コメント
良心の呵責
甘い甘い
痛む良心なんて物があったら、半世紀以上も戦争犯罪を隠蔽したり米国の侵略をヨイショし続けたのがバレバレな連中に投票や入党すると思いますか?
「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング
ファルージャを包囲したとき、交戦規定は下着を変えるよりも頻繁に変わった、最初は、交戦規定を守ることを求められたが、怪しいものは射殺することになる。双眼鏡や携帯電話をもつもの、ついには誰でも攻撃対象となった、現地に着いてから数日たってある事件が起きた、
検問所で銃撃行動があった、最初の写真をお願いします、これは検問所に近づいた車です、怪しい車が高速で来たといわれ、大口径の機関銃で撃ちまくった。
減速しないものはすべて敵の戦闘員だとみなした、銃弾はバンパーからエンジンを破壊、このイラク人の胸を撃ちぬき座席まで破壊した。車のそばで撮影した私の記念写真です、居合わせた海兵隊員全員が、かわるがわる写真を撮ったのです」
ある女性が通りかかり、大きな袋を持っていた、こちらに向かってくるように見えたので、
私たちは、MK19銃をぶっ放した、粉塵が収まると、その袋には食料品がいっぱい詰まっていただけだと分った、我々に食料を持ってきた女性を粉々にしたのです。
暗黙の了解のもとで奨励されていたことがあった。証拠として残すための武器やシャベルを持っていくことです、爆弾を埋めるために使われるシャベルを持っていき、市民を間違って射殺した時、それを死体の上に置けば、武装勢力だったと言える、友人が言ったように、イラク人がシャベルや重そうな袋を持っていたら、撃っていいと決められていた、だから、シャベルや武器を車に積み、市民を殺害した時に死体の上に置き、交戦規則に従い、掘っていたから撃った、と言うのです」
2004年4月、アンバール州の戦闘に、私達の部隊は参加しましたが、銃撃戦が始まると、司令官が、このように命じました、イスラム教徒の衣装のものは、敵対しているとみなし撃ってよし、その1,2時間後、路上にいるものはすべて敵の戦闘員とみなせ、その命令が出た日の午後、街角で武器を持たないイラク人が戸口から出てきた、海兵隊員がライフルで狙いをつけたが、心理的拒否反応のためか、そこで私の記憶が消え、次に思い出すのは、男の死体を跨いだことです、男が出てきた部屋は倉庫で、スナック菓子あるだけでした、どこにも武器は無かった、数週間後、司令官は、敵を100人殺したと言いました、その数には、町を歩いていただけで射殺された人が含まれています。
このころには二回目、三回目の派兵となる海兵隊員の多くが、仲間が死ぬのを見て深刻なトラウマに苦しんでいた、そのため、非戦闘員としか思えない人を撃つようになった、道路わきで爆弾が爆発したことがあり、海兵隊員が銃を撃ったが、数百メートルも離れた数台の車に向けて撃った、遠くて誰が乗っているのかもわからず脅威の無い車だった
911以降に戦地に派遣された兵士の間では周知の事実ですが、軍では人を非人間化するためハジという言葉を使います、イラク人やアフガニスタン人に限らず、自分たち以外の人間をハッジと呼ぶ。2005年の夏、42歩兵師団の作戦地域の交通管制地区で銃撃がありました、それはイラクで毎日起きています、スピードを出して来る車があり、機関銃手が脅威と判断し、50口径の銃弾を200発撃ちました、母親、父親、子供二人を殺し、男の子は4才、女の子は3才でした。夕方、将軍に対する報告会で、担当官がこの件を説明しました、その時、司令官のロシェル大佐が、部下の方を向いて、ハッジの馬鹿が運転を知っていたら、こんなクソみたいなことは起きなかった、と言った、周りは将校や下士官たちばかりで、私が一番下の階級でした、誰も抗議しません、首をかしげるものもおらず、全員がそのとおりだと思った、ハッジの馬鹿のせいで、こんなクソみたいなことが起きた、信じられませんでした、でも本当なんです、このことが忘れられませんでした
「息子と車にいた父親の首を機関銃で打ち落としました、首の無い死体のそばに人が立っていたが、その表情やどんな人だったかが思い出せません、人から死体のそばに立っていたのは彼の息子で子供だったと聞きました、父親の首を落とされた息子の顔を記憶から消し去ったり、イラク人の死体と写真をとるのは、人間性を喪失しないとできないことです、戦争は人間性を奪うのです、我々の世代は、100万人のイラク人が死に、500万人が難民となり、米兵は4千人死亡、6万人近く負傷、しかも我々は精神的病気、心的外傷後ストレス障害を抱えて帰還した、
