やしお

ふつうの会社員の日記です。

読書メモ

吉川洋『高度成長』

https://bookmeter.com/reviews/120643719
1950年代半ばは働き手の半数が農業を中心とした一次産業従事者だったのが、1970年代初頭には3分の2が会社員になっていた、と改めて言われると、高度経済成長による日本の社会構造の変化の大きさに驚く。1951年生まれのマクロ経済学者の著者にとって、幼少期~青年期にあたる高度成長期を、数値だけでなく実感のこもった生活の細部の描写や写真によって、どう変化していったかを描いている。

 

加藤寛監修『図解 日本の漆工』

https://bookmeter.com/reviews/120643783
漆芸品・漆器の多彩な技法を概観すると、このどんな素材にも接着力がよく、硬化後に削るなどの加工性があり、数百年が経過しても質を維持する堅牢性がある漆という素材は、改めてこんな都合の良いことがあるのだろうか、みたいな気持ちになってくる。そして考え得るあらゆる応用的な技法が存在する。陶芸品・陶器は(もちろん種類にもよるが)焼成工程の中で偶然性を活かしながら出来上がる一方で、漆芸品・漆器はより人のコントロール下で出来上がる違いがある。

 

岩瀬利郎『発達障害の人が見ている世界』

https://bookmeter.com/reviews/120643807
ASD的/ADHD的/両者共通の特性を知ると、自分自身にもそうした側面があって無縁ではないと感じる。恐らく「全てのポイントで全くそうした傾向はない」と言い得る人はほとんどいないのだろう。日常生活や社会生活に支障が生じるかどうかは、周囲の理解度・許容度にもより、本書はASD/ADHDの言動の背景にある内在的なロジックを見せることで、その幅を少しでも広げようとする営みになっている。機序まで含めて体系的に説明はされないため、特性の全体感をまずは知るのには有用な本。

 

森功『地面師』

https://bookmeter.com/reviews/119355743
詐欺で騙される感じは山岳事故(遭難)で死ぬのに似ている。欲をかくと(仕事に間に合うように下山したい/絶対にこの土地を取得したい等)、多くのネガティブな徴候に、都合よく歪んだ解釈をしてしまい正しく判断できなくなる。ニセ地主を仕立てる、書類を偽造するなど、手口は案外前時代的なものなのは、根本的には公共機関側が、前時代的なシステムで証明や取引関係を電子的に確実に紐づけていない点に問題があるのではないかと感じる。本書を読むと、周辺の開発から取り残された荒れた家や駐車場を見かけるとつい「狙い目」と思ってしまう。


 この「ネガティブな徴候を、正常性バイアスみたいな感じでスルーして騙される」というの、大手不動産会社がトップ案件として経営層が自ら進めて誰も止められなかったというし、やっぱり「決まった手続きやチェック・ポイントを誰であってもないがしろにしてはいけない」仕組みになってないとダメなんだなと思う。


 詐欺集団に金を振り込んでしまうと、間髪入れずに多方面へ金がばらまかれてしまって、気付いた後ではもう金の流れが追えずに回収できなくなるという。これは地面師に限らず詐欺一般がそうなんだろう。
 逮捕・起訴されても、口を割らなければ、また出所後に「業界」に復帰できるようだ。あとそもそも、通常の不動産取引と詐欺の線引きが難しく、なかなか逮捕にたどり着かないし、被害者が加害者として警察に疑われたりする。
 一度振り込ませればバレても金はゲットできる、なかなか捕まらない、捕まっても「再就職」できる、といった条件が揃っているなら、地面師はなくならないんだろうなと思った。


