"横文字新語" は "通り" が良かったりして使うのに便利だったりする。しかも、何か特別なことを言った気にさせもするし、"検索環境" でも相応のレスポンスを得るのに効果的だったりするものだから、ますます広がりがちとなる......。しかし、気をつけないと、ずるずると "バズワード"(buzzword、一見、専門用語のようにみえるが、明確な合意や定義のない用語)へと墜する可能性も否定できない。
<情報過多の時代の鍵は「キュレーション」>という視点は、かなり有効だろうとは思っている。ひょっとしたら "グーグル検索万能環境" に風穴を空ける可能性を期待することもできるかもしれない、と。
ただ、データマイニング( ※ )への期待にも潜む "伏兵" (結局、肝心な知的作業部分は優れた "人為" に依存! することになる......)と同様に、"キュレーション" の根底には "人為" 固有のよりパーソナルで高度な "知的営為" が控えているはずだという点は、決して外してはならないと思っている。
( ※ )<データマイニング
データマイニング(英語: Data mining)とは、統計学、パターン認識、人工知能等のデータ解析の技法を大量のデータに網羅的に適用することで知識を取り出す技術。DMと略して呼ばれる事もある。通常のデータの扱い方からは想像が及びにくい、ヒューリスティク(heuristic、発見的)な知識獲得が可能であるという期待を含意していることが多い。英語ではknowledge-discovery in databases(データベースからの知識発見)の頭文字をとってKDDとも呼ばれる。>( データマイニング/ウィキペディア )
どうも、昨日書いたことをループさせているかのようだが、上向きスパイラルだと思って書くことにする。
この辺になぜこだわるのかと言えば、"キュレーション" という視点は、視線の向きは妥当だとしても、きちっと視線の焦点を合わせ切れていないからなのかもしれないと感じているからだろう。
だから、情報過多環境への一つの対処法としての "グーグル検索" システムに対置する意図を持ちながらも、一部では "キーワード検索" に基づく "リンク集" を作って"キュレーター" の役割遂行だと勘違いする向きが気掛かりだったりする。
"キュレーション" とは、量的な "統計値" を示してお茶を濁すものでもなく、いわば "モード(最頻値)に隠れた盲点" を果敢に提起するアクションであり、それこそが眼目なのではなかろうか。"質的飛躍" の視点で、情報過多環境に毅然と対峙するのが "キュレーション" の面目躍如たる側面ではないかと思うわけである......。
ところで、こうした状況下では、やはり "松岡正剛氏の編集工学" のご登場(?)を仰ぐしかなさそうな気がしている。
だからということか、松岡正剛氏については、先に、その布石とばかりに以下のように触れておいた。
<冒頭の "フレイズ" は、まさに自分なりの "キュレーション"( 松岡正剛氏ふうの "編集" !)なので、以下に元の記事を長くはなるが添えて置きたいと思う。>( スマホとは"機能をキュレートされたデバイス"!/"キュレーション"概念に注目!( 当誌 2011.08.31 ) )
また、ちなみに、この間、事の脈絡に目敏い方がいらっしゃったことも知った。
―――― <キュレーション時代には松岡正剛氏の編集工学が再発見される予感 佐々木俊尚氏らが唱えている「キュレーション」というのは、昔、松岡正剛氏が唱えていた編集工学のネット限定版という感じ?
例えば、10年前の新書で松岡正剛氏が語っていた「方法の時代」というのは「キュレーション時代」に通じるものがあるような。......
