やしお

ふつうの会社員の日記です。

小野マトペ氏の逮捕・裁判のこと

 小野マトペ氏の東京地裁での裁判について、傍聴した今井亮一氏が1/9と2/16の2回メルマガで報告したものを読んだ。
 放っておけば何の実害もなかった事柄を、直接的な利害関係者でもないたった一人の第三者が通報することで、逮捕され生活を破壊されなければならないのは、やっぱり何かアンバランスなんじゃないかと改めて怖くなった。



 メルマガの内容以前に、逮捕の報道に至るまでの経緯を再確認すると以下の通り。


 2020/3/17 20:15に「私はコロナだ」とツイートし、同日21:14に「濃厚接触の会」という言葉と飲食店のテーブルに乗ったビールの写真をツイートした。ビールのグラスには店名の入ったロゴが印刷されており、写真にはロゴが写り込んでいる。
  https://twitter.com/ono_matope/status/1239872988704464899
  https://twitter.com/ono_matope/status/1239887919768199168
 前後3日間のツイートを改めて読み返しても、普通に生活しながら色んなニュースや記事にコメントがされているばかりで、本人が新型コロナ感染者だと解釈することは難しい。
 なおその店は国内に10店舗ほど展開されているが、店舗ごとにロゴの色が異なるためグラスの写真から店を特定することはできる。しかしその店を最初から知っているか、わざわざ調べなければ特定することはできない。予備知識なしに見ると店のロゴではなくビールメーカーのロゴのようにも見える。


 7/30に逮捕の報道が流れる。「FNNプライムオンライン」の2020/7/30 19:28の記事は以下の通りだった。(現在は記事ページは削除されている。)

フリマアプリを運営する「メルカリ」社員の男(35)は、2020年3月、SNSに「わたしはコロナだ」と投稿したあと、東京・千代田区の飲食店に入り、店内の写真を添付したうえで、「濃厚接触の会」と再び投稿し、店の業務を妨害した疑いで逮捕された。

  https://www.fnn.jp/articles/-/68608


 7/29に逮捕されたが、検察による勾留請求・準抗告が棄却されたため、7/31に釈放された。
 逮捕による身柄拘束は最大72時間であり、逮捕後は被疑者の身柄と証拠が検察官に送致される。検察官が裁判官に勾留請求をして認められれば最大20日間の身柄拘束を受ける。準抗告は、裁判官が下した勾留/保釈の判断に対して、裁判所へ変更の申立てをすること。勾留請求が却下された場合に検察官が準抗告を申し立てた場合、その申立てが棄却されるまで被疑者は釈放されない。
 逮捕されても勾留されずに済むかどうか、不起訴になるかどうか(起訴されれば初公判まで2ヶ月程度さらに勾留が続く)は、被疑者にとって死活的に重要だが、似たようなケースでもまちまちになっている。

  • 熊本地震で「ライオンが放たれた」ツイートで偽計業務妨害で逮捕 →2日後に釈放(勾留なし)・不起訴処分
  • 宇都宮の家電店で「俺はコロナ」発言で威力業務妨害で逮捕 →3ヶ月後に執行猶予付きの有罪判決
  • 茨城のスーパーで「俺はコロナ」とくしゃみして威力業務妨害で逮捕 →勾留後に不起訴処分


 たとえ勾留請求が棄却され、かつ不起訴処分になった(前科はつかない)としても、逮捕される(前歴がつく)だけでも大きな不利益を被る。最大72時間の拘束を受けるだけでなく、報道(特に実名報道)されたり失職したり、あるいは例えば米国の場合はビザなしでの渡航(ESTA申請のみの渡航)ができなくなる。在日米国大使館・領事館のウェブサイトでは以下のQ&Aが記載されている。

私は過去に逮捕されたことがあります。ビザなしで渡米できますか?
いいえ。逮捕歴がある場合は、ビザ無しで渡米することはできません。あなたの渡米資格を判断するためには、ビザの申請が必要です。ビザ申請の際には、判決謄本・裁判記録・またはあなたの犯罪歴に関しての関連書類を全て提出しなければなりません。日本語の書類には英訳文が必要です。もしお手元にそれらの書類をお持ちでない場合は、あなたが手続きを受けた裁判所を管轄する地区検察庁にご自身で連絡を取って入手してください。審査には数週間から数ヶ月間を要しますので、予めご承知の上、渡米予定日に充分余裕をもって申請してください。なお、パスポートがお手元に届くまでは航空券の購入や旅行の最終決定は控えてください。

