ICUミスコン論争に関して思ったこと

ここ数日間、twitterやfacebookなどで、国際基督教大学(ICU)ミスコン論争が盛り上がっている。そして、私自身も盛大に参加している状況だ。これから何度か、ぼちぼちペースになるだろうがミスコンについては書いていこうと思っているが、まずはいきなりの論争勃発についての経緯およびちょっとした感想まで。

4日ほど前にtwitterにて、ICUにてミスコンが開かれるというツイートをみた。その瞬間、卒業生として全力で反対という趣旨のツイートを書き込んだのだった。twitterにて同じく卒業生(年代はだいぶ違うけれども)の数人と対話をしているうちに、卒業生であり、しかもフェミニストとして研究や運動に関わってきた私が何もしないわけにはいかない問題だと思えてきた。ツイートを一つ二つするだけではなく、しっかり「反対の声がある」ということを表明していかねばと。

そこで思いついたのがfacebookの利用。反対の趣旨のグループをまずfacebookで立ち上げることで、反対の声があるということを示すことができ、それが残り、(twitterのように流れてしまわない)、賛同する人、興味がある人を募ることもできるのではないかと考えた。日頃facebookを使っているとはいえ、限定された使用しかしていなかったので、pageなのかgroupなのかどちらが適切なのかよくわからないままに、とりあえず両方つくってみた。そこでつくったのが、「ICUのミスコン企画に反対する会」のページ&グループだった。もっとfacebookに詳しいマサキくん(id:kleinbottle526) にもページ&グループのオーナーになってもらい、とりあえず二人で始めてみたのだった。

趣旨などについてはマサキくんのブログもご参照のほど。
【Facebook上の『ICUのミスコン企画に反対する会』ページ&グループのご案内】

できたてほやほやの、ウェブサイトはこちら。ICUのミスコン企画に反対する会

facebookページ&グループを作ってみたら、twitter上でかなりの勢いで議論がすすんでいたことも影響し、ページの"like"をクリックしてくれた方々が増えていった。"like"(いいね!)をクリックした人たちは必ずしも全員が反対を支持しているわけではないかもしれないが、少なくともICUのミスコン反対の動きに興味を示している人たちの数ではある。そして、同時につくったグループは、よりコミットしたい方々のため、という位置付けだったが、こちらも徐々にメンバーが増えていった。そして、このグループにおいて、公開の状況で、声明文を書き、編集し、呼びかけ人を募り、署名をお願いするということが行われた。そして、在校生の方々が呼びかけ人に加わってくださったことは、とても嬉しい展開だった。

同時に、twitterでは相当な勢いでICUミスコン議論が展開されていた。
twitterでの経緯については、以下のtogetterにまとめられている。
【時間逆順】ICU(国際基督教大学)でミスコン!?【下から上に向かって読んでね】

投稿数が2000を超えているところからして、この話題が盛り上がっていることがわかると思う。もちろん、賛成派、反対派、中立派入り乱れての事だが、正直言えば、2011年の今「ミスコン」で、大学生からもっと上の世代まで幅広い層がこれだけツイートし、議論しているというのは、私には驚くことだった。上記のtogetterの編集方針は、編集者の目についたツイートはできるだけ網羅して広うということだが、もちろん全部拾えないという限界はあれども、こんなにミスコン反対の立場の声がでてくるというのも、正直いえば驚いた。20年前の「ミスコン論争」のときだったら、きっとこんなに反対の声をあげる人はいなかったのではないか、という気がするのだ。この変化はどこからきたのか、考え中だ。

1980年代後半から90年代はじめ頃にかけて巻き起こった「ミスコン反対運動」の大きなきっかけとなった、1989年堺市女性団体連絡協議会の「ミス・コンテストはいらない!」集会、そしてその翌年4月の、大阪での国際花と緑の博覧会(花博)でのミスコンテスト実施に対する堺市女性団体連絡協議会を中心とした女性団体の抗議運動、同年に行われた、ミス東京コンテストに対する行動する女たちの会の反対運動。これらの動きが、とくに自治体スポンサーのミスコン反対運動ということで、地方にもかなり広がっていったのが90年代はじめだった。(この頃のミスコン反対運動−とくに行動する女たちの会関連の−についてはぼちぼちとブログなどで書いていったほうがいいかなと思い始めている。)
だが、その後、このミスコン抗議運動の流れは消えていってしまい、95年の北京会議の頃にはかなり収束状態になってしまっていたように思う。ちょうど草の根の団体による運動から、「男女共同参画」運動に移行していった時代。そして、女性国際戦犯法廷開催にむけての動きも一つの流れとして確実にあったものの、もう一つ、北京会議に出かけていった多くの女性たちは、その後「男女共同参画」運動のほうに流れて行った。1999年の男女共同参画基本法が施行され、その後、多くの女性運動グループは「男女共同参画条例」づくり運動や、男女共同参画センターをベースとした啓発運動や、DVなど女性への暴力への関連の運動などのほうに流れていったように思う。そして、地域の男女共同参画センターベースの運動は、都心などは別なのかもしれないが、かなりの地域で中心参加者が年金世代だったりもしていた。

その後いわゆる「バックラッシュ」が起きて、またそれも落ち着いて、などの展開もあったが、こんな流れの中で、「ミスコン反対」は過去のものとして語られがちな時代がフェミニズムの中でも続いてしまっていた。だが、今回の「ICUミスコン論争」の盛り上がりである。4日たってもまだ続いているというすごさだ。正直いって驚いたが、いかにフェミニズム運動が過去10年間、こういった若い大学生世代を含む幅広い世代にとり、身近で興味をもて、スタンスはどうであれ思いを発信したいと思えるような課題。そうしたものを十分取り上げてくることができてなかったのかも突きつけられているような気がする。

また、今現在話題になっているのは大学におけるミスコンで、これは20年前に多く行われた自治体主催ミスコン抗議運動とは問題が異なる面もある。すなわち、外部企業の関わりと商業主義という面が、今現在の大学ミスコンにはより顕著に、しかもおおっぴらにみられることだ、大学ミスコンポータルサイト(たとえばこんなの)なるものを初めてみて、そのあまりにあからさまな商業主義っぷりに驚いた。昨今のミスコンについては、こういった側面も真剣につっこんでいかねばならないということだろう。

もう一つ興味深いのが、これだけ少なくとも私のTLにおいては、フェミニズム系の人もそうでない人も、ICU関係者もそうではない人たちも、数多くミスコンについて発言している状況であるのに、twitterにいる『主流』な女性学とか運動系のひと(WAN系とか。それだけではないけれども。)とかが、この議論に絡んでこない事だったりもする。このちょっとした分断っぽい状況もどう考えたらいいんだろうか。

何回かミスコンについては、現在進行中のICUミスコン反対運動や議論の件も含め、ブログでも書いていけたらなと思っている。