日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回“外交敗戦”孤立への道

500 :本当にあった怖い名無し :sage :2011/01/10(月) 00:19:42 (p)ID:puVI6k100(2)
日本人はなぜ戦争へと向かったのか
第1回“外交敗戦”孤立への道
(p)http://www.nhk.or.jp/special/onair/110109.html

チラ見で通して見てなかったけど、外交孤立化の対策として
防共協定で外交樹立を図ろうとしてたという感じのところを見た。
その際に、満州国と中華民国の地図が出てたけど、チベットも
東トルキスタンも内モンゴルも中華民国領となってた。
防共協定(回廊)がポーランドなども含めたものだったというのは
初めて知った話だが、関岡英之著「帝国陸軍見果てぬ『防共回廊』」
を完全に無視していたとしたら、中共プロバガンダ・War Guild
Information Program と思うべきだろう。

猪瀬直樹が36歳くらいの時の作品「昭和16年夏の敗戦」で敗戦予想が
出ているというプロバガンダを出すならば、満州国建国が可能になった
ことを説明する必要があるだろう。
張学良軍・・・・ 33万3千人 関東軍・・・・・・ 1万1千人
兵力差は33倍。



507 :本当にあった怖い名無し :sage :2011/01/10(月) 00:30:54 (p)ID:puVI6k100(2)
>>500

-------------------
書名   「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか
著者名  ジェームズ・B.ウッド著 茂木弘道訳
出版社  東京 ワック
出版年月 2009.12
-------------------
書名   富・戦争・叡智-株の先見力に学べ-
著者名  バートン・ビッグス著 望月衛訳
出版社  東京 日本経済新聞出版社
出版年月 2010.4
-------------------
書名   太平洋戦争もうひとつの真実
著者名  佐治 芳彦著 
出版社  東京 PHP研究所
出版年月 1995.3
-------------------
戦闘・戦術の話に傾くかもしれないが、勝てる要素は
いくつもあって、それを取りこぼした方が負けという
だけじゃないのだろうか?
オカルト的には、どちらに味方したユダヤ勢力が強かったか
というのが本当の答えかもしれないけれどw。


514 :本当にあった怖い名無し :sage :2011/01/10(月) 00:37:49 (p)ID:kaAmeBhi0(2)
>500
自分もチラ見してた。
猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」(石破茂氏もイチ押しの本としてオススメしてたけど)、これを取り上げるなら、
アメリカの対日制裁を取り上げた、「日本経済を殲滅せよ」(p)http://www.shinchosha.co.jp/book/528402/
も放送内容に反映してくれないか、と思う。


515 :本当にあった怖い名無し :sage :2011/01/10(月) 00:39:19 (p)ID:X6xssYZj0(30)
>>507
結局は原油利権の争いですよ。

油を制限されて戦争に突入した。だからいくら性能が良い戦闘機があっても(零戦とか)、
エンジンオイルもまともに交換できない、燃料は粗悪になっていく。
エンジンのヘッド周りの潤滑に必要な亜鉛が手に入らない。戦力低下。

ロックフェラーといえばスタンダードオイル。
巨大化しすぎて今はモービル、シェブロン、ガルフなど会社に分割されましたが、
今でもエネルギー資源が世界を牛耳る鍵なのです。



519 :本当にあった怖い名無し :sage :2011/01/10(月) 00:51:00 (p)ID:kaAmeBhi0(2)
>514
自己レス
そう、そこ大事だですね。・・・すまんタイプミスしたw
ところで気になったんで、ちとコピペ
---------------------------------------
212 名前:日出づる処の名無し 投稿日:2011/01/07(金) 21:03:53 ID:vIgRd31w
マスゴミで気になった記事があった。
ハンガリーの状況
(p)http://sankei.jp.msn.com/world/europe/110103/erp1101031718004-n1.htm
(p)http://sankei.jp.msn.com/world/europe/110106/erp1101062047003-n1.htm

