として表現できるようになったので、少し触れてみます。 現場の人にとっての関心事は「業務が回るかどうか」ということです。一方でIT化を請け負う開発者サイドは「何を作れば良いか」が関心事になります。さてここで、業務が回るというのは要するに個々人のアクティビティが滞りなく完了するということです。一段上のレイヤーにおいては業務フロー即ち全体の仕事の流れが流れることが大切なのですが、そのレイヤーに対して日常的に責任を持つ人はいないので、個別のタスクが止まらないかどうかが表面上の気になることとなります。 この個別のタスクというのは、上記の図では緑のところに該当してマジカ!で書き出し
本日から新年度に突入しました。というわけで今日は表題「要件定義が誰でも簡単に書ける!」の件。釣りじゃないです。今月中にリリースします。 弊社はマジカジャパンという社名です。マジカとはマジックカードの略で、誰でも業務フローを簡単に書くことが出来るカード形式の紙のツールです。 そして今回、同じような形で業務システムの開発にあたって不可欠な要件定義の内容を、エンジニアでなくても誰でも簡単に書けるツールを作りました。「ITマジカ!」という名前です。 ITマジカ!は、実装のアーキテクチャや言語などには依存しません。WebアプリでもメインフレームでもクラサバでもOKです。最近流行りのクラウドやパッケージの混在した業務でもOKです。既存システムのレガシーマイグレーションにも、手作業のIT化にも適用可能です。 ポイントは「コンピュータくんにどんな仕事をさせるか」という切り口で整理するというものです。あくま
本日、無事に誕生日を迎えて42歳になりました。とはいえ今年は後厄なので、浮かれることなくより一層地味に暮らしたいと考えています。前回ブログを書いてから気がつけば3ヶ月以上経ってますので、ざっと近況など。 2月半ばに、関わっていたプロジェクトにてお勤め完了と相成りまして、時期も時期なので春になるまで小休止でも、などと思っていたら気がつけば3ヶ月も仕事をせずに引きこもっているような状態でした。途中、マジカ!のセミナーなどやったりもしましたが、社会人になって21年の中で、これほど長期に渡って仕事をしてなかった期間はない、というくらいに仕事してませんでした。 ではその間に何をしていたのかというと、jQueryというライブラリと格闘してWebアプリ版のマジカ!(実は2月の福岡で試作版を披露してました)を作ったり、過去の案件の事例を最新版のマジカ!でやり直してみたり、など色々と振り返りをやってました。
昔インターネットがブームとなった96年頃、その技術を社内システムに転用するという観点からイントラネットという言葉が生まれました。そして会社間にも適用するということでエクストラネットという言葉も生まれました。 昨今ではクラウドという言葉が耳目を賑わせています。そして(パブリック)クラウドの技術を社内システムに転用するということでプライベートクラウドという言葉も出てきました。プライベートクラウドという言葉も当初は胡散臭さ満載でしたが、それはイントラネットのときも同様で、まぁ最近ではプライベートクラウドといってもあまり違和感が無くなってしまった気がします。 実はイントラネットという言葉の登場とほぼ同時期に市民権を得て大きく認知されるようになった言葉があります。「スタンドアローン」です。つまりネットワークにつながっていないコンピュータのことです。実際にはインターネットブームの少し前、ネオダマなんて
今年を振り返ると、過去にないほど年初の想定外だらけの一年でした。今年の10大ニュース、とか書きたい気持ちもあるのですが、もう何というか「厄年恐るべし」の一言に集約されそうな感じです。 こういうことは書く方がいいのかどうか迷うのですが、将来につなげるためには書いておいたほうが良いように感じるので少しだけ書いておきます。 敗北宣言します。偉そうに何だかんだと言ってきました。言行不一致にならないように自分なりに色々と取り組んできました。ですが、ひとえに自分自身の力不足・器不足で、残念ながら今年の6月でSI屋さんとして会社を継続していくことが出来なくなりました。第一回戦は負けましたが、いずれ再戦を期したいと考えてはおります。 会社にまつわる全ての責任は私にあります。一切は私の至らなさによるものです。その責任から逃げるつもりはないですし、また逃げようとして逃げ切れるものでもありません。これを踏まえて