主題と主題との「あいだ」に関係性、文脈を見出し、つなぐ「方法」としての編集工学は、キュレーションと似てるんじゃなかろうか。>( <キュレーション時代には松岡正剛氏の編集工学が再発見される予感/そっとチラ裏/2011.02.16 )
これに対しては、"キュレーション" という言葉の発起人的位置にある佐々木俊尚氏も以下のようにリプライしている。
―――― < キュレーションは確かに松岡正剛さんの「編集」とつながると思う。ただ編集という言葉を使うとコンテンツサイドになっちゃうので、若干意味が違う感じに。/キュレーション時代には松岡正剛氏の編集工学が再発見される予感 http://t.co/TfMvyty>( 佐々木俊尚氏 Twitter )
確かに、佐々木氏が注釈する<編集という言葉を使うとコンテンツサイドになっちゃう>という観点は了解できる。
―――― <キュレーション【curation】
無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有すること。>(佐々木俊尚著『キュレーションの時代――「つながり」の情報革命が始まる』(ちくま新書/2011.02.10))
佐々木氏の "キュレーション" の定義は上記の通りであり、末尾の<そして多くの人と共有すること。>に託された思いには、同氏がソーシャルメディア周辺を凝視していることと併せて大いに共感できるところである。
しかし、この定義からは一般的には、"二律背反" として見なされてきた "独自性・創造性" と "共有" という要素がストレートに並置されている点に気付かざるを得ない。
<自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え>ることの難易度の高さを、同氏自身は見抜いていることに間違いないとして、<「一億総キュレーション」の時代>(出版社による言辞?)とまで先走ると "?" が禁じえなくなるのである......。
気になる点はやはり、<自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え>ること="独自性・創造性" の面が、意外と "さらり" と述べられている面だということになりそうか......。
だからこそ、"松岡正剛氏の編集工学" のご登場を仰ぐべきかと......。とりあえず、『千夜千冊』から、関連するかと思える叙述を選んでみた。
松岡正剛氏の叙述から引用することには幾分かの躊躇が伴う。と言うのも、同氏の著述は対象をより包括的に捉えた全体で一つの芸術作品のようだからだ。以下についても同様であり、部分だけを切り取るような無作法が憚られる気がするのである。(ちなみに、この点からして、同氏が "キーワード検索" 時代の知的姿勢などを "問題含みだらけ" だと見ていることが窺い知れるわけだ......)
―――― < ...... 今後、ブログがどういうふうになっていくかということについてはとくに関心はないが、ぼくなりの感想はある。が、それを書く前に、ギルモアがここで何を書いているのかを忘れないうちに紹介しておく。
大きな問題意識としては、電子メールやウェブやケータイやブログやBBSが挙ってパーソナルメディア化することで、「無秩序なニュース氾濫」時代になってしまうのか、それとも「自己組織化する編集局」時代がやってくるのかということを問いたかったようだ。
むろん後者の時代がやってくることをギルモアは確信していて、それがオープンソース・ジャーナリズムという、いわば第三のジャーナリズムを形成することを期待しているのだが、......
......
ぼくはどう見ているかというと、「読み・書き・そろばん」ならぬ「読み・書き・ブログ」における「読み」と「書き」と「ブログ」を分けて考えたほうがいいという見方だ。
すべてを自動検索機能や自動生成機能に頼ってはいけない。「読み」については、アグリゲーターサイトやRSS検索サイトを使えば世界中のブログから関心のあるトピックについて抜き出すことは可能だが、問題は「その関心」なのである。「その関心」を広げたり深めたりするには、いくらウェブを眺めていてもブログを読んでいても埒はあかない。それよりプラトンの1冊やマラルメの1冊から「その関心」を拾うべきなのだ。...... >( 松岡正剛の千夜千冊/ダン・ギルモア『ブログ』/2005.11.09 )
ダン・ギルモアが確信すると目された<「自己組織化する編集局」時代>(これも、何と "キュレーションの時代" と似ていることか......)に対する同氏の評価も気になるところだが、ここでは以下の部分に限定する。
<世界中のブログから関心のあるトピックについて抜き出すことは可能だが、問題は「その関心」>(c.f. 佐々木俊尚氏の<自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え>ること)を生成させることが、そう簡単なことではないと読み取れる点なのである。「テキストのミニマリズム」の時代にあって、<プラトンの1冊やマラルメの1冊>の古典精読の容易ならざる点という譬えが効いている......。
そして、言うまでもなく、同氏の "編集" の概念は、言ってみればこうした「その関心」を基点とせざるを得ないと理解されてよいはずである。
"キュレーション" へのアプローチでは、同氏の "編集" の概念におけるシビァさ、少なくとも一つの "工学" となり得るほどの "重量" があることを踏まえておいた方がよいかと思われる。
思いのほか長くなり過ぎたのでもう端折らざるを得ないが、インターネット環境をベースとした情報過多の時代の鍵が、"キュレーション" にあろうことはほぼ間違いないかと思われる。また、この脈絡に大なり小なり関係する "現代的イシュー" は少なくないようにも見える。
だからこそ、この動向の実情把握を踏まえつつ、どちらかと言えばクールな "醒めた眼で凝視" しておく位が丁度良いのかとも感じている...... (2011.09.02)
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