ツーリング日和25(第37話)千草は幸せ

 はっ、どういうこと。

「千草は京本を知ってるやろ」

 そりゃ、知ってるよ。幼稚園から中学まで同じだもの。

「末次さんの大学の時の彼氏や」

 えっ、まさかのまさかだ。京本君は頭が良いから明文館には行ったけど、中学でもバンド組んでたぐらいで、

「ああいうタイプはモテるんよな」

 うぐぐぐ。それは否定しない。ロックバンドだったから不良っぽい雰囲気もあったし、なかなかの優男だった。千草だってエレキギターを弾いてるのを格好良いと思ったもの。高校でもバンドを続けてたの?

「なんかバンド甲子園みたいなもんがあって、賞を取った話は聞いとる」

 あの末次さんが京本君に惚れたって言うの。

「そこは知らん。京本が惚れたんかもしれん」

 それって末次さんの心はどこかでコータローから離れてたのか。

「そやけど、あれで良かったと思うてるねん。唯の提案は無理がテンコモリやったけど、結婚したいんやったら、それぐらいの条件を呑まんと無理やった。そやけどや・・・」

 それって本当の話なの。

「わからん。あくまでも小耳に入れた噂や。ひょっとしたら、そやから嫁に出されたんかもしれん」

 千草はまったく聞いてないけど、もしかしたらコータローのお父さんが医者仲間から聞いたのかもしれない。医療情報だから本当は他人に話したらいけないはずだけど、田舎なんてプライバシーなんか無いようなところだものね。

 最後のところはわからないけど、コータローの親父さんだってコータローと末次さんとの関係はそれなりぐらいには知っていたはずだから、あえて耳に入れたのかもしれない。それ以前に話さずにはいられなかったのかも知れないけどね。

 だってだよ、あの末次さんが妊娠して中絶までしたって言うの。まあ大学生で彼氏が出来たらやらない方が不自然だし、失敗すれば起こるとは言えるけど、意外なんてものじゃないよ。

 それだって親に隠れてコッソリ処理するなんて話はいくらでもあるし、千草の高校でもカンパを協力された事もある。だけど末次さんは親にバレる修羅場になってしまったのか。

「そやからの気もしてるねん。だってやぞ、唯は嫁に行ってもてるやんか」

 これも気になってた。家業は従兄弟さんぐらいが継ぐって話は聞いてたんだ。これは女じゃなく男に継がせたいぐらいの話だと思ってた。この辺は故郷ぐらいの田舎でも婿養子を迎えるのは大変なところがあるからね。

 けどさ、コータローの話なら、高校までは婿養子を取って家を継ぐ話だったはず。それなのに末次さんはお嫁に行ってるんだよ。どこで話が変わったかだけど、コータローの言う通り妊娠中絶事件の影響はありそうだ。

 妊娠中絶なんてやっちゃうと、どうしたってキズモノのレッテルが貼られてしまうのよね。こればっかりはどうしたって出てしまう。そうなると婿養子を取るハードルがさらに高くなってしまう。それより以前に、

『こんなふしだらな娘に家を継がさん』

 こんな話が出て来たって不思議とは思わない。そういう田舎だぐらいはよく知ってる。田舎じゃなくたって出るんじゃないかな。勘当みたいな状態にはならなかっただろうけど、

「それもわからんで。その証拠って訳やあらへんけど、あの離婚話も不自然なとこを感じへんかったか」

 そうなんだよね。浮気から離婚になったのは良いとして、そうなった時に出て来るべき人が出てないのよ。それが誰かって、そんなもの末次さんの御両親だよ。末次さんは東京では一人みたいなものだから、ああなれば離婚をするにしても定番中の定番の、

『実家に帰らせて頂きます』

 これが出るはずだ。そうやって義実家と距離を置き、実の親と言う援軍に守ってもらい、末次さんの家なら弁護士を雇って離婚協議に入るはずだと思う。

「そやろ。軟禁の話かって、なんで一人で話し合いに行かなあかんねん」

 確かにそうだ。それまでに離婚交渉に有利な条件をそろえて、最低でも弁護士同伴、両親だって出席したっておかしくないどころか、一人娘ならそれが普通だろ。そうなると大学を卒業してからは家から実質的に追い出されていた状態だった気もする。コータローは大きなため息を吐きながら、

「千草は気づかんかったか?」

 いや、あの、その、ファッションに無頓着なコータローでも気づいていたのか。これだって、あの末次さんの先入観があったから、そこまでと心の中で一生懸命否定しようとしたけど、やっぱり気づくか。

 あの時の末次さんは綺麗だったし、可愛らしさもあった。あったけど、あの綺麗さは普通じゃない。コータローでも気づくぐらいだから、千草だってわかる。あれは商売女の綺麗さだ。普通ならああならないんだよ。

 生野銀山の時は、どうしてって疑問しかなかったけど、こうやって点と線を繋ぐと、そういう事かって話になるんだよね。末次さんは離婚してから故郷に帰らずに神戸に住んでいると言ってた。

 これは故郷に帰り辛かったで良いのだけど、そもそも故郷に帰れない境遇だったで良いはずなんだ。実家からの援助がないとすれば、自分で稼がないといけないのだけど、末次さんが就職してたのは三年ほどなんだよね。その程度の職歴で長いブランクがあると、それなりの条件のところに再就職と言っても容易じゃない。

「それを言い出したら、離婚してすぐに神戸に戻ったのかもわからん」

 そっちもあるか。東京は刺激的な街だけど暮らすには家賃も生活費がとにかくかかるところでもある。そんなところでキャリアの無い女が高い収入を得る商売となると、

「泡風呂まで行ってないと思いたいけど」

 千草もそうだ。だけどコータローが言う通り、東京での暮らしに耐えかねて神戸に戻って来た可能性はあると思う。

「唯がどんな人生を選ぼうが他人の勝手や。そやけど、オレにとっての唯はあの時の唯やねん。過ぎてもた時間はどうしようもあらへんけど、昔のままにしておきたいぐらいはかまへんやん」

 コータローにとっての末次さんの存在はそうだったのか。コータローの中ではきっと穢れなき聖女になってるはず。だから、今の末次さんじゃないし、高校の時の末次さんでさえないのかもしれない。

 コータローが愛した末次さんは、高校生のコータローの目に映った幻想の中の末次さんで良いと思う。男が女より初恋の思い出を引きずるって言うけどコータローもそうなんだろうし、今のコータローには穢れなき聖女になってるぐらいで良いと思う。

「そこまでは言い過ぎや」

 コータローにしても高校卒業以来で末次さんに再会したはずだけど、コータローだって気づいたはず。末次さんはコータローを狙ってた。だってだよ、末次さんがこれから人生の一発逆転を狙うのなら、コータローは手頃過ぎる相手だ。

 千草が言うのもなんだけどイケメンだし、医者になってるからカネだって持ってると思うだろ。こんなもの誰が見たって玉の輿物件だろうが。それにだぞ、小学校からの幼馴染だし、高校の時には恋人関係でもあったんだ。

 ふと再会して焼けボックイに火が着くパターンは世の中に数えきれないぐらいある。千草とコータローだってそのパターンだもの。ネックは既に結婚していることだけど、その相手が千草だってわかった時の末次さんの目にコータローは気づいたのかな。

 あれは千草なら蹴落とせると喜んだ目だった。そうだな、あのツーリングの後に連絡を取り、千草抜きで二人で会い、そこから深い仲に持ち込むぐらいの算段だろ。そうやって寝取る女の話ぐらいは千草だって知ってるからね。

 ここだけど、やっぱりコータローは末次さんの目にも気づいていた気がする。だからこそのあの日の態度だ。だってさ、自分が医者になり、千草と結婚した話こそしたけど、末次さんの離婚話を聞いてからは、ひたすらツーリングの話しかしなかったもの。

 コータローは末次さんになんのキッカケも与えないようにしたはずだ。会ってしまったのはツーリング先の偶然ではあるけど、その場限りの出会いにしようとし、罠に嵌めるように生野銀山で別れてしまったはず。

 その後だって徹底してた。最初の予定の高坂トンネル越えなら多可から帰路が同じになるのよね。それでの偶然を避けるために生野街道を姫路ぐらいまで南下して、稲美町経由で帰るルートにしたはずなんだ。

 そこまで徹底した理由はすべて千草のため。あそこからたとえ半歩でも末次さんと関係が続けば千草が悲しむからだよ。千草の表情も読まれてみたいだ。いや、コータローならそれぐらいはわかるはず。

「オレもまだまだ若い気やけど、そろそろセピア色になっとる思い出が出て来とるな」

 コータローの本音はどうだったかはわからないよ。だって、なんだかんだで本物の末次さんが現れたんだもの。これで動揺しないはずないじゃないの。コータローにとっての末次さんはもうセピア色の思い出の中にしかいないで良いと思う。

 その気になればそこに再び色を吹き込むのだって可能だろうけど、そんな気は起こらなかったのだけは結果からわかる。たぶん再び色を吹き込んでも、コータローにとっては別人なのだろうな。

「あのな、オレの好みが気になっとるみたいやが、そんなもの千草しかおらへんやろが。千草はな、オレが選びに選び抜いた最高の女や。エエ加減納得せい」

 思い知らされた。高校卒業後の末次さんをあれこれ推理したけど、根拠にしたのは噂と会った時の印象だけ。だからどこまで合ってるのかなんて確かめようがないんだ。生野銀山で現実に起こったのは末次さんと出会ったことだけ。

 けどね、末次さんは千草が一番気になってる女なのよ。だってコータローの初恋の人だし、離婚してバツイチになったとは言え独身に戻ってしまってる。焼けボックイに火が着いてしまうには最悪のシチュエーションじゃない。この辺は千草だって同窓会で焼けボックイに火が着いた組だからわかるのよ。

 末次さんはコータローの元カノだけじゃなく、小学校から高校まで同じ幼馴染でもある。さらに別れたとはいえお互いに恨みや悪感情とか、シコリが無いのだってわかる。千草が何より恐れたのは、あの再会をキッカケにコータローと末次さんの交流が復活してしまうこと。

 コータローは即断だった。連絡先の交換を封じただけでなく、あそこからのマスツーまで封じ、速やかに末次さんを遠ざけてしまったんだ。あれは千草がそうなって欲しいと心で願ったからのはず。

 コータローはね、千草に惚れ、千草を口説き落とし、千草と結婚してくれてる。結婚してからだって千草をひたすら幸せにしてくれようとしてる。そのすべてを千草は見てるし、誰よりも良く知っているのよ。

 それなのに千草はずっとコータローがどこまで本気なのかどこかで疑ってた。そんなことを思ってたのが今は恥ずかしすぎる。これ以上何を示せって話じゃない。千草は見えるがまま、感じるがままのコータローを素直に信じるだけで良かったんだ。コータローの本気は混じりっけ無しのホンモノだ。

 そうだよ、こんなにも千草は愛されてるんだ。これって千草が夢に見ていた幸せのすべてみたいなものじゃない。そのすべてをコータローは千草に与えてくれてるんだよ。なんて千草は幸せ者なんだ。だから今夜は、

「阿蘇の大噴火や」

 させられるのは千草だけど、そうなれるのがどれだけ嬉しいか。これこそが選ばれし者の特権だ。この幸せを守り抜き、さらに育てるのが千草の生きがいだ。

「それやったら夢の裸エプロン」

 シャラップ。そんなエロ爺の変態趣味は二度と口にするな。だいたいだぞ、アラフォーのブサイクでスタイルの悪い千草の裸エプロンなんて見てどうするんだよ。

「今晩は頑張ろうの、さりげないサインや」

 どこがさりげないだ。そのまましかないだろうが。他にどんな意味のあるサインだって言うんだよ。でもね、でもね、本音は涙が出るほど嬉しいんだ。だってさ、夫婦の夜の勝負は千草が無条件降伏状態にさせられてしまってる。

 完敗なんて甘いものじゃなく、千草のすべてを知られてしまってるし、コータローの思うように完全に変えられてしまってるんだもの。それも二人の夜を過ごせば過ごすほど、念入りにコテンパンに叩きのめされてる。

 お蔭でもうコータローに夢中なんてもんじゃない。恥ずかしいけど毎晩だって欲しいもの。だからコータローに求めてもらうためには何だって出来ると思うぐらい。ベッドで何を求められたって・・・口に出しては言えないけどあれぐらいは誰だってやるだろ。

 もしもっとディープなものを求められたら・・・そこまでコータローが求めないと信じてるけど、どうしても求められたら、その時はその時だ。前向きの姿勢で善処するぐらいに今はしとく。

 だから裸エプロンぐらいって言いたいところだけど、誰だってどうしてもダメなものぐらいあっても良いじゃないか。でもいつまで拒否できるかの自信はグラついてるんだよね。それぐらいコータローが好きで好きでたまんないんだよ。

 もう何があっても離れるもんか。逃げようたって、鎖で繋いで鉄格子の部屋に監禁してやる。千草の愛の大きさを舐めるなよ。覚悟しやがれコータロー。