ネット版では書いていないので少し補足をすると
ハンガリーでは自由化以降、選挙のたびに政権交代して内政が進まない状態。
「明日は我が身」笑えない状況だわ。

213 名前:日出づる処の名無し 投稿日:2011/01/07(金) 21:31:52 ID:2DbY1uW9
「戦争広告代理店」をちょっと思い出した
世の中、演技で動いちゃうんだよな 残念ながら

220 名前:日出づる処の名無し 投稿日:2011/01/08(土) 07:04:17 ID:ik6TyDNq
>>213
> 「戦争広告代理店」
あれって、情報操作についての名著ですな。

一般民衆に何かを信じ込ませるなら、
・都合の良いことにスポットライトを当てる
・都合の悪いことは極力見えないようにする
・歴史上の事件など一般民衆が頭の中に持っているイメージを  二重写しにする
---------------------------------------------------------
上の情報操作のポイントを踏まえながら
>500のNスペ 日本人はなぜ戦争へと向かったのか を見てると、
今、心理戦を仕掛けられているのを実感する。


522 :本当にあった怖い名無し :2011/01/10(月) 01:00:05 ID:jLP/WWNY0
>>519

213 名前:日出づる処の名無し 投稿日:2011/01/07(金) 21:31:52 ID:2DbY1uW9
「戦争広告代理店」をちょっと思い出した
世の中、演技で動いちゃうんだよな 残念ながら



なるほどね
白州正子曰く「世の中誤解で動く」とか言ってたはず




523 :本当にあった怖い名無し :sage :2011/01/10(月) 01:09:19 (p)ID:xXTKggqL0(3)

ちなみに太平洋戦争は革新左翼とナチ工作員にやられた
日蓮宗も日米戦争を煽ってたな

革新勢力と共産主義グループに乗っ取られていた戦前の政府と軍部とマスコミ
(p)http://1st.geocities.jp/anpo1945/kakushinseiryoku.html
近衛首相らは、敗戦革命で日本を共産主義国化するべく、
「対英米戦争準備を整え、南方の進出態勢を強化す。対英米戦を辞せず」
との国策要綱(南進政策) を1941年7月2日の御前会議で決定するなど、
日米英戦争に向けて最大限の努力を払っていったのであった。
もし日本軍が要衝の地であるインドシナ半島南部(サイゴン)へ進駐(同年7月28日)しなければ、
米国の石油禁輸制裁(8月1日)もなく、日米英開戦へ至らなかった。

この御前会議の決定は、6月22日に日本の同盟国ドイツがソ連に侵攻した直後のことであった。
近衛首相ら共産主義者と日本海軍は、日本の北進(日独によるソ連挟撃)を阻止するために、
急遽、南進政策を決定していったのである。
中川八洋教授は次のように主張している。
「『日本をしてソ連との戦争をさせないために、英米との戦争をする』親ソ・共産主義者グループと、
『英米との戦争をしたいがためにソ連との戦争をさせない』海軍とが暗黙に結合して、
日本政府の最終的な意思となったのである」(中川教授『近衛文麿とルーズベェルト―大東亜戦争の真実―』63頁。
この決定は、ソ連防衛のためでもあった。


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[ 2011/01/10 10:36 ] 良書 | TB(0) | CM(6)

20798 :名無しさん@2ちゃん:2011/01/10(月) 11:26:00 ID:5jNcJ41k
> 戦争広告代理店

電通の事かと思ったわ(笑)
[ 2011/01/10 11:26 ] /5jNcJ41k[ 編集 ]
20869 : :2011/01/10(月) 22:42:24 ID:-
日本敗戦の戦犯は大陸内戦のの泥沼に引きずり込んだ陸軍だけでなく海軍も一枚噛んでいたんだな…
せめて中野学校がCIA水準までに防諜要員を育成できていたなら違う結果も有り得ただろうにorz
[ 2011/01/10 22:42 ] /-[ 編集 ]
20873 :名無しさん@ニュース2ちゃん:2011/01/10(月) 23:12:59 ID:f4HRsaiM
>『英米との戦争をしたいがためにソ連との戦争をさせない』海軍<