 地面師詐欺では「有用な土地を持ちながら、資産管理・運用をきちんとしておらず、子供のいない高齢の資産家」が狙われやすいようだ。親から継いだ土地の収入で生涯働かずに暮らして来られて、次に継ぐべき子供がいなかったり、健康状態が悪化して先が長くなかったりすると、「別に資産なんかどうでもいい、あとは自分が死ぬまでの間、どうにかなればそれでいい」という気持ちになる。
 意欲的に資産管理をしている資産家だと、ニセ地主を仕立てて勝手に契約してもバレるリスクが高いので地面師も手を出しづらくなる。
 近所付き合いがある、交友関係が広い、親類縁者との付き合いがある、と人間関係が維持されていれば、不正に気付く人も多い。
 そのあたりが弱いと、最悪は「この地主に死んでもらった方がトータルで得」と判断されて殺されてしまう。
「資産があること」も規模が大きくなると、その個人の生命と比較する他者が出てくるからリスキーだ。

 

君塚直隆『ヴィクトリア女王』

https://bookmeter.com/reviews/119218740
英女王ヴィクトリアの政治的な活動に焦点を当てて生涯を描く。イギリスでは17世紀に議会が立法権を、18世紀に内閣が行政権を掌握し、立憲君主制が確立されているが、19世紀のヴィクトリア女王の時代でも外交や首相任命・組閣といった側面で女王は大きな役割を果たしている。欧州各国の王室に散らばった自身の子供や孫との手紙や面会を通じて意思を伝え、首相・外相にも具体的な指示を与えている。必ずしもバランス感覚に優れていたわけではなく、固定的な対人評価や帝国主義的な価値観に基づいていた様子も本書では詳らかにされる。


 欧州で何度か起きた共和制移行の波の中で、融和的な方針を取ることで王室が維持されたという。本書の範疇の外(ヴィクトリア女王の薨去後)だが、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(ヴィクトリア女王の孫)が第1次大戦末期のドイツ革命で退位し、共和国へ移行した際も、当時の社民党は皇帝と皇太子の退位までを要求していて、皇室廃止までは要求しておらず、ヴィルヘルム2世の孫が継ぐのは容認していたという。しかし自身の退位を拒み続けた結果、なし崩し的に皇室廃止・共和制への移行が進んでしまったという。

 

連城三紀彦『戻り川心中』

https://bookmeter.com/reviews/119356698
人と人、人と事の間の関係性のねじれに巻き込まれる形で人が死ぬ、そのねじれが多重に転倒しながら詳らかにされる。各短編は独立しているがそんな構造が共通する。「桐の棺」が好きで、とりわけ「互いの立場や意地でデッドロックが発生する」状況が先鋭化される。侠客でない舞台や、ミステリでない(種明かしがない)形に換骨奪胎しても楽しそうだ。愛憎と殺害が、粒子と波動みたいな相補的な関係にあるために、全体として暗く耽美な雰囲気になるのかもしれない。

 ミステリや短編の形式上の制約かもしれないが、この「種明かしのフェーズに入ると一気に説明的/人が駒的になる」のが自分はあまり好きではないんだなと改めて思い出した。

 

村上翠亭『「かな」の疑問100』

https://bookmeter.com/reviews/119545932
かな書道の基礎知識を網羅的に知られて有用な本。変体仮名による構造性の補完、墨継ぎのタイミングでの濃淡の表現、連綿/放ち書きの選択、改行位置や散らし書きによる配置の決定、等々によって、紙面空間にリズムを生み出していく営みのようだった。大量の実作を収録して多少乱暴でもランク付けして、どの点を評価しているのか解説していくような(諏訪恭一『品質がわかるジュエリーの見方』のような)本があれば、価値基準を内面化できて楽しそう。

 

津堅信之『日本アニメ史』

https://bookmeter.com/reviews/119568496
主に監督とスタジオから辿る通史。日本のアニメ史全体で(特に業界構造の面で)大きく方向性を決定づけたのが手塚治の『鉄腕アトム』(1963年)と庵野秀明の『エヴァンゲリオン』(1995年)と総括される。『君の名は。』や『鬼滅の刃』は興行収入面で突出しても「方向性を決定づける」とまでは言えないという。30年周期だとちょうど今エポックメイキングな作品が現れる(既に現れた)のだろうか。通史を一気に読むと、黎明期から現在までずいぶん遠くまで来たわ、と感慨深いような気持ちになる。

 

