ゼロアカ道場が面白い。道場の課題の内容などはほとんど理解できないのだけど、それでも面白い。
面白い面白いと言ってまわっているのだけど、あんまり理解してもらえないのでちょっとまとめてみようと思う。
ちなみに、私自身にはゼロアカ道場やそれに参加する人たちに対しては頑張ってほしいと心から思っている。
ゼロアカ道場について書く前に、まずはあの革命的テレビ番組について語らなければならない。
「ガチンコ!」である。番組の概略については以下のリンクを参照してほしい。
「ガチンコ!」が革新的であったところはいくつもあるのだが、それを一言で言うと、
という事に尽きる。
「テレビ番組」がすべからく「やらせ」である事はある意味で当たり前だ。「本当に」タレントが怪我したり、アクシデントが起こってしまったら放送できないのだから。その検閲をくぐりぬけ「お茶の間にお届け」された時点ですでにテレビ番組というのは作為的なものだ((その意味でその限界に挑んだという意味で初期電波少年というのは偉大な番組であった))。
「ガチンコ!」はそういうメディアにおいて「ガチンコ(やらせなし)」を名乗った。
そしてさらに凄いのは確信犯的にガチンコ!は「ガチンコ!はやらせである」とわかるような演出を施しそれを含めて視聴者に提供した事だ。(「ガチンコラーメン道」における「神輿やないねんから」などの超名言はその最たるもの)
つまり、「ガチンコ!」は、
「ネタ(演出手法)としての面白さ」
の二つを楽しめる番組の構造であったと今にしたら思う。そして、その楽しさというのは極めてプロレス的楽しさである(ガチンコ!の神ぶりについてはこちらを参照。http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/8539/d35.html)。
翻ってゼロアカ道場。
「天下にあまねく評論家志望者を募り、関門をくぐり抜けた猛者一人に天下の講談社がデビュー作一万部を保障」
つかみはOKである。そして、人数が絞れてきたところで各人のキャラと名前・顔がはっきり分かるようになってきて俄然面白くなってきた。
そして文学フリマでの同人誌販売。「ネタ」としても面白くなってきた。
くれぐれも断わっておくが、私は「ゼロアカ道場はやらせである」などとは露ほども思っていない。
そもそも、こういった場が設定されることさえ前代未聞の快挙であると私は思うし、大変だろうなと思う。だけど、文学フリマでの同人誌販売という課題を見て「これって『揉めてくれ』って言ってるようなもんじゃね?」と思ったのは事実だ。
というか、「プロジェクト」なんてその重要さが増せば増すほど殺伐としたものになる。
しかも、一緒に同人誌を作るのは友達ではなく、ライバルである。
そもそも、「批評家」に興味のある人(今の世間では希少人種だ)の中のそれなりの数の人たちにとって「批評家」の本なんて読まないのではないか。彼らの「キャラ」を消費している。
「言説それ自体よりも論壇内プロレスの方が売れる」
という事に多くの人たちが気がつきはじめているのではないか。
現に、私自身も「ゼロアカ道場」には興味があるが、「そこでの言論」にはほとんど興味がない。
そういったところを見るにつけ、ゼロアカ道場のプロデュース側はある程度は確信犯なのではないか、と私は思っている。ガチンコ!ほど神の領域には入らないとしても。