これはないんじゃないかと思うよ。

海軍軍縮会議で国力を含め日本の実力と英米の実力を海軍はあらためて目のあたりにしたはず。
海軍は資源獲得上国体維持が出来ない対ソ戦封印画策をするのは理解できるが、
その為に自主的に対英・米を仕掛ける余裕があったとは思えないんだけどね。
それに組織上海軍は陸軍の下だし地位的逆転を狙って英米相手に国体をかけて冒険したとは思えない。
個人的には大陸戦に引きずられて決断するしかなかったような気が・・。
[ 2011/01/10 23:12 ] /f4HRsaiM[ 編集 ]
20900 :名無しさん@2ch:2011/01/11(火) 10:17:46 ID:t50BOgd.
佐藤御大の話じゃないが日露戦役の後、アメリカを閉め出さないで一緒に満州開発
でもしてれば良かったと思うのよねぇ。どうせ自力で満州を開発するだけの余力は
当時の日本に無かったんだし、同じ権益もってればアメリカとも敵対する必要なか
っだろうし。50年速く満州経由で日米同盟が出来てた気がするのよ。

しかし近衛文麿の話。そうきたかw。コミンテルンとナチの陰謀論で調子に乗った
日本を説明するのは流石に無理があるw。おもしろいとは思いましたが。
[ 2011/01/11 10:17 ] /t50BOgd.[ 編集 ]
20902 :名無しさん@ニュース2ちゃん:2011/01/11(火) 10:39:12 ID:f4HRsaiM
>日露戦役の後、アメリカを閉め出さないで一緒に満州開発
でもしてれば良かったと思うのよねぇ

論理的には賛成する。が、
当時の帝国主義理論の中で共同開発の思想はあったのだろうか?
また、出来たのだろうか?
日露戦での対露交渉担当者がメタボだし、
三国干渉で列強から虐められるし(日本国内的見方で)
実質、陸軍の了解は得れれないかと思うんだけど?。
[ 2011/01/11 10:39 ] /f4HRsaiM[ 編集 ]
20925 :名無しさん@2ch:2011/01/11(火) 20:48:58 ID:t50BOgd.
>>出来たのだろうか?

いやぁ仰る通り無理でしょうね。故に現在の我々が居ますから。
陸軍は血を流し過ぎましたし、海軍は勝ちすぎて調子にのってた
し。ソレを見た意思決定最小最多単位の国民は結果を見て対価を
を求めた。コレを説得して諫められる政治家は居なかった。正確
には居たんだけど居なくなってしまった(伊藤博文を筆頭とする
国際協調元老)。結果が今の経過なのは必然だと思います。

それじゃまったく、その方向性が無かったのか?というとソレも
やや極端な話でして、満鉄にはユダヤ経由でしたがアメリカも参
加してましたし資源調査には当時の石油メジャーも関わってまし
た。あのアメリカと遣り合う事を考えてた石原完爾も満州を日本
単独で育てるにはあまりに時間と金が掛かりすぎると認識してた
節は彼の残した著書を読めば判ります。

三国干渉程度の国民感情は国民が肥えればどうでも良くなるのは
大正年間や今の我々が食べ物以外でキレ無いのを見ても判ります
し日英同盟は、なんだかんだで20年続きましたからアメリカの支
援(国債込み)をもう少し喧伝してればソッチ方面の感情もイギリ
ス同様そんなに悪化しなかったと思うんですよ。

これ程条件が揃ってて転んでしまったのは何故かの答えが戦後の
経過でありココで噂されるミニスカ化がその延長線上なのだとす
れば自ずと先は見えてくるかなとも思うんですよね。

長文になってしまってすいません(´ω`;)
[ 2011/01/11 20:48 ] /t50BOgd.[ 編集 ]

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