書くのが随分と遅くなってしまいましたが、11月9日に無事マジカカンファレンス2009を開催、終了することが出来ました。当日ご来場くださった皆様には厚く御礼申し上げます。また、ご登壇くださった方々にも感謝いたします。さて、補足や雑感などなど色々と書いてみます。 エンドユーザー向け業務分析カード「マジカ!」,新版を2009年末にも無償公開へ 当日、一番反響があったのはやはり大野城市さんの事例発表でした。ボリュームがでかいですね。あと、裏話は結構なるほどと思えることがたくさんありました。マジカ!を書いていると遊んでいるように見える、というのは大きな課題です(笑)。あと、ヌーラボの橋本さんによる発表も同業の方には特に印象強いものになったのではないかと感じています。いずれも門外不出の実物を相当数ご披露頂きまして、当日ご来場くださった方のみが見られるとても貴重なものだったと思っています。これだけでも相
人生というのは何かを得るのと引き替えに何かを諦めることの繰り返しなのかもしれない。そんなことを感じたりしています。 例えば私はプログラミングの経験があります。これは「プログラミングを知らない人の感覚が理解出来ない」ということでもあります。つまり「何も知らないユーザの気持ちがわからない」ということなのかも知れません。 進学、就職、転職、結婚、出産、育児、その他あれやこれや。人生の至る場面で分岐点があり、進める道はいつもひとつだけです。そしてその道を選ぶが故のメリットやデメリットがありますし、コインの裏表のように選ばなかった道にあったであろう可能性と危険性というのも存在するのでしょう。 例えば大きな病いに遭う人もいれば健康に格別気を遣うこともなく人生を送る人もいるでしょう。健康の有り難みというものへの実感にはやはりそれぞれに違いがあるかと思います。あるいはまた例えば子供がいる人には子供がいない
人間誰しも時には誰かに甘えたくなるものではないかと思います。一方で、誰かに甘えたいのであれば、逆に誰かに対して甘えさせてあげる気持ちも必要なのではないかと考えるのです。 他人に甘えられたくなければ、まず自分が他人に決して甘えないという覚悟が必要です。一方的に自分だけが甘えても許されるのは、本当に幼い頃に親に対してだけでしょう。生物として未熟なうちにだけ許されることです。成長に従ってまずは小さな範囲から、そして徐々に大きな責任を背負うに従って、一方的に他人に甘えられるものではなくなっていきます。 ですが一方で、どこまでいっても人間というのはお互いに持ちつ持たれつだと思うのです。他人が全くいないところでは生きていくのは非常に難しいでしょう。責任を背負うというのは、他人の甘えを受け容れるということなのかもしれません。自分では自覚していなくても結果として他人に甘えてしまっていることも多々あるでしょ
賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶと言われたりします。賢者でありたいと願いながらも愚者に過ぎない身としては、せめて経験からの学びくらいは適切でありたいと思ったりしています。 この試練から何を学ぶかとか失敗って何だろうなんてことを過去に書いたりしています。最近もまた色々とあって凹んだりということがあるのですが、苦しい中それでも止まることなく無理矢理にでも進んでいると、あぁそういうことか! という学びを得られることが多いことに気付きます。 何というか、そうやって試練を乗り越え続けていると、もちろん大変ではあるのですが、それでも得たものの貴重さを後に実感したときに、あぁやって良かったなぁと思ったりするのです。その経験がまた新たなチャレンジへと向かわせるのですから、ある種成功は次なる失敗というか試練の種なのかもしれません。 やらなければ未練、やれば試練。試練がないことというのは、やれば出来て当たり前
