やまねこのたからばこ

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【映画】「日本のいちばん長い日」(2015年)『終戦のゴタゴタ、ツボを押さえて理解できます』という優秀な映画だった。

※当然のことながらネタバレを含むので、未視聴の場合には閲覧に注意されたい。

日本がポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争を終えるまさにその期間を描いた映画。
また、そのときに発生した「宮城事件」もテーマの中のひとつ。

 

 

ストーリー的には歴史を描いたものなので、事件の概要を知っていれば、「あぁ、そういう展開ね」とはなる。
でも意外と宮城事件って歴史の授業でもあんまり大きく取り扱われないし、知らない人多いかもしれない。
この映画は役者ごとに立場がわかりやすく描かれてるから、宮城事件の概要を勉強するうえでの導入にはいいんじゃないかな。

 

 

演出と役者について


「無音」とか「間の取り方」、「静と動」みたいな演出は日本映画っぽさを感じて良かった。弓道場・剣道場の阿南のシーンとか、最後に畑中が放送会館で誰にも聞かれない声明を読み上げるシーンなども、胸にぐっとくるものがある。

 

役者については、山崎努氏の鈴木貫太郎、中村育二氏の米内光政あたりは特徴をとらえていて良いと思った。特に山崎努氏、やっぱりさすがだなぁ。人を惹き付けるなぁと思う。本木雅弘氏が演じる昭和天皇は強いな…顔良いからな本木雅弘氏…。メイン級の役どころの阿南惟幾を演じた役所広司氏は…まぁ。(ノーコメント)。


メインな役柄ではないと思うけど、宮本裕子氏が演じた女官長の「いまがその時です!」という気合の入った発破はなかなか見もの。というか全体的に宮中・侍従たちの役がいい味を出している。


あと大西瀧治郎を演じた嵐芳三郎氏は、表情とか声の気合の入り方もあわせて、大西の狂気をよく現している。東條英機はちょっと誇張があるかなという感じ。

 

[出典]:https://www.photo-ac.com/main/detail/26058225

 

劇的なアクションではなく「水面下の動き」に焦点が当たっている

内容について。歴史モノにしては、「反戦」のメッセージ性とか、「戦争はこんなに悲惨だった」っていうような説教臭い感じではなく、ただもう日本はボロボロになっていることが描かれていて、その上でそれぞれの立場がわかりやすく整理されている。

  • 「このまま降伏などありえん」という陸軍継戦派将校と東條英機元首相
  • 「気持ちはわかるがもう無理でしょ…」という米内光政海軍大臣
  • 「降伏って率直に言ったら陸軍がヤバいんだわ…」となっている阿南惟幾陸軍大臣
  • 「一刻もはやく終戦しなきゃならん」という昭和天皇・東郷茂徳外務大臣

だれか一人の視点で物事が進行するのではなく、あくまでドキュメンタリー的な感じなので、あぁ、歴史映画っぽいなぁ…という感じ。

 

平沼騏一郎枢密院議長と下村宏情報局総裁は、周囲から見るとマジでこんな感じだったのだろうなと。議論の本題よりも字句の良し悪しにこだわるあたりは司法省出身者の平沼らしいといえばらしい。(要するにめんどくさい人)ちなみに現代の法律家とかもけっこうこの手の人物が多い。職業病なので許してあげてほしい。

 

下村宏が偏執的なまでに遺言書のことを話しているのは、彼がポツダム宣言受諾後も降伏を受け入れずに遺言書を書き続けたというエピソードからだろうか。実はゴリゴリの継戦派の人だったのかもしれない。ちなみに下村宏は旧優生保護法の母体となる「国民優生法」とかいうマジモンのヤバい法律の元となる考え方を強く提言した人物なので、劇中の印象で「苦労人の優しいおじさんなんだなぁ…」と思うのは浅慮かもしれない。まぁ差別的な人物であったというよりかは、日本国民を全員ゴリゴリにフィジカル強くしなきゃ(使命感)っていう思想だったのかなとも思えるけど。

 

戦時中を描く映画であるにもかかわらずほとんどが会話フェーズ・会議フェーズで占められていて、呉軍港空襲・原子爆弾がダイジェスト的に流れたり、空襲が断片的に描かれるだけ。だからこの映画は完全に「戦争映画」ではない。

 

ものすごく深刻で緊迫感のある会話・会議フェーズが続く中、宮城が占拠されて御文庫に行けない侍従たちの「行くと言わずに帰ると言ったらどうですかね」「言い方の問題ですか?…違うでしょ…」『通れ!』「…言い方の問題でしたね…」っていう、「そんなことある!?」なやりとりとか、官邸を襲撃しにきた「国民神風隊」と憲兵のやりとりで『鈴木はどこだ!』「鈴木総理は迫水と一緒です」『迫水は?』「鈴木総理と一緒です」っていう無限ループコントみたいなやりとりがいい緩和剤になったと思う。

 

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井田中佐は結局どっちの立場なの?