増山雅人『将棋駒の世界』

https://bookmeter.com/reviews/120573172
材質(黄楊)の採取地・部位や、漆の技法によって、将棋駒の高級/普及品の差異や価値観があると知って面白い。ただ例えばスーツなどと比べると細部にわたって厳密なコードがあるというわけではなさそう(自由の幅が広い)で、それは服飾と比較すると身分やシチュエーションを現すわけでもなく、使用者(需要)が限定的である点から来るのかもしれない。最も普及している書体「錦旗」が、後水尾天皇の書をベースに作られたというが、本当に何につけても後水尾天皇の名前は出てくるから、やはり江戸初期において文化的な影響が絶大だったのだろう。


 本書は豊富なカラー写真で解説されていて、実際に使用されてきた駒(タイトル戦の対局場所になった旅館などの所持している駒や、プロ棋士の所有駒など)も紹介されている。「道具」という側面が強いからか、使い込まれて飴色になった駒の方が美しいように思えてくる。
 書体としては「無剣」や「阪田好み」といった隷書・篆書ベースの駒もあり、初めて見た。

 

『なごみ2018年10月号』

https://bookmeter.com/reviews/120541059
江戸中期の公家 近衛家熈(予楽院)の特集があると知って購入した。有職故実、漢籍、詩歌管弦、茶、書画に通じ、当時の主に宮廷文化を再整理した人として、近衛家熈の生涯や業績、後代への影響を解説する本が(講談社学術文庫やちくま学芸文庫や中公新書あたりで)あれば嬉しいが、現状ではなさそう。ボタニカルアーティストとしての側面での取り上げられ方が面白かった。


 「茶道の雑誌」を初めて手に取ったが、書・画・器・料理と周辺領域が広い。V6の長野博氏が割烹に挑戦する連載なども載っていて面白かった。

 

カレーちゃん、からあげ『面倒なことはChatGPTにやらせよう』

https://bookmeter.com/reviews/120266555
ChatGPTで現状何ができて、何が苦手か具体例を交えて解説される。周辺準備や、つまづきやすいポイント、より上手くいくコツといった、「実際にやろうとする人が実は知りたいこと」を省かずに伝え非常な親切なつくりになっている。ハルシネーション(嘘を自信満々に断言する)や、繰返し聞き返すと違う答えが返ってきたり、「限界を超えろ」などと鼓舞すると成功したり、人間らしいファジーな挙動が面白いし、どのようにそうした挙動が生じるのか今度はそちらが気になってきた。

 

春海水亭『致死率十割怪談』

https://bookmeter.com/reviews/119761222
ホラーというジャンルの幅の広さを感じる短編集。怪異とバトルするもの、怪異に一方的かつ物理的にやられるもの、ただ「ある」もの、怪異ではなく人に一種の縛りを受けるもの、怪異よりも様子がおかしい人が出てくるもの、怪異が妙に人間臭く過ごすもの……強いフックでつい笑ってしまう場面が多いと思いきや、ふいに切なさに満たされるような場面もあり落差が大きい。作家志望者にとって何の参考にもならない出版に至る方法論や、あとがきも含め、最後の最後までふざけ尽くしてすがすがしい。

 

黒川みどり『増補 近代部落史』

https://bookmeter.com/reviews/120541014
明治以降の被差別部落の差別の歴史を概観すると、差別解消が一直線で進んでいったわけでは全く無いことがわかる。政府や自治体は、税収増や国際社会へのアピールに有効なら差別の解消を進めるし、人々の差別感情を利用した方が統治に有利なら差別を増長させる。差別解消を目的とした団体の方向性も、その時々の政府の方針と、それに呼応した世間の感情とも無縁ではなく、一枚岩ではいられない歴史があった。


 差別(の解消)が、経済的その他の構造に起因する(時間が解決する)という側面が確かにあるとしても、解消を10年、20年早めるか遅らせるかは個人の働きによる影響も大きく、「声を上げた誰か」は歴史的な構造の中では「誰でも良かった」と言えたとしても、それを引き受けた人がいて成り立つのだと、一つの差別の歴史を丁寧に追ってみると一層そう考えられる。