先週、問題構造分析という手法についてセミナーを行いました。これは今感じている問題を解きほぐして原因を明確にすることで、同じ問題を繰り返さない未来を考えるというものです。一方で、そもそも自分はどんな未来を欲しているのか。今これをやりたいという気持ちはそもそも本当なのか。そういうことを明確にする方法があります。 これらの希望・願望というのは、実は分析をしていくと数少ない幾つかの本質的な自分の「こうなりたい・こうありたい」というものに辿り着きます。逆に言うと、その数少ない幾つかの未来を達成したいと思う自分が、今持っているボキャブラリの中で当座の目標・願望として数多くの欲求を表現しているのです。そのことをきちんと理解していないと目標達成は難しいですし、もっと苦しいのは目標が達成できても自分自身の心が満たされない、つまり「こんなはずじゃなかったのに」と感じてしまう結果に陥ってしまいます。 では「そも
人それぞれの感じ方もあるのでしょうし辞書的な定義もあるのでしょうけど、私としては謙虚と卑屈は違うし、一方で傲慢は卑屈の形を変えたものであるとも感じます。 例えば、ものの言い回し・表現を簡潔明瞭にするのは受け手に対する配慮の発露であって、必ずしも簡潔明瞭な言い回しが適切でないと感じるなら、冗長な言い回しを使うのも当然必要です。そのような配慮もなく闇雲に「簡潔明瞭に!」とこだわるなら、それは結局のところ「相手に伝わらない」という自分の過ちを受け容れずに自分の一方的な思いを押しつけるということであって、それが正に傲慢であると周囲に感じられることにつながるのでしょう。 そもそも「謙虚でありたい」「傲慢に生きよう」と思うのは個々人の勝手ですが、実際のところはその人が謙虚か傲慢か卑屈かなどというのは、周囲の評価で決まります。いくら本人が「俺は傲慢だ」と思っていても周囲がそうは思ってないことも多く、そし
子供の頃であれば親に、会社に入ってからは上司などに、責任を背負ってもらうことがあります。あるいは家を借りたりする場合には保証人という形で誰かに責任を背負ってもらうこともあります。 親が子供の責任を背負うとして、では親が年がら年中子供にべったり張り付いて一挙一投足を監視するわけにはいきません。これは上司が部下に対するのも同様です。ある程度までは任せると言うことを覚悟するしかありません。 そうすると責任を負う側の目の行き届かないところで、子・部下が不始末を起こしてしまうこともあります。その場合に責任者の立場にあれば「俺は知らない・関係ない」とはやはり言えません。自分のせいでないことであっても、責任は取らなければなりません。 そのような立場は辛いし面倒くさいし苦しいものです。ですから多くの人はそれを避けようとします。出来ればそういう立場に就きたくないという考えもわからなくはありません。ですがなれ
最近「たい」の話が続いていますが、もう少し。「業務を改善したい」という人・組織・会社は非常に多いです。ですがそこに「誰の?」ということを付け加えると、途端に何ともあやふやな感じを受けます。 ではみんなが今のままで良いのかというと、それでは不味い・困るということは大抵の人が感じてたりします。だから「周囲を変えたい」とは願います。ですが本音は変わらずに済めばそれに越したことはない。 「変えたい」は「勉強させたい」「使わせたい」になります。馬を水飲み場に連れて行って、無理矢理に水を飲ませたい。でも自分自身がそのような無理強いをされると断固として抵抗します。でも他人には強要したくなってしまう。それが組織の論理に基づいて実施されると、不幸を招くようにも感じるのです。 そういう、ほんとのところを何となく誤魔化しながら進んでいくのは、何というか怖いことだなぁと感じる今日この頃です。 以下蛇足です。 自分
例えば「使いやすい」や「買いやすい」というのは、やはり非常に重要に感じることであり、特に供給側・ベンダ側からするとスペックに直結するので強く意識することになる要素です。 他にも色んな言葉で考えることが出来るのではないかと感じます。「作りやすい」と「作りたい」、「運転しやすい」と「運転したい」、「わかりやすい」と「わかりたい」、などなど。 「たい」を感じてもらえるか。「やすさ」合戦ではない価値というものを考えることが必要な時代なのかなぁと感じたりする今日この頃です。
昔、楽々ERDレッスンという書籍を書きました。データベース設計に関することを書いたものです。その中で、あぁここはもう少し書きようがあったなぁ、と感じて反省している箇所があります。 楽々ERDレッスン (CodeZine BOOKS) 著者:(株)スターロジック 羽生 章洋 販売元:翔泳社 発売日:2006-04-18 おすすめ度: クチコミを見る 状態遷移に関してのところです。例となっているERDを落ち着いて見て頂くと一発でわかるのですが、これ実は状態遷移でも何でもないのです。この例で状態としているものは結局のところイベント系のエンティティでしかありません。要するにプロセスセットを見いだしているだけです。考えが足りなかったなぁ、と反省しています。状態というものの核を把握してなかったのですね、きっと。 ここ数年ワークステートエンジンをフル活用する中で状態というものに向き合ってきました。このあ
社名変更に伴う形で、色んな足回りを思い切って変更しています。その流れの中でめっきりクラウドというかSaaSというかのユーザとなっていたりします。 今のマジカジャパンはサーバ管理者がいない弱小企業の典型となっています。色々と外部の方にもご支援をして頂いてますが、それにしても10年前だとあれこれともっとお金がかかっていたものが、いとも簡単に無料で使えてしまうというのは、改めて驚愕するものがあります。これは弊社のような小さな組織には非常にありがたいものです。 基本的にはGoogle Appsです。メールとカレンダーです。各種のドキュメントも今後は出来るだけApps上で完結させようと思っています。個人的には早くApps Scriptが使いたいです。 WebサイトはJimdoを使っています。Jimdoは有料版にしてありますが、それでも年間1万円程度です。Ajaxで直接編集していけるのはとても便利で、
システム開発・ソフトウェア開発そのものはしばらくお休みというか閉じさせて頂いて、そもそも要件定義以前のところのあれこれについて、何をどうすればいいのかということに真正面から向き合って量稽古をしていくつもりです。 何故、新年度に入った昨日からではなくて今日からなのかというのは諸般の理由がある(7+2=9で株、とか。冗談ですw)のですが、セミナーの募集を前の社名でやってたからというのが大きいです。そういうことも含めて、色んな成り行きもあれば予想外の展開などもあってのことではあるのですが、テクノロジが節目を迎えている今だからこそ、一度システムという落とし処を脇に置いてみて「自分たちの仕事は何がどうなっているのか?」「何をどのように変えていけばいいのか?」ということを考えて頂くことのお手伝いというところに集中して、本当に必要なIT化って何だろうか。逆に言うと不要なIT化って何だろうかということを考
人生には色んな節目があります。私も色々と実感してきたことは多いのですが、その中でも一際大きかったのは12年前のことです。 自分に子供が授かって一番意外だったのは、自分がこんなに子供が好きだったのかということです。会社の同僚や古くからの友人たちがさかんにちゃかしてくれましたが、もう本当に年がら年中鼻の下を伸ばしてた感じです。本当に蝶よ花よという感じで、お姫様として大切にしていました。もっとも最近ではめっきり単なる不思議ちゃんですが(笑)。 そんな娘もこの春から中学生になりました。吹奏楽部に入るという、親からすると意外な展開もあって成長を感じずにはいられません。一方で、この12年の間に自分自身は一体どれくらい成長したのだろうかと思うと、忸怩たる気分を拭いきれません。 子供を授かって子育ての大変さを知ったとき、父親に対して単なる自分の親というのではなく「自分と同じ父親という役目を果たしてきた人生
この頃はとにかくCPUの利用コストが非常に高いため、コンパイルという贅沢を極力減らすためにも机上での作業が多かったのです。3人で1台の端末なんてこともざらだった時代ですし。ですから要件定義(というよりも基本設計とか概要設計と呼ばれていた気がします)の工程というのは、かなり慎重に行われていたように感じます。それが後にウォーターフォールを揶揄するところにつながるのですが、当時は紙+人手のほうが便利な時代だったのです。 その後、ネオダマということが言われてUNIXサーバ+RDBMSが注目されます。そこにさらにWindows3.1+VB2の出現でクラサバへと移行する気運が高まりました。更にDOS/Vの登場とコンパックショック、そして業務の世界ではやはりFM/Vじゃないでしょうか、要するに安価なPCが出てきたタイミングとWindows95の発表とが重なり合って、一気にシステム化の領域が広がっていきま
先日、とある取材を受けました。よくある「起業のきっかけは?」とかそういうものなのですけど、その中のひとつに「失敗したことは?」というのがありました。 例えば順調にいってると思って気を抜いたりすることがありますが、それが後の失敗につながったりということがあると、何が失敗かというと順調であると思ったことにあるのでしょうし、そうすると尚更現状は常に失敗してるから気をつけなきゃという強迫観念に取り憑かれても、それはそれでやむなしという気分でもあります。 何かをやってみてすぐに、ああこれは失敗だったとわかりやすいものだったらいいんですが、実際には結果が出るまで何年もかかることもあったりしますし、後付けで振り返ってみてあれは失敗だったと感じるようなことでも、その当時の地力や周辺事情まで思い返してみるとそういう決断をしたのも仕方ないと感じられたりする一方で、得られたものもあるしなぁとか思うと一概に全否定
先日、とあることから「きかんしゃトーマス」を少し見ていました。劇中でトーマスがハット卿に注意を受けた際に「はぁ〜ぃ」とふてくされた態度を取りました。 振り返ってみると圧倒的多数はやはり親に対してでした。それも親父にそんな態度を取ると余計に面倒なので、そこはもっと違う態度を取ってましたから、殆どが母親に対してということになります。 社会人になってからはそんなになかったとは思うのですが、それでも20代の中頃までは上司などに対して、やはりふてくされた態度を取ったことがあったかもしれないなぁと思ったりもします。 このように振り返ってみて気付きました。ふてくされるというのは、自分のケツを拭いてくれる人に対してなのだなぁ、と。つまり保護者です。上司も自分に対する責任を持ってくれています。ですから注意は聞き入れるべきです。でも気に入らないと、ふてくされる。ましてや親に対しては。 ですが自分で自分の責任を
先日スキルは経験で作られるということを書きました。その中で感謝するというのもスキル・力であり鍛錬で養われるものなのかもしれないということを書きました。同様に幸せであるということについても、ひょっとすると同じかもしれないと感じたりします。 同様に、幸せ慣れしてない人にとっては幸せな状態というのはひょっとすると居心地が悪いのかもしれません。でも、かといって不幸な状態というのはやはり辛くて幸せでありたいと望むのでしょう。周囲からは不幸に見える状態であっても当人が納得していれば幸せな状態だと言えるのでしょうから、自分は不幸だと思うということはやはり現状には不満であるのだろうと。 だけど、ではどういう状態であれば自分は幸せなんだろうかというと、これが実はよくわからないということも多いのではないかと感じるのです。それは結局そういう状態になった絶対量が足りない、即ち経験が足りないからではないかとも思うの
量は質に転化する。私の座右の銘の一つです。スキルの質というのもまた同様に、反復によって鍛えられ自分を信じる土壌になるのだと感じます。 一方で膨大な反復を繰り返しているうちに、スキルとすら呼ぶまでもないくらいに身についていることも多々あります。所謂習慣です。無くて七癖。無意識のうちに体が動いて色んな事が日常的に出来ていたりします。一般的には習慣と思われるもののひとつに「感謝する」というものがあると感じます。この「感謝する」という行為も実はスキルなのではないかと最近思うようになりました。 どういうことかというと、感謝し慣れてないとすんなりと「ありがとう」と言えないですし、他人に対して嫌なことばかりが先に目についてしまい、実は結構色々と感謝すべき事もあるんだよなぁというところに目がいかなくなっている自分に気付いたりするのです。一方で他人に苛立ったり妬み嫉みみたいなものも、反復して鍛えられてしまい