  有罪判決を受けた人 | 在日米国大使館・領事館



 メルマガ「今井亮一の裁判傍聴バカ一代(いちだい)」の内容のうち、著者の解釈・感想を除いた概要としては以下の通りだった。

  • 飲み会へ向かう途中の電車の中で、群馬で「俺はコロナだ」と言って逮捕された人のニュースを見た。
  • このフレーズに「うなぎ文(ぼくはうなぎだ)」的な面白みを感じて「俺はコロナだ」と投稿した。
  • 当時メディアで「濃厚接触」について言われていて、10名ほど参加していた飲み会だったため時事ネタとしてツイートした。
  • 当該ツイートは翌日になってもリツイートはされていない。
  • 任意での取調べの開始はツイートから3ヶ月後の6月19日、逮捕は7月29日。
  • 逮捕される以前に、1ヶ月ほど在宅事件として警察に協力していた。
  • 逮捕理由について「故意を否認したため逮捕された」と被告人は聞いた。
  • 検事からは執拗な説得・脅しを受け、また被害店との示談のために、略式手続に応じた。
  • 略式命令に不服として被告人から裁判を請求した。
  • 第三者から被害店にそのツイートに関してメールが送付された。通報したのはその1名のみだった。
  • そのことで被害店は普段より多くアルコール消毒をすることになった。
  • 検察の求刑は罰金30万円。


  第2501号 「私はコロナだ」「濃厚接触の会」とTweet、“匿名警察隊”が事件に仕立て上げた? - まぐまぐ!
  第2512号 「私はコロナだ」で偽計業務妨害、匿名警察と自白強要がつくった犯罪か - まぐまぐ!
※メルマガは毎月100円で購読でき、バックナンバーも1ヶ月分を100円で購入できる。


 なお「うなぎ文」とは、店での注文で「私はうなぎにする」の代わりに「私はうなぎだ」と答えても意味が通じるような、「~は~だ」という形式の文を言う。言語学者の金田一春彦が1955年に出版された『世界言語概説 下』の中で「だ」がイコールを必ずしも意味しないと指摘したところからきているという。
  http://w01.i-next.ne.jp/~g140179870/unagibun.html


 群馬で「俺はコロナだ」と言って逮捕された人のニュースというのは、3/16夜に報道された「乗客「自分はコロナ」 JR両毛線、1時間遅れ―群馬」のことだと思われる。ちなみにこの男性は酒に酔った様子で、駆けつけた警察が電車から降ろしはしたが逮捕はされていない。
  乗客「自分はコロナ」 JR両毛線、1時間遅れ―群馬:時事ドットコム


 略式手続は、検察官による起訴とは異なり、非公開で罰金・科料を科す刑事手続のこと。略式手続により裁判所が下す命令が略式命令。略式命令を受けた被告人は不服があれば14日以内に正式裁判の請求をすることができる。今回はその正式裁判の請求をされたために刑事裁判に至っているという。略式命令を受けた場合は不起訴とは違い、刑罰を受けているためいわゆる前科がつくことになる。
 刑事裁判は、冒頭手続→証拠調べ手続→論告弁論→判決宣告というフローで進められる。自白事件であれば第1回公判期日で審理がすべて終了するケースが多いという。一方で否認事件の場合は第2回、3回と開かれる。今井氏のメルマガのひとつ目(1/9)はこのうち「冒頭手続」に該当し、「証拠の整理」の傍聴はスキップし、ふたつ目(2/16)が「論告弁論」に該当する。この後、約10日後に判決があり、判決翌日から2週間で控訴されなければ判決が確定となる。


 「業務妨害罪」には、被害者に分かる形でなされる「威力業務妨害罪」と、分からない形でなされる「偽計業務妨害罪」に分かれる。今回のケースは偽計業務妨害の罪に問われている。刑法233条は「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」であり、構成要件は以下の通り。

  • 虚偽の風説の流布:客観的真実と異なる事実を伝えること。「流布」は不特定多数でなく特定・少人数でも伝えれば要件に該当する。
  • 偽計:人を欺き、誘惑すること。人の錯誤・不知を利用すること。
  • 業務の妨害:「業務」は人や会社のなす仕事のこと。

  業務妨害罪とは?偽計業務妨害罪と威力業務妨害罪の違いや罰則について | 姫路の弁護士による逮捕相談 | 弁護士法人ALG&Associates 姫路法律事務所


 他の偽計業務妨害罪が成立したいくつかのケースと比較しても、今回のケースは「店が特定できるような写真が投稿されている」「(文脈から明らかに冗談だと分かったとしても)嘘が書かれている」「その嘘が他者にダメージを与え得るものになっている」といった事実があるため、外形的には恐らく成り立つのだろうと思われる。(ただ、「偽計」は本当に成り立つのだろうか、という気はする。)当時、似たような冗談、あるいはもっとひどい(より実害を与え得る)冗談をネット上に書いた人も大勢いるだろうが、「スピード違反をみんながしているのに自分だけが捕まるのはおかしい」が許されないのと同じことで、それは免罪符にはならない。
 店のロゴが写ってさえいなければ、何となくでもそんな冗談を書かなければ、と思うけれど、そんなことは当人がもう数え切れないくらい考えているはずだ。


 今井氏はメルマガの中で、「本件を傍聴して痛切に思ったのは、業務妨害の犯人は完全にその第三者、匿名警察でしょ! ということだ。」という感想を述べている。通報者が純粋な親切心を動機としていたのか、あるいは「ハメようとして」通報したのかは、現時点では不分明だ。ただこのケースでは、そのツイートは拡散もされず、見た人が本気で「感染を分かっていてわざと店に行っている」とも「嘘を拡散させて騒動にしようとしている/店に迷惑をかけようとしている」ともその時点では考えられていなかったとは言えるだろう。
 ベランダの縁に置かれた植木鉢を、赤の他人がわざと落として下の通行人にぶつけて、「こういう置き方をするのが悪い」と言う。置いた人は悪い、置かない方がいいに決まっているとしても、わざと落として人にぶつけた人は許されるのだろうか、という疑問が残る。また「そう置いたのは下の人にぶつけようと思ったからだろう」と置いた人が責められれば「そうじゃない」と言う(故意を否認する)のは自然だとも思う。
 実害が発生し得る状態が作られて、現にまだ実害が発生していないのなら、「風や地震で落ちて人に当たったら危ないからやめるべきだ」と忠告してやめさせて「今後は注意します」で終わるくらいが妥当なのではないか。(警察・検察との具体的なやり取り等は分からない、当人の正確な認識は必ずしも分明でない、という留保はあるとしても。)


 逮捕の報道がされた時に、ネット上でも当人の勤務先と結びつけて揶揄したり、愚かだと一方的に見下したりするコメントをいくつも見かけた。見ていると他人ながらつらい気持ちになった。
 (1)実害を受けた人、(2)実害が起こり得る状態を作った人、(3)実害を引き起こした人、の3者がいたとして、(1)は間違いなく被害者だとして、(3)は正義の人で、(2)は「3ヶ月後に事情を聞かれて対応していたらその1ヶ月後に逮捕・報道される」というのだと、(2)と(3)のバランスが変じゃないかという気がした。現に実害がわずかでも発生している以上、(2)が(1)へ民事で賠償程度がちょうど良くて、この(2)へのダメージは「オーバーキル」じゃないか、「やったこと」と「報い」のバランスの傾きが大き過ぎるんじゃないかと感じた。こういったことを書くと「甘い」と言われそうだけれど、「お互いがお互いに厳しすぎる社会」は幸福なんだろうかとも思った。
 「馬鹿なことする人もいるんだなあ、ハハハ」というより、自分の身に置き換えて想像するとすごく怖い、という感覚の方が、この話については強かった。ネットでわずかでも隙を作れば、たった一人が通報するだけで逮捕されて身柄を拘束されたり、報道されて職を失ったりする。
 もはや刑事裁判は進められており、一審判決が近いうちに出されることになるとしても、ダメージは最小であってほしいと心底願っている。