 

岩田リョウコ『週末フィンランド』

https://bookmeter.com/reviews/120511720
観光業が盛んというより、現地の暮らしの体験が最大の観光資源になっているようだと感じた。ミスやトラブルの体験も包み隠さず書かれていて、フィンランドの人々の親切さや善良さがかえって際立つ。コーヒーの最大の消費国だという話から、以前読んだコーヒーの歴史の本で、第2次大戦で欧州最大の消費地ドイツが枢軸国となり禁輸措置が取られ、行き場を失った良質なコーヒーが北欧へ流れたことでコーヒー文化が根付いた、という話を見たのを思い出した。

 

小林健治『最新 差別語・不快語』

https://bookmeter.com/reviews/120511635
差別語にはニュートラル(本義)/ネガティブ(賤称)/ポジティブ(尊称)の三相が時間経過(や社会的な構造)によって生じてくるが、この三相を同時に見ないと、差別に加担したり、逆に過剰で機械的な抑制で言葉狩りになってしまったりする。本書は広範なジャンルの差別語について、その言葉がどういう経緯で差別語となっていったのか、どういう批判や指摘がなされてきたのかを具体的・網羅的に説明してくれて、この三相をより正確に把握し、言葉のより適切な選択の判断に有用だと感じた。

 

八潮久道『生命活動として極めて正常』

https://bookmeter.com/reviews/120307296
私は著者だが、最初の読者でもあるので、読書感想文を書くことにする。7編を収録した短編集で、人物や世界は作品間で独立しているが「現実と少しズレた世界で、そこに適合したり、しなかったりする人達を描く」点では共通している。あるルールの中で必死に対処する姿は、外部からは滑稽に見えながら愛らしくもある。そうした状況が作者は好きなのだろう(と書いた後で改めて感じた)。書下ろしの「命はダイヤより重い」は、そのズレた世界のルール自体が少し変化していくという点で、より未来に向かって開かれているような印象を抱いた。

 

浜本隆志『紋章が語るヨーロッパ史』

https://bookmeter.com/reviews/120572678
日本の家紋と比較して、西欧の紋章の構成(色彩・図案・分割・合成等の規則)が複雑なのは、家単位より個人で継承する側面が強くバリエーションが増えがちなのと、支配・継承関係を表示するために他の紋章を序列をつけてどんどん取り込んでいくからだという。紋章官という存在が、戦場での各騎士の戦果を記録する役割から、平時の騎士同士の試合(トーナメント)の行司役となり、さらに紋章の認定、紛争の裁定、養子の認定など裁判官のような働きもしたというのが面白い。


 本書は「紋章」に限らず、ヨーロッパ史でのシンボルの果たした役目の概観を目指していて、「支配層における権威の表徴としてのシンボル」だけでなく、「被支配層、さらに被差別者に対する表徴」の話も書かれる。紋章にフォーカスして書かれた本として期待すると少し方向が違うのかもしれない。

 

藤沢周平『暗殺の年輪』

https://bookmeter.com/reviews/120571931
43歳でのデビュー作を含む初期短編集。1970年代に書かれた作品でも古さを感じないのは、時代劇だからという以上に、エンタメとしての「型」が今と変わりないからだろう。短編としては登場人物の数が多く、かつ各々に背景や関係が設定されているのは、非常に手間のかかった仕事になっている。ドラマの結末としての意外性はないが、周辺の顛末や動機にかなり捻りがあって、必ずしも全て爽快な読後感には導かないところが、現代のエンタメと方向性が異なりビターな味わい。


「暗殺の年輪」の「仲の良かった道場仲間といつの間にか理由もなく疎遠になる」冒頭はBLっぽかったり、「ただ一撃」は「おいぼれジジイが実は剣の達人で、偉い人から請われてバトルする」話だったりするけど、死ぬはずのないような人物が死に至ったり、いい奴であって欲しい人がそうではなかったり、「読む側を簡単に気持ちよくさせてあげる」方向ではない点がビターで、そういうのを読みたい時に読みたくなるお話。