熱心なリスナーでも熱狂的なファンでもなかった。事実、ライブ盤を一枚だけ持っているほかは、友達やレンタル店から借りてきてハイポジテープに吹き込んだものばかりだった。でも、あの瞬間に流れていたRCサクセションのロックが、ある人との出会いを与えてくれた。忌野清志郎の歌声が僕に与えてくれたんだ。そうだ。あのときあのロックンロールが繋げてくれたロックンロールに僕は、勇気を、もらった。
大学生の僕は歌詞もわからない洋楽ばかり聴いていた。高校のとき僕の母校で布教されていた「洋楽を聴く男=カッコいい男=女の子にモテる男」という間違った教義を敬虔な信者のように信じていたからだ。その教義を広めていた伝道師ボンクラ達(ウンコ数学部員一同)は高校はおろか大学に入っても誰一人としてガールフレンドがいないのに気付かなかったのが今でも悔やまれる。アルバムに挟まっている、アクセル・ローズを真似てバンダナを目深に巻き笑っている僕が写ったポラロイドがその証拠。アクセルのつもりの長髪は宅八郎にしか見えなかった。今でもオッサン化した元ウンコ数学部員を見つけるとその頃の復讐をしている。後ろから忍び足で近づいて膝カックン。スイートリベンジ。
僕は学費を払うのに精一杯で、毎日具も味もないお好み焼き風の物体を食べながらいくつかのバイトを掛け持ちしていた。賑やかなところや華やかなところが苦手だったのと、昼間は講義とピアノの練習があったので、夜勤で、人と接する機会が少なく、それでいて時給がいい警備員のバイトを主にやっていた。大学の長い夏休みが来たときに稼ぎを増やそうとして新たなバイトを追加した。小田急沿線、豪徳寺のレンタルビデオ屋だった。
僕は夕方六時か七時からのシフトで入ることが多かった。日の出ている時間帯には先輩バイトが入ることが多くて新米の僕が入る隙はシフト表のどこにも見当たらなかった。先輩のひとりにケイスケさんという人がいた。当時二十代後半で僕よりも十近く年上だった。ケイスケさんは飄々として穏やかで、爽やかだった。夜勤のバイトで心身共に疲れきっていた僕は、店でケイスケさんと顔を会わせるたびに、どうして俺がこんなに必死に日夜働いているのに、遊ぶ暇もなく働いているのに、笑う余裕もないのに、なんでフリーターのこの人は微笑んでいられるんだ、と苛ついていた。次第に僕は素っ気ない態度をとるようになっていった。それでもケイスケさんは変わらずに「よう!」「おはよー」「夢をもて少年」なんて優しく声を掛けてくれた。僕は適当に受け流していた。暑苦しいんだよ。なんだよ。うっせー。俺は疲れてるんだ。毎晩夜風に吹かれながら帰るとき、僕は、何を言っているかわからない洋楽で耳を塞いだ。
店はラジオや有線放送やCDやテープなど、自分の好きな音楽を流すことが出来た。僕は適当にFMか有線のヒットチャート番組を流していた。ケイスケさんは僕が聴いたことがない、ベストテンやトップテンでは聴くことが出来ないような古いロックを詰め込んだマイテープをよく流していた。夏の終わり。その店を辞める日が来た。珍しく昼のシフトに入っていた僕はRCサクセションのテープを、まだ陽の射し込む明るい店内に流した。VHSのパッケージが駅の階段を同じペースで降りていく人たちのように整列しているなかを名曲たちがゆるやかに泳いでいった。トランジスタ・ラジオ、スローバラード…。
すこし早めにやって来たケイスケさんと会った。そのころ、僕らのあいだになんとなく微妙な空気があって、会話はほぼ皆無になっていた。ケイスケさんは店内に流れている曲をきっかけに、僕に話かけるタイミングを、まるで理科の実験で使う天秤で慎重にはかるようにして「この曲、いいよなあ」と言い、それから缶コーヒーをくれた。「お世話になりました」と僕は言った。「体に気を付けて頑張れよ。目標をもってやればなんとかなる。言ったっけ?俺はさ、バンドでギターやってんの」「初耳です」「やっぱり?やっと軌道に乗ってきた感じなんだよなあー。ま、俺も頑張るからさ、少年はもっと頑張れよ。あまり突っ張るな。疲れちまうぞ」ケイスケさんは最後まで爽やかにそう言った。僕は見透かされていたようでなんだか恥ずかしかった。夏の暑い夕べに飲む缶コーヒーはやけに甘かった。
次の夏が来た。僕はケイスケさんのことなどすっかり忘れて本牧埠頭の倉庫でバイトをしていた。そのときも夜勤バイトと掛け持ちで毎日疲れきっていた。ある日呆けていた僕はフォークリフトの操作を誤って荷(確かアルミのインゴット)を床に落とし、現場監督に大目玉を喰らった。その日の帰り。バイト辞めよう、サラ金で金を借りよう、疲れた、もういいや、大学を辞めれば楽になるんだ、もうヤメだ、なにもかもが面倒だ、と滅入りながらラーメン屋でビールを飲んでいた。ビキニを着たキャンペーンガールがビールを掲げているポスターの右隣、高い位置にあったテレビでテレビ神奈川の音楽番組が流れていてやけにストレートな歌詞のロックンロールが聴こえてきた。
若くない四人組。あれ?あのギタリスト。目を凝らした。間違いない。ギターの男はビデオ屋にいたケイスケさんだった。ケイスケさんはウルフル・ケースケとなってギターをかき鳴らしていた。ウルフルズのその曲はケイスケさんが別れるときに言ってくれた言葉とダブって僕の心にガツガツと響いた。まるで僕だけ向かってくるロックに聞こえた。ガッツだぜガッツだぜガッツだぜガッツだぜガッツだぜ。気分の晴れた僕はラーメン屋から外へと踏み出した。レンタルビデオ屋を辞めたときと同じ、暑い、夏の夕べだった。
僕はバイトも大学も辞めなかった。それこそガッツで。パワフルど根性で。あのときケイスケさんと奇妙な再開をしていなければ今の僕はなかったかもしれない。そんなことがあったせいか僕はいい歳になっても音楽の持つ魔力と奇蹟みたいなものを頑なに信じている。時折、あの頃のことを思い出そうとしてみる。けれど、記憶のディティールはかなり曖昧になっていて思いだせない部分が大きくなってきている。僕が思うよりもずっと速い速度で。それは少しだけ寂しい。でもあのビデオ屋での最後の日のことだけは胸にはっきりと焼き付いている。夏の夕べ。犬の遠吠え。埃っぽいカウンター。ブザー音と鳴る自動ドア。アダルトコーナーにかけられたカーテンの揺らめき。夢を叶えウルフルケースケになったケイスケさんが話しかけてくれたときに流れていた曲はデイドリームビリーバー。僕はまだだ。僕もケイスケさんのようにデイドリームを形にしたいと思う。もう若くはない。けれどもこの気持ちは折れたりはしない。