GAE触るならJよりPかな〜と思ってたんですけど、JだとH2というRDBMSをインメモリモードで使えるんですよね。そうすると、適当なタイミングでそれこそcron使うとかして、H2上のデータをBigTableに保管するとかしてもいいのかな、と。そうこう言ってるうちにH2のLinked Tableあたりで対応されちゃいそうな気がします。どうだろ? そうするとGAEJ使う意義生まれるかもしれないですね。Python版のH2とか欲しくなっちゃいますね。 そういえばGoogle Appsの各データもやはりBigTableに格納されているのでしょうか。GDataのAPIであれこれ出来るのですからそうなのだろうと思ったりしていますが、もしそうなのだとすると結構すごいことだなぁと感じたりします。巨大なデータベースをいとも簡単に手軽に扱えるということだと思いますから。 さて、バッチ処理ということを考えると分
以前に業務システムの開発はインハウス(社内での内製)の時代になっていくのではないかというようなことを書きました。 ところがそれを野放図にすると、今度は全体最適というか他の業務との連携などで上手くいかない、野良アプリの蔓延というような事態に陥ってしまう。なので全体的な視点を持ってそれぞれのアプリケーションをインテグレーションすることが重要になる。 とはいうものの、全体的な視点で、となるとどうしても総論的になっちゃって各論の詳細を詰め切れない。そこで現場からすると使い勝手の悪い現実的とは言い難いアプリケーションになってしまう。だから使ってもらえないという風になるので、一番良いのはユーザさん自身が自分でささっと作れるように出来ないかというところに舞い戻るわけです。 このあたり、集中と分散のトレンドの繰り返しにも似たものを感じるのですけど、もっと突き詰めて考えると、今のアプリケーション開発の方法と
書きました。では、どうしてそういう表現が多くなるのかという問題意識につながっていくのですが、先日「あぁ!」と感じる光景を目にしたのです。 ある雨の日に3〜4歳くらいの子を連れたお母さんが、事務所のある昭和通り商店街を歩いていました。子供も傘を差していて当然よたよたした歩き方になります。子供のいる家庭ならご承知の通り、雨の日には水溜まりに入らせないのは重要なことです(笑)。そこで、そのお母さんも当然子供に注意します。 そしてその注意の仕方で「!」と感じたのです。具体的には、「水溜まりに入っちゃ駄目!」とは言うのですが、「水溜まりの横を歩いて!」とは言わないのです。「水溜まりに入らないようにしなきゃ駄目」とも言いました。普通の日本語であり違和感はないのですが、よくよく考えると相当に難易度の高い指示であると感じます。 同様に私どもの仕事においても、例えば「バグを出すな」とは言われますが、では「こ
本日、6月1日をもって41歳になりました。簡単に41歳と言いますが、考えてみると随分と長生きしているようにも思えます。 以前に厄年を飛躍の年にというようなことをここに書いたら「厄年というのは役回りが変わる年」というようなことをお教え頂きました。あぁなるほどなぁ、と。ここ最近、自分の特性についても色々と思い知らされることが続いていて、以前にも書いたようにセルフイメージというのはおよそ他人から見たものとは本当に反対なんだなぁ、と再確認しているところです。 今月末で決算なので、7月の新年度から色々と新しい軸を打ち出していこうと思っておりますが、今年一年は多分何をやっても色々と危ないのだろうとは思うので、地道に進んで行ければいいなぁと思ったりしています。まずはセミナー頑張りますので是非お越しいただければと思います。詳細はこちらです→「目からウロコの営業プロセス改革セミナー」 あと、このブログも色々
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