井田中佐はすごく中途半端に見える立ち位置だけど、ただ伝わってくるのはおそらく「阿南さん大好き」な人物として描かれたのだろうなと思う。

 

本編最初では阿南を、大量の部下を死なせたとして忌避しているような言い方をしていた。でも実際は阿南を強く信頼していたわけで、ポツダム宣言受諾可否という大きな問題を前に、阿南なら、という考えから戦争継続・徹底抗戦の立場に立つべきと信じていた。

 

だけど、いよいよ阿南が自刃するまでに至って、その真意を荒尾や竹下と一緒に聞いたことで、ようやく自分は本当は畑中ら若手参謀を諌める側の立場に立たなければならないことを悟った、というところだろうか。察しが悪いと責めるのは酷というものだろう。ただ、高嶋参謀長に怒られたときに改心するべきだったねという。

 

まぁこの展開の中で最後の最後まで真意を汲み取れなかったのは、劇中では詳しく描かれなかった竹下中佐だけどね。キミ畑中らを止めなきゃダメだったよね、止められないまでも荒尾軍事課長のサポートして時間稼ぎするとかそっちの立場には行かなかったんですか、阿南さんの義弟として、という。

 

ってか竹下中佐、1989年まで生きておられたとは、かなりの長寿だな…。

 

松坂桃李氏の演技が良い

松坂桃李氏が演じた畑中は、映画作品としてはあれが正解っぽいけど、実際はもっと物静かでわりかし純朴な文学青年だったらしい。

ただ、「若手陸軍参謀で、反乱創始者で、宮城を占拠して最後はピストル自決した」という人物を描く演出としては、劇中の畑中の物静かで不気味な迫力と、その中に秘めた激烈な狂気を松坂桃李氏がよく表現されたのかなと思うし、必要な誇張だったのでは…と思うのは製作側に寄り過ぎな立場かな。

 

総合的にはいい映画だった。

 

「日本は滅びるものか。勤勉な国民だよ、必ず復興する。」

「ひとりでも多くの日本国民に生き残ってもらって、後日再び、立ち上がってもらうほかに道はない」

 

今の日本を見てどう思うだろうか。

 

なんですぐに終戦できなかったのか?

第二次世界大戦(太平洋戦争)を歴史の授業で習ったり、日本軍の悲惨な末路を知ったばかりの人にとっては、これが素朴な疑問として浮かぶことも多いだろうと思う。ここには、ものすごく単純でありながらものすごく複雑ともいえる事情がある。

 

そもそも「勝てる」って話だったじゃんという話

 

まず、そもそも戦争を開始した段階での問題として、日本はアメリカと戦争をしたかったのではなくて、「大陸での利権」と「石油」を手に入れたかったわけだ。

 

これが中国との軋轢を生んだんだけど(盧溝橋事件・日中戦争、満州国の建国あたり)、「日本は中国から攻撃されてる立場だよ!中国をこのままにしとくと共産主義が増えてやばいよ!」と国際社会に訴えてみたものの、リットン調査団の報告もあり正当性は認められなかった。

 

アメリカの立場的には、満州利権に食い込めれば戦争まではしなかったんではないか、という考察もあるけど、ぶっちゃけそうは思えない。おそらく当初から、日本が敗戦するのと同等の状態になるほどの最大限の譲歩をさせるか、戦争状態に持ち込ませるかという選択肢しかなかったんじゃないかと思う。個人的には。

 

国際社会が日本の主張の正当性を認めないという結論に至り、日本は国際連盟(現:国際連合の前身)を脱退、孤立主義を深めてしまう。さらにアメリカの石油禁輸(昭和16年)によって、日本は石油や鉄鋼などの資源が枯渇するようになる。

 

実は満州に油田があり、当時の日本は満州での石油開発を目論んでいたのだけど、とうとう大油田を発見することはできなかった。なお、この満州の油田は現在、「大慶油田」として石油と天然ガスを生んでいる。

 

この油田に行き当たっていれば、南方進出は必要なかったかもしれないが、それはまぁ夢物語である。発見できなかったのだから。ちなみに真偽不明だが、当時掘削調査して発見できなかったすぐ近くから、後の時代に大慶油田が発見されたらしいというのは皮肉というほかない。

 

さて、そんなで日本国内は石油をはじめ鉄鋼、各種希少金属(特にニッケルやアルミなど、軍需に直結する金属)が枯渇し始めており、このままでは遠からず干上がってしまうというテンパり具合の中で、なんとか中国での戦争をやめてアメリカからの禁輸を解除してもらうか、それともここはいっそアメリカと戦争して有利な条件で講話するかみたいな状況に陥ったのが太平洋戦争開戦直前の流れ。

 

だけど交渉先のアメリカはハル・ノートを提示して、日本の利権は認めない、中国から撤兵せよという原則論を維持する立場だった。当時の日本にとって満州を諦めるというのは、ただ単に国の領域の消失を意味するのではなく、「日清・日露戦争の犠牲を無に帰する」ことを意味した。これは、日清戦争で勝ち取った遼東半島を、三国干渉で失った経験がある当時の日本にとって受け入れがたいことだった。

 