戦争はこの国の一つの世代をまるごと非人間化し、イラクをまるごと破壊した、我々の人間性を取り戻すため、イラクから軍隊の無条件即時撤退を要求する、すべての帰還兵に福利厚生を要求し、イラクの人々が自ら国を再建するため補償することを要求する」
「イラクから帰国して酒を飲み続けた。軍を辞めて、大学に行くことだけが希望だった、しかし、その希望は、2007年10月に打ち砕かれた、ジョージ・ブッシュが新たに2,3万の軍を送ることを決めた、私の部隊は、その要員確保政策で拘束され、誰も辞められなくなった、軍と言う監獄から解放されると思い、最高に幸せだったのに、それからとても気がめいり、恐ろしいほど激しい苦しみの渦に落ちこんでいった。自殺しようと思い、薬を飲んで、ウオッカをもう飲めないところまで飲み、意識が無くなり、気がつくと、病院で担架に拘束されていた。私は結局、除隊したが、恩恵が受けられないという処分を受けた。それで大学給付金を失った、私にとって唯一の希望は、大学に入れるということだったのに、2007年9月、大学に入れなかった、入学金が払えなかったのだ、病院通いや不安定な精神状態で、仕事を見つけることはとても難しい、私は水曜にピザの配達をしている、ピザ配達人だ、私は軍曹でリーダーを務め、自分がとても優秀な兵士と思っていたのに…。」
この日、家の外では、戦争に賛成する人たちがデモをしていました。
デモをする市民「平和主義者は国を守らない、アメリカ人を殺す敵を支援してくれてありがとうよ」「反戦イラク帰還兵の会は嘘つきで、裏切り者で、暴徒だ、恥を知れ」
「911でイスラム教徒が2千人以上の米国人を殺したんだぞ。
お前らは敵に抗議をしたのか?
911はどうだったんだ。アメリカ人を殺したやつらに抗議をしたか」
兵隊になったらはじめはね、人を殺すったってなかなか殺せないんだよ。訓練を終えて戦地へ出れば、相手を殺さないとこっちが殺されちゃうから必死になってやるけれど、やっぱり初めて人を殺すのは怖い。
兵隊というのは、闘うのも兵隊、死んでいくのも兵隊、捕虜になるのも兵隊で、ただの消耗品なんだけど、人を殺せるようにならないと、そもそもの戦力にならない。
だからね、初年兵には教育作戦として戦地に出して、「刺突訓練」をさせるんです。捕虜の中国人を木に縛り付けて「やあーっ」て声あげて走って行って、銃剣で突き刺す。はじめは手も身体もぶるぶる震えるし、「俺はできねぇ」ってわんわん泣く兵隊も出てくる。それでも、一回、二回ってさせてって人を殺す度胸をつけさせるの。その繰り返しの中でだんだん慣れてくる。すると殺すことが逆に面白くなってくる。人を殺せば階級があがるんだから、競争意識も出てくるでしょ。上からも喜ばれて、日本男児としての誇りが出てくる。自分がこうすることで天皇に忠義を尽くしているという気になってくるんだよ。
(元日本兵、金子安次さんの話 「憲法が変わっても戦争にならないと思ってる人のための本」より)
Author:秋原葉月
当ブログはリンクフリーです。転載はご自由にどうぞ(引用元の提示はお願いいたします)後ほどコメントかトラックバックでお知らせ頂ければ嬉しいですが、それが無くても構いません。
【コメントについてのご注意・必ずお読みください】
コメントは承認制をとっています。
承認するまでコメントは表に反映されません。承認まで時間がかかることがあります。
コメントを書き込む際にパスワードを入れていただくと、後程コメントを編集しなおすことができます。
コメントを編集した場合、再度私が承認しないと表に出ませんのでしばらくお待ちください。
記事に関係ないコメント、中身の乏しいコメント、非礼なコメント、HN未記入のコメント等々は私の一存で表に出さない場合もあります。
時間的な制約もあるので、いただいたコメント全部にお返事できるとは限りませんが、エントリーを書いて自分の意見を発信していくことに主力をおきたいので、ご了承くださいませ。
【その他のお知らせ】
エントリ-は、趣旨を変更しない範囲でより的確な表現だと思われた場合には文章を修正させていただくことがあります。