還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

孤独との上手な付き合い方は、「暮らし」にあり。受け身にならず心地よく暮らす工夫が自分を救う

昨日は、所用があり日帰りで上京しました。

以前の仕事仲間とも再会。おしゃべりに花を咲かせた数時間。

同世代の話題は、やはり両親のこと。

見送った人あり、介護中の人あり、ハラハラしながら遠くから見守り中の人あり。

看取りを終えた人以外は、それぞれが、「ここ数年が山」だと呟いていました。

 

父からの着信

そして、帰りの飛行機の時間を気にしつつ飛び乗った山手線。

モノレールに乗り替えてほっとした頃、父からの着信がありました。

羽田に着いて、急いでコールバックすると、

「いや・・。今日、デイサービスに行って帰ってきたんだけど、母さんもいないしさぁ、独りでさ、ちょっとくさっちゃったんだよー」と。

「母さんは、もう、ここへ帰って来ることはないだろうか?」

「一緒には暮らせんのか」

「もう良くならんのか」

何度も何度も同じことを繰り返す父。

そして、「もう、自分も生きて3年くらいだと思う」と弱気な発言。

「そんなこと言わないで、お母さんのためにも頑張ってよ!」と励まし、「そうだなー」といつものように気を取りなおし、父は電話を切りました。

 

90歳を目の前にして、生まれて初めて一人暮らしとなった父は、孤独が何より辛いよう。

母が元気だった頃、あれほど威張って威勢の良いセリフを吐いていた父が、「青菜に塩」さながらにションボリしている姿は、少々切ないものがあります。

人生の最晩年、「孤独とどう付き合うか」という課題が待ち受けていることを、今さらながら痛感させられます。

 

独り暮らし、でも老いの孤独とは無縁な友人の母親

父親への電話を切った後、ぼんやり考えていたのは、昼間おしゃべりした友人のお母様のこと。

独身の彼女は、いつか88歳の母親と暮らすつもりではあるものの、「まだお許しが出ない」のだとか。

彼女のお母様は、60代半ばに夫に先立たれた後、20年以上ずっと独り暮らし。

「お母さんも年なんだから、そろそろ一緒に暮らそうか」ともちかけても、

「全然寂しくない」「独りの方が気楽でいい」「あんたはあんたで頑張りなさい」「帰って来られても困る」と全く受け付けないのだとか。

友人は、うちの母親に限っては、「老いの孤独とは無縁だわねー」と話していました。

 

暮らしがしっかりすると揺らがない

友人の話しを聞いていた私たちは、お母様に興味津々。

「どうして寂しくないのかな?」そんな問いかけに友人は、「だって、寂しさが入り込むスキがないっていう感じだもん!」と。

とは言っても、お母様が、趣味に仕事に八面六臂の忙しい生活を送っているわけではなく、むしろ、何の変化もない決まり切った毎日を淡々と過ごしているのだとか。

 

朝は、5時起床。玄関の掃き掃除から始まり、植木に水遣り。

朝食は、20年来、一膳のご飯、味噌汁と納豆に目玉焼き。

午前中に掃除と洗濯。シーツもパジャマも毎日洗わないと気が済まないのだとか。

疲れたら休んで好みのお茶をいれ、新聞に目を通して11時を過ぎたら昼食づくり。

午後は2時間ほど昼寝をして、夕方になったらほぼ毎日、老人カーを押して片道15分ほど歩いて買い物へ。

惣菜は「美味しくない」と決して買わず、毎日2品、夕食に何かを作るのが日課になっているそう。

6時に夕食を終えた後は、少しテレビを観て、お風呂に入り、9時に就寝。

一日おきに2合のご飯を炊き、自分のために手をかけて料理を作り、晴れた日には布団に陽を当て、洗いたてのシーツで眠りにつく。

家は狭くて古いけれど、いつもこざっぱりと片付いていて、3鉢と決めた花の手入れも欠かさない。

芸能人や政治家のスキャンダルには全く興味を示さず、ワイドショーも全く見ない。

腹の立つこと、胸が痛むニュースは耳に入れず、自分が今日一日、無事に過ごせたことに感謝する。

そんな暮らし を送っておられるとのこと。

 

母は、毎日の暮らしがほんとしっかりしているから、揺らがないんだと思う。

そんな友人の言葉に一同、ひどく納得した私たちでした。

 

受け身にならないことを肝に銘じて

そんな友人のお母様のお話しを聞いた後の父からの電話。

やはり、父の孤独の根っ子を思わざるを得ませんでした。

父の寂しさは、母と別れて暮らすことが直接の要因ではあるけれど、それだけではなく、孤独が増幅するような条件に身を置いていることも大きいような気がしています。

父親の生活は、すべてが受け身であり、自分自身でコントロールできること、裁量で動かせることがごくわずかになっています。

食事も、基本、施設で提供されるものに限られ、自分で選択したり作ることはありません。

母親との面会も、自分で自由に行くことはできず、姉や叔母の都合に合わさざるを得ません。

デイサービスへの参加など週間のスケジュールが組まれ、それに合わせて動く日々。

自分で考え、主体的に何かを工夫することがなく、時間だけが有り余る日々のなかでは、孤独がどんどんと増幅していくのでしょう。

 

年を重ねれば、多くの人は孤独と向き合うようになる。

もちろん私自身も。

その時のヒント、それは、「しっかりと暮らしを積み重ねる」「受け身にならない」。

共に晩年を生きる友人のお母様と父、その二人から、受け身にならず心地よく暮らす工夫が自分を救ってくれる、そんなメッセージを受け取ったような気がしています。

 

そしてこのことは、なにも高齢者に限ったことではないのではないか。

やはり、「暮らし」の根と幹を太くしておくことが大切だと再認識しています。

 

 

目を通していただきありがとうございました。

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