そこで、統帥権を背景とした開戦前提の御前会議やら、対米戦を渋る海軍に鉄鋼配分を譲ったりする工作やら、「中国からの撤兵を100年後とかにすりゃいんじゃね?」っていうアホみたいな条件交渉の検討が行われるやらで、結局「交渉妥結しなければ対米開戦」というルートへと向かってしまった。ちなみに、この検討をしている間にも石油やら金属やらは枯渇しつつあるわけで「このままではジリ貧は確定。そんならいっそ戦争すれば、勝ちor負けのフィフティでしょ?ならやってみたほうがよくない?」っていう理屈を取ったのが、当時の企画院総裁「鈴木貞一」。東條に付き従った「三奸四愚」の一人とされる。丁半博打じゃねンだわ。

 

陸海軍は(少なくとも上級軍人の一部は)アメリカの脅威を認識していたし、天皇は当初「勝てるわけないだろ…」といった反応だったようだが、重臣たちが話し合った結果

  • 陸海軍・統帥部の「勝てるか?とかじゃなく勝つんだよ…ッ!」という勇ましい言説
  • 「対米交渉って要するに中国から撤兵するってことだろ?ありえねーよ」という陸軍の立場
  • 「陸軍から鉄鋼まで譲られて戦えませんなんて言ったら…」という海軍の立場
  • 「このままだとジリ貧っスから、一発カマしてやってくださいよ!」という企画院の 悪ノリ ç«‹å ´

などもろもろが合わさることによって開戦。外務大臣を務めた東郷茂徳、大蔵大臣を務めた賀屋興宣は反対していたが、最後は同意してしまった。

 

つまり、天皇に対して「勝つから戦争させてください」と言った軍人が、「負けそうなんで終戦します」なんて、口が裂けても言えんだろ、ってこと。あとここからわかるように、対米開戦において、陸軍が悪いとする「陸軍悪玉論」は正確じゃないと思う。海軍も米国の戦力を理解していながら最終的に開戦を支持したわけだし。どっちにも落ち度はある。

 

この劇中で阿南を始め陸軍軍人が次々と「お詫びの切腹」をしているのは、単に戦争に「勝てなかった」ということ以上に、戦争に「勝つから!」という前提で宣戦の詔勅をさせたのに負けてしまったという意味も込められているというわけだ。そらそう簡単に「負けました」なんて言えんわなという話。

 

ちなみに、戦争に乗り気でない天皇にアレコレ吹き込んで開戦の詔勅をさせるという流れは、日露戦争時代にすでに行われている(日露戦争では山縣有朋らが主導したが、明治天皇が「今度の戦争は全く私の本意ではない。けれども事態はとうとうこんなことになってしまった。」と落涙したとされる)。まぁ立憲君主制の国家ではそういうもの、と言ってしまえばそれまでなのかもしれんが。

 

東條英機は対米戦の代表的な人物とされてきた。それは陸軍大臣時代に中国からの撤兵なんぞありえん、アメリカ恐れるに足らず!と部下を教育してきたことや、大戦中も和平への道を歩まなかったためである。

 

だけど開戦直前の東條英機はむしろ、天皇の意を受けて陸軍を抑え込み、なんとか外務大臣による対米交渉を継続させようとしていた。しかしまぁ、陸軍大臣だったころと言ってることが180度変わるわけだから、陸軍を抑え込んで交渉するなんて上手くいくわけがなかったのである(当然陸軍内には東條を「変節漢」と呼んだり、「真意は違うだろう」と評価するものがほとんどだったようだ)。

 

このあたりの経緯、NHKスペシャルの「あの戦争は何だったのか 日米開戦と東條英機」によくまとめられている。

 

青年将校のヤバさがトラウマを植え付けた「不祥事件」

 

さて、まぁそんなこと言ってても、結局事実上敗北してるんだからさっさと降伏するって陸海軍大臣が言えばよかったんでは?と思うかもしれない。しかしそれができなかった事情もある。それが2.26事件だ。反乱決起の相談をしてるときに荒尾軍事課長が「貴様、不祥事件を繰り返すつもりか!」と言ってる「不祥事件」とは2.26のこと。

 

2.26事件というのは、陸軍内で「皇道派」と「統制派」という2つの派閥があり、そのうち「皇道派」と呼ばれる派閥がクーデターを起こした事件(1936年)。この両派は、「統制派」というのが「陸軍大臣を通じた意見表明によって、陸軍の要望を政府に伝えていくべき」とする立場で、「皇道派」というのが「天皇陛下自身の親政が一番だ!金持ちは悪だ!金持ちが農村をいじめてる!我々が世直しするんだ!」という過激思想だとざっくり思えばいい。

 

この2.26事件がどれだけ重要な意味を持っていたか。事件自体は、陸軍皇道派の青年将校たちが、ときの政権の要人を襲撃して大多数が殺害されたというもの。ちなみに、このとき劇中にも出ている「鈴木貫太郎」も襲撃され重傷を負ったが、かろうじて一命をとりとめた。(劇中の「鉛弾、金の玉をