宇宙戦艦ヤマトは漫画。小説などの原作があったわけではなく、最初からアニメとして製作されたものである。 製作者の西崎義展が自身で原案を考え、それを実現するためのスタッフを集め、企画をテレビ局に持ち込んで、スポンサーを集めて、なんとか放映にこじつけたテレビアニメである。 企画の原案作成は1973年頃。この時期からテレビ局に提案している。 1974年になり、第一作の「宇宙戦艦ヤマト」のテレビ放映が始まるが、最初から視聴率が高かったわけではない。本放送が終わり地方の放送局で再放送されて、この時期から人気が急上昇したのである。 その後、第一作のテレビ放送の動画をくっつけた映画館用の総集編が1977年に作られる。これがヒットしたのである。 そこで翌年の夏に「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」がアニメ映画として東映系で公開される。 これは、ヤマトを敵巨大戦艦に衝突させて自爆させる結末。特攻を正面から賞賛する映画であったが、世の九条教信徒を激怒させる内容ながら、観客総動員数400万人の大ヒットとなった。 この映画のヒットにより日本の軍国主義復活を恐れる米国・中国・韓国が対日工作を開始する。 1980年代から始まる従軍慰安婦、靖国神社問題の2つは、暗黒国家連合による対日政策であったのだ。 当然、九州の海に沈む戦艦大和を宇宙に飛ばした西崎への攻撃は熾烈を極めた。 西崎は「お騒がせてすいませなんだ」と、さらば宇宙戦艦ヤマトの最後に「もう、二度と現れることはありません」とまで書いて、ヤマトと共に隠遁生活に入る予定であったが、まさかの大ヒットである。 結局、映画版の「さらば」(1978)の後にテレビアニメ化した「ヤマト2」(1978-1979)は、特攻攻撃も古代と森ゆきとの心中場面をやめてしまった。テレビではとても許されないシーンではあったが。 その後、製作されたのが「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」である。 フジテレビ系列で1979年7月31日に特別番組として放映されたテレビアニである。正味の放映時間は93分で、本放送は30%を越える高視聴率を得た。 西暦2201年後半、あの熾烈を極めた白色彗星帝国との戦いから一ヵ月後、『宇宙戦艦ヤマト2』でヤマトと別れたデスラー率いるガミラス帝国残存艦隊が、新天地を探す旅に発つ前に、今は廃墟となり無人となった母なる星ガミラスに最後の別れのために立ち寄ったところ、謎の勢力である暗黒星団帝国がガミラシウムを無断で採掘していた。 これに激怒したデスラーは攻撃を加え、交戦の結果、ガミラスは大爆発を起こし消滅。 それにより連星を構成していたイスカンダルは引力のバランスを崩し宇宙空間を漂流し始める。 デスラーは愛するスターシャのいるイスカンダルをただちに追跡するが、暗黒星団帝国のデーダー率いる第一艦隊もイスカンダリウムを目的にイスカンダルを追撃していた。 その頃、地球では修復されたヤマトに新たな乗組員を迎え、ヤマトの試験航海を兼ねて訓練航海へと旅立ち、猛訓練に励んでいた。 デスラーから発信された、救援を求める通信によりイスカンダルの危機を知ったヤマトは、地球防衛軍長官の命により、スターシャと古代守の救助のためにイスカンダルへと向かう。 アニメ版ではスターシアは自爆する。 ゲーム版では自爆せずに生き残る結末にしている。 #
by yuyuu-yano
| 2014-10-11 23:11
| 宇宙戦艦ヤマト
ジョルジュ・ビゼーは1838年、パリに生まれた。 父は声楽教師、母はピアニストで、幼い頃から音楽に親しみ、記憶力が抜群であった。 9歳でパリ音楽院に入学し、19歳でカンタータ『クローヴィスとクロティルデ』でローマ大賞を獲得。 1861年にはリストの新作のパッセージを一度聴いただけで演奏し、さらに楽譜を渡されると完璧に弾いてのけてリストを驚かせた。 ビゼーはピアノの腕は素晴らしかったが、オペラ作曲家を志し、25歳のときのオペラ『真珠採り』を作曲した。 しかし、ビゼーは36歳で敗血病で死去したので、作品数は少ないのが残念である。 #
by yuyuu-yano
| 2014-10-05 23:53
| クラシック音楽
「カタコンバの入り口に立っている松の木かげで、その深い奥底から悲嘆の聖歌がひびいてくる。そして、それは、荘厳な賛歌のように大気にただよい、しだいに神秘的に消えてゆく。」
カタコンバとは古代ローマでの初期キリスト時代の墓のこと。 信者たちの悲観と祈りに満ちた歌声が全オーケストラを駆使して描かれる。 後半にでてくる連続する5度のハーモニーでのメロディは、古代の教歌からインスピレーションを受けたと言われる。 レスピーギのローマ3部作の中に1つである「ローマの松」 森の石松ではなく、ローマの松である。 そのローマの松は、ローマの4つの松をテーマにした交響詩である。 その中の「カタコンバ付近の松」という曲だ。 #
by yuyuu-yano
| 2014-10-05 21:51
| クラシック音楽
かつてジャケットのデザインは、レコードの購入を決める大きな要素であった。 LP盤は直径30cmあるから、これを収めるジャケットも大きく、そのデザインも十分に生きる。 1971年に発表されたムーディ・ブルースの「童夢」のジャケット。 これも当時、ジャケットを見て買ってしまった。 ムーディ・ブルースは1964年に結成された英国のロック・グループ。 ビートルズ、ローリングストーンズ、ピンク・フロイド、フーもほぼ同時期に発足している。 ムーディ・ブルースはプログレのジャンルに入るらしい。 この思わせぶりのジャケットには、思わせぶりの歌詞の曲が詰まっていたが、 音楽そのものはナチュラルで、バック・グラウンドミュージックみたいに聞ける・・・・と言うことは「適当に上手い」ということだが。そういう意味で重宝なレコードだった。 その後、ムーディ・ブルースのことなど完全に忘れていたが、先日、アマゾンでこのジャケットを見つけて、CDを購入してしまった。 なんと連中はまだ演奏活動を続けていたのである。 #
by yuyuu-yano
| 2014-09-29 23:49
| ロック
彼を発見したのはテレビで見たロックの記録映画であった。 個性的なミュージシャンが次々に登場する中で、彼は、ひときわ特異に見えた。 特異な風貌の下には、極めてナルシスティクな少年が見えた。 しかし、彼はそれを客観視していた。 初期の彼のレコードは殆ど購入した。 しかし、彼のファンは少なく、密かに聞いていたのが実情である。 彼は結婚してから、全く別人になってしまった。 奥さんに夢中になり、そっちに引っ張られて行った。 それで、彼とは「さよなら」した。 マスカレード、すなわち仮面舞踏会である。 初期の彼を象徴するような曲である。 #
by yuyuu-yano
| 2014-09-28 15:07
| ロック
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by 矢野友遊 カテゴリ
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