権田保之助ん家

権田保之助に関する情報を掲載

大原社研で再度「権田保之助資料」を閲覧しました!

(長文のため、お時間無い方は赤字を拾い読みいただければと思います)

またこの日がやってきた。
前回の大原社研での「権田保之助資料」閲覧で閲覧できなかった資料、追加で閲覧したい資料の閲覧を行った(4/6、4/26)。
今回私が閲覧した資料を本文の最後に記載する。

[閲覧した感想、気づき、発見など]
1.欧米旅行日誌、旅費明細帳など(資料番号4)
大正13年~14年の外遊時に、権田保之助がいつ、どこへ行き、何をしたかなどを知る手掛かりとなる興味深い資料だと思う。

2.権田保之助の未公表随筆「渡欧土産」(未定稿)(資料番号30)
前回閲覧した未公表随筆「渡欧土産」(権田速雄氏による清書)の原本(権田保之助が実際に書いたもの)である。
外遊時に新聞社へ投稿して連載した「渡欧土産」の校正原稿である。
文字はとても読みづらいが、新聞投稿記事と校正原稿を比較することで権田保之助の心情の変化などを知る手掛かりになるかも知れない。
いずれにしても、未公表随筆「渡欧土産」(未定稿)は権田保之助が外遊時に何を感じたかを知る上でとても貴重な資料だと思う。

3.「浅草地図」関係調査(資料番号22)
権田保之助が作成した関東大震災前(大正10年)の浅草六区地図の復元に関する、日本人と娯楽研究会(昭和57年~昭和61年)の研究・調査資料である。
日本人と娯楽研究会によって復元された権田保之助の「浅草社会地図」は江戸東京博物館の常設として大正コーナーの床面に大きく展示された。

4.文明学会資料(資料番号17-21)
 権田保之助などが設立した文明学会に関する案内文、講演会や展示会への出席者の芳名録などである。芳名録には、和辻哲郎、芥川龍之介、辻潤、川上邦世、平櫛田中、酒井庄吉、渡辺庄三郎、櫛田民蔵、森戸辰男、村岡典嗣、菅原教造、権田保之助など当時の文化人等の名前が書いてある。

5.新聞記事スクラップ(資料番号16)
 薄い茶色の紙を紐で束ねた手作りのスクラップ帳に、大正13年~大正15年のラジオ、大正5年から昭和3年の映画に関する新聞記事が所狭しと貼られている。
 当時、ラジオや映画が新聞でどう扱われたのか、時代と共に扱いがどう変化していくのかなど知る上で貴重な資料だと思う。
 特に大正12年の関東大震災前後での記事の変化は興味深い。
 権田保之助が投稿した映画に関する記事も貼られているので、権田保之助が当時どういう立場にいたのかなどを知る手掛かりになると思う。

 そして、お宝を発見した!
 権田保之助が脚色及び監督をした内務省衛生局腸チフス予防宣伝映画「妖雲散じて」に関する新聞記事が貼られているのだ。なんと、権田保之助の中野の自宅で撮影された。機会があれば是非視聴したい!

 

[新聞記事]

〇衛生局長御自慢 宣伝劇「妖雲散じて」腸チフス予防の映画製作(大正12年8月6日)
 ・内務省衛生局防疫官飯村保三氏の監督、活動写真研究所長権田保之助氏の指導によって製作されている「妖雲散じて」は全5巻に法定伝染病中で約5割5分を占めている腸チフスの恐ろしい伝搬力を現し、その予防と撲滅は国民全部の自覚によらねばならぬことを興味ある脚色にしたもの。
 ・今7分くらいできている。
 ・今日午前10時から権田所長の自邸府下中野町本郷549に所長初め飯村防疫官も集まり、主役となった活動俳優近藤伊代吉君らの一行も加わり、権田所長の邸内を舞台として、患者診察の場その他を映した。
 など。

〇「妖雲散じて」(大正13年6月7日)
 ・「妖雲散じて」全5巻を腸チフスの盛んな青山方面で公衆に見せた。
 ・付近の洋食屋の客足がバッタリと止まった。
 ・「妖雲散じて」で洋食屋のコック場の汚い所を見せているのが原因。
 ・警視庁でも気の毒に思ったが、衛生上仕方がないのでどうすることもできなかった。
 など。

6.古典映画雑誌パンフレット類(資料番号47)
うきよ、改造世界、影絵、活動公論、Kinema Times、カフエー世界改題巷燈、活動写真雑誌、The Kinema Times、映画雑誌、フイルムタイムス、キネマ旬報、映画新聞、活動写真新聞、民衆娯楽、松竹キネマニュース、煙都キネマ、映画之栞、ムーヴィー、ENTO KINEMAなど、活動写真(映画)に関する多種類の雑誌やパンフレットが発行されたことが分かる。それにしてもこれだけ多数の雑誌類を集めて保管していた権田保之助は凄いと思う。
閲覧時間に余裕がなく、全てを閲覧することはできなかった。

7.関西弁士協会・説明者協会(資料番号11)
 大正12年~昭和2年の関西弁士協会・説明者協会の会報や月報などである。
 関西説明者協会の会報にて、権田保之助は「説明芸術の誕生」を投稿している。
 関西弁士協会の月報にて、橘高広は「社会事業と活動写真」を投稿している。

8.外遊時各種パンフレット(資料番号31)
 1924年の外遊時に収集したドイツの映画製作会社などのパンフレット類である。
 閲覧時間に余裕がなくほとんど閲覧できなかった。

9.唖蝉坊(あぜんぼう)関係資料(資料番号35)
 民主芸能家である添田唖蝉坊が発行した大正8年~大正12年の雑誌「民衆娯楽」、「月刊民衆」などである。権田保之助も論文を投稿している。

 

[閲覧した資料のタイトル(閲覧順)]
4-3 大正十三年―大正十四年 欧米旅行 日誌 (其の二)
4-4 大正十三年―大正十四年 渡欧旅行 日誌 (其の三)
4-5 欧米旅行 人名蒐録 (名刺共) 大正十三年―大正十四年
4-6 欧米旅行 旅費明細帳 大正十三年―大正十四年
30-1 渡欧土産(未完稿)(外遊随筆)
22-3 T.10 「浅草社会地図」(権田用)
22-4 研究計画の概要
22-6 大阪「道頓堀・千日前」社会地図
22-7 〔小学校調査関係書類綴〕
22-8 〔浅草社会地図綴〕
22-9 〔「浅草社会地図」復元(地図班)関係書類綴〕
22-10 資料 大正10年東京、浅草
22-11 助成金の内訳
22-12 研究スケジュールと体制
22-13 小学校児童調査 職業分類のためのメモ(寺出)
22-14 浅草社会地図 作成のためのメモ
22-15 緑尋常小 6年男子「食べたか」大正10年調査
22-16 興業街コード表(検討案)
22-17 「浅草公園之図」
22-18 小学生の浅草体験調査数
22-19 コーディング作業について(小学校調査) 試案
22-20 社会地図班の今後の課題
22-21 中間集計(3月25日現在)
22-22 調査に付いての御注意・問題
22-23 〔新聞記事〕
17-21-2 文明学会 例会来会者芳名録
17-21-3 文明学会 公開講演会及び展覧会 来会者芳名録 
17-21-4 文明学会関係書類
16-2 〔新聞記事スクラップブック〕「大正 ラヂオ 11」
16-3 〔新聞記事スクラップブック〕
47-2 うきよ 第10巻第124号
47-3 改造世界 第4巻第2号 民衆娯楽の研究 浅草百態号
47-26 時事新報
47-28 日本興行新聞 第212号 活動写真博覧会号
47-29 日本興行新聞 第213号 活動写真博覧会号
47-4 “トモシビ”センチメンタル号
47-5 “影絵”第17号
47-6 歌劇叢書 第八編 喜劇歌 マダムアンゴ―の娘(下編)
47-7 活動公論 第1巻(六月号)第三号
47-8 Kinema Times VOL.1 NO.1
47-9 新国劇第六回公演 澤田正二郎一座 公園劇場
47-10 カフエー世界改題巷燈 第1巻第5号 7月号
47-11 活動写真雑誌 八月号
47-12 浅草 興行之友 創刊号
47-13 岡山県之社会事業 第1巻第6号 社会事業講習会號
47-14 蘇生
47-15 平和博覧会ニ関スル統計事項
47-16 The Kinema Times ANN.2 NO.2
47-17 The Kinema Times ANN.2 NO.2
47-18 映画雑誌 第4号11月号
47-19 歌劇評論 三・四月合併号
47-20 PHOTOPLAY Magazine No.4
47-21 フイルムタイムス VOL.1 NO1 創刊号
47-22 キネマ旬報 No.66
47-23 映画新聞
47-24 活動写真新聞
47-25 民衆娯楽 特別付録
47-27 日本興行新聞 第211号
47-30 演芸週報 第23号 第三回愛読者慰安記念号
47-33 週刊 活動写真新聞
47-34 松竹キネマニュース
47-37 煙都キネマ No.3
47-39 映画之栞 創刊号
47-41 ムーヴィー 創刊号
47-42 煙都キネマ No.2
47-43 ENTO KINEMA NO.1
47-44 映画雑誌 クローズアップ 創刊号
47-45 Film Stars Graphic
47-46 映画雑誌 影絵 第20号
11-11 関西弁士協会 月報 1月号
11-25 関西説明者協会 会報 5月号 第10期
11-49 映画解説漫談随筆雑誌 聲陣 第8年4月号
31-19 Das Programm der UFA-Theater
35-12 『演歌』改題 民衆娯楽 7月号
35-25 月刊民衆 5月創刊号 第1巻第1号

以上