2021吉備路探訪① 干支の山 臥牛山(487m)
毎年恒例になった干支の山に登る企画。
今年の干支である牛(丑)が付く山を調べたところ、福井県には1座もなく、近場では岐阜県、京都府、富山県、奈良県などに点在。
京都府の牛松山(636m)辺りが一番手頃なのだが、一番興味をそそられたのが岡山県のこの山。
臥牛山(がぎゅうざん)
岡山県西部の高梁市にある山で、大松山・小松山・天神丸山・前山の4峰の総称。
(老)牛が腹ばいに臥して、草を食べている姿に似ていることから、臥牛山、老牛伏草山と呼ばれるようになったとされる。
山上に現存十二天守の1つで、日本三大山城の備中松山城が今なお残ることから、地元では親しみを込めて城山(しろやま)・御城山(おしろやま)とも呼ばれる。
お城フリークの私は以前から訪れたかったが、干支の山でもあるので丑年の今年までガマンしていた。備中松山城以外にもいっぱい魅力がある山で、とっても楽しみ。
仕事から帰宅後、岡山県に向けて出発。
吝嗇家なのでR8・R161(湖西道路)とシタミチで南下し、京都東ICから名神道へ。
新名神のトンネルで、頭上の照明が進行方向に緑の光で誘導していた。
ペースメーカーライトというらしく、ライトの移動速度が安全な車の速度を促す効果があり、火災や事故などの際は赤色や黄色に変わり、危険告知や注意喚起を行うこともできるそうだ。
26:03 吉備SA下り(山陽道)
ETC夜間割引適用も兼ねてここで車中泊zzz
6時に目が覚め、SAで朝食。
吉備SA以外のSAでは、深夜・早朝は営業停止中も多いので注意。
岡山JCTから岡山道(E73)へ。
右手には3年前に登った鬼城山(397m)や犬墓山(443m)が望めた。
賀陽(かよう)ICで高速を降り、R484で高梁市へ。
R180に入ると、前方に臥牛山が見えてきた。
今日は雨の予報で、ポツポツと雨が降っている。
7:31 中洲(ちゅうしゅう)公園駐車スペース(標高約116m)
駐車場の表示はないが、路肩が広くなっており5~6台駐車可能。
少し下った先の登城(登山)口から登るつもりだが、突然OPPが襲来(汗)
付近にトイレが見当たらなかったので、急いで観光客用の駐車場に向かう。
7:43 城見橋公園駐車場(5合目)(標高約196m)
施設(城まちステーション)のトイレを借りて事なきを得る(笑)
110台駐車可能(無料)で、土日や繁忙期はここから先マイカーは通行止。
規制時はシャトルバス(有料:往復400円)に乗り換えて、8合目のふいご峠までいくことになるが、今日は平日なのでマイカー規制は解除中。
どうする? 今さら戻るのも面倒だし、ラクさせてもらおう(笑)
1.5車線の狭隘な道路なので、対向車等に注意。
途中見かけたお猿さん。
臥牛山には多くの野生の猿が生息しており、生息地が国の天然記念物に指定されている。
7:50 ふいご(鞴)峠駐車場(8合目)(標高約290m)
12台ほど駐車可能(無料) 先行車は施設管理の方で、私が1番乗りのようだ。
ここにもトイレ(男女別・水洗)がある。
天守に奉納された三振の宝剣を造る際の鞴が、この付近に設置されたのが由来。
昨年(2020年)は築城780年だったそうだ。
8:05 ふいご峠登城口(標高約290m)
小雨が降っているのでカッパを羽織ってハイク開始。もちろん足元は福井人ハイカーのデフォルト、長靴です(笑)
麓の登城口からのコースともここで合流する。
標高差約200mラクさせてもらいました(笑)
観光用のためか、路面がコンクリート舗装された遊歩道になっている。
濡れた路面だとスパイクのピンが滑りやすいので慎重に登っていく。
遊歩道脇には城主からの登城心得。
”あわてず ゆっくり歩むべし”
峠から天守まで距離約700m、標高差約180mあり、遊歩道としては少しキツめ。
”ゴミは捨てずに 持ち帰るべし”
”この先足もと 悪しきにつき 気をつけて歩むべし”
なるほど… 下々を労わる慈悲深いご城主です。
見事な石垣が見えてきた(8:16)
”この辺りがちょうど中間地点である しばし休まれよ”
それじゃ、お言葉に甘えて…
8:17 中太鼓櫓(丸)跡(標高約355m)
上太鼓櫓とも呼ばれ、前山(320m)にある下太鼓櫓と天守とのほぼ中間地点。
有事の際、山麓の御根小屋と天守の間を太鼓で連絡する通信手段の中継所だった。
急な階段をよたよた登っていく。
食事は下山後の予定だが、なぜかストーブやカップ麺などいつものフル装備を背負っている私(笑)
見所には説明板があり、人感センサーが反応し音声で解説してくれる
大手門跡が見えてきた(8:25)
大手門跡(標高約390m)
後方に聳え立つ巨岩と、その上に載る厩曲輪石垣はまさに圧巻。
この風景、見覚えがありませんか?
2016年に放映された大河ドラマ「真田丸」
そのオープニング映像に、この備中松山城が使われているんです。
オープニング画像①
※画像は高梁市HPより拝借。
使われているのは大手門跡周辺を含め4ヶ所。
映像はCG加工されているが、石垣や苔などは現物通りだそうだ。
オープニング画像②
※画像は高梁市HPより拝借。
真田氏とは全く所縁はないが、居城の岩櫃城をイメージしたそうだ。
自然と見事にコラボしたこの石垣も崩壊の危機が忍び寄っている。
巨岩の割れ目に貫入した樹木の成長により、亀裂が次第に大きくなっており、重い石垣がさらに亀裂拡大に拍車をかけている。このため石垣上部が年々変形しており、将来崩落する可能性もあるそうだ。
大手櫓跡
城内の大手道は広く、城外と比べて倍以上の幅員がある。
三の平櫓東土塀(国重要文化財)
城内で数少ない現存する土塀で、四角い矢狭間と丸い筒狭間を備える。
頭上に続く高石垣群。
攻め手側がこれを見たら、絶望したことだろう。
三の丸跡
黒門跡
厩曲輪跡
御膳棚跡
かつては食事を作る場所だったが、現在はトイレが設置されている(笑)
城内の最終トイレで、この先は2㎞以上離れた雲海展望台(仮設トイレ)までないのでご注意を。
二の丸直下の野面積の石垣は、城内で最も古いとされる。
前方に天守が見えてきた(8:32)
備中松山城は仁治元(1240)年に地頭の秋庭(あきば)氏が築城したとされる。
その後戦国期まで市名の由来にもなった高橋氏、上野氏、庄氏、三村氏と変遷し、備中の重要な戦略拠点だった。
8:32 二の丸跡(標高約420m)
ここまで27分。ここまでまだ誰とも出会っていない。
本丸(天守)は閉門中で、開門時刻は9時から。
五の平櫓(復元)
現在は観光協会の詰所になっている。
本丸の石垣や土塀(復元)も真田丸のオープニング映像で使用された。
オープニング画像③
※画像は高梁市HPより拝借。
開門までまだ30分ほどあるので、先へと進む(8:37)
戦国大名三村元親の時代には大松山城を含む巨大な山上要塞だった。
三村氏は毛利氏を後ろ盾にして備中国全域を治めるも、中国侵攻を目論む織田信長の調略により天正2(1574)年に毛利氏から離反。この事態を重く見た毛利方との間で松山合戦(備中兵乱)が勃発する。
しかし難攻不落の要塞と化した松山城を力攻めで落とすことは難しいと悟った毛利方は、周りの支城から攻略し松山城を孤立化させる持久戦に変更。麦刈りなどの兵糧攻めもあり、天正3(1575)年に陥落し元親は自刃する。
水の手門跡
二重櫓(国重要文化財)
本丸同様、岩盤の上に石垣を組んであり、二層二階建。
やっぱり下るんですね(笑)
土橋跡
現在は木橋が架けられているが傾斜しており、雨天時は滑り易く注意。
車井戸
現在城内唯一の水源で、防災(消火水槽)用や管理用として利用されている。
8:47 相畑城戸(あいはたきど)跡(標高約440m)
天神の丸(砦)から小松山(城)に続く尾根上にあり、土塁が残るなど備中兵乱時の古戦場だったとされる。
今日は二十四節季の啓蟄のせいか、コース上には大きなガマガエルがチラホラ。
危うく踏みそうになることも(笑)
8:53 大松山城跡・天神社跡分岐(標高約460m)
天神社跡は後回しと思ったが、それだと寄らない可能性大なので右へ(笑)
実はこの選択は正解でした。
木階段を登って天神の丸跡へ(8:55)
階段終点部のど真ん中に、鳥か何かに襲われたのだろうか、大きなガマガエルが血を流しながら息絶えており、思わず大声を上げてしまった。
戦国期には支城(砦)が築かれていたが、後に天神社が創建された。
天神の丸跡の中で、ひと際高くなったこの場所。
実は臥牛山の最高地点で、ここが臥牛山山頂(約487m)
ふいご峠から51分で到着。
下調べしていなかったら、おそらくスルーしてしまったかも(笑)
できれば分岐標識に臥牛山山頂と記して欲しい…
これで干支の山(丑)の1座目クリア。
分岐に戻り、天神の丸西側をトラバースしながら大松山城方面に向かう。
天神の丸北側で見かけた大きな倒木。
臥牛山のアベマキ
推定樹齢350年、樹高30m、幹回り4.7mのアベマキで、林野庁の森の巨人たち百選にも選ばれていたが、枯死したので危険防止のため伐採されてしまった。
9:04 大松山城跡分岐(標高約455m)
すぐ先に大池が見えていたが、
先に大松山城跡へ向かう。
9:06 大松山城跡(標高約470m)
大小6つの曲輪からなる連郭式山城で、向かって右が本丸、左が二の丸。
臥牛山で最初に城が築かれた場所で、中世城郭の遺構が残っている。
分岐に戻り大池へ(9:08)
大池(標高約445m)
総石積で作られた方形の人工池で、ここで討ち取った首や戦で使われた刀を洗ったという逸話から、地元では”血の池”もしくは”首洗いの池”とも呼ばれる。
長辺23m、短辺10m、深さ4.3mと、25mプール約3杯分ぐらいと大きい。
山中の水利施設の中で最大で、江戸期には蒸発防止のための屋根がかけられたり、清掃用の小舟が浮かべられていたという記録が残る(大石内蔵助書簡)
平成28年度から発掘調査が続けられているが、この日は誰も居なかった。
なお上述の大石内蔵助は忠臣蔵で有名なあの内蔵助だが、その訳はのちほど…
さらに先へ進むと遊歩道は下り始める。
前方に何やら構造物が見えてきた(9:12)
構造物の正体は立派な吊り橋。
なんか某SF映画に出てきた巨大な鳥かごみたいだが…
手摺も鋼製で、0.1トンが歩いても全く揺れないほど頑丈。
もしかして、先ほどの檻部分は、ハイカーを何モノからか守るため?
うっ、これはもしかして…
”Watch Out! Run Run Run!!"(気をつけろ! 逃げろ!)
脳内でジュ●シック・パークごっこを楽しみながら急坂を登っていく(笑)
9:19 遊歩道終点(標高約445m)
ここで引き返す方が多いようだが、さらに先に進む。
2021吉備路探訪② 猫城主さんじゅーろー 備中松山城 に続く…
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