北品川はその昔、江戸から東海道を下る第一の宿、「品川宿」として栄えた。この北品川には少なくない史実が残されているが、その昔「沢庵和尚」で名を馳せた「東海寺」のあったこともそのひとつである。

沢庵禅師と時の将軍家光との緊張した関係は、「紫衣事件」などでも知られている。そこからは、沢庵禅師が幕府権力と対峙しながら禅の道を生きたという悲痛さが窺え知れる。そして東海寺とは、そうした沢庵禅師の苦渋に満ちた息遣いが残された寺であったに違いない。
時は昭和三十年代、三百年以上が経過した北品川に、あだ名を保兵衛という十歳の少年が登場する。その保兵衛はひょんなことから、沢庵禅師、家光、宮本武蔵などの名を耳にする江戸時代初期へとタイム・トラベルをしてしまった。
場所は、自身が住んでいる、三百年前の北品川、その東海寺の広大な境内の一角である。保兵衛を迎えたのは、東海寺和尚沢庵禅師その人であり、「清流」目黒川、賑わい始める品川宿、広重の版画そのままの品川海岸やその沖などの光景であった。
が、何よりも宿命的な出会いをすることになったのは、自分と同い年、十歳の少年禅僧「海念」であった。この後二人は、意気投合し、時空を越えた友情に育まれていくことになる。
不遇な過去に縛られた海念は、沢庵と武蔵の縁によって東海寺で救われつつあったのだが、それにもかかわらず、海念は、沢庵自身が歩んだに違いない苦汁の生き様、その轍へと、避けがたく嵌り込んでゆくこととなる。海念の幼心に刻まれてしまった「過去」が、まるで海念自身を引き回しているかのようである。
保兵衛と海念は、時空が隔てるまま、その後成人していく十余年間、おのおのの時代環境の中にあって、時代が提起する熾烈な課題を真摯に受けとめて生きる。そして、彼らの視界の片隅には、いつも沢庵禅師の影法師が収まっていたはずなのである。権力の蠢きと、自身の心のざわめきとの双方を凝視して止まなかった和尚の影が......
そんな中で、三百年以上を隔てながらも、あたかも同時並行的に展開するかのように大きな出来事が二人を捕らえようとしていた。このくだりがクライマックスとなる。
海念にとっての「由井正雪の乱」がそれであり、保兵衛にとっての「全共闘運動」がそれであった。いずれも、老獪な権力が歯を剥き出しにして生贄を漁る、そんな局面だということになる。
人の心はどうしたら「自由」となれるのか。老獪で醜悪な権力が人の自由と、自由を願う人の心を奪うことは世事であろう。だが、人が本当に自由を得るためには、もうひとつ承知しておかなければならない視点がありそうである。
「権力と仏法のはざまに生きた和尚」とも称される沢庵禅師が吐露した言葉は、まさに時空を越えてのタイム・トラベルで現代に届きながらも、今なお現代人の胸中で生々しく共鳴し続けているようではないか。
「心こそ心まどわす心なれ、心に心心ゆるすな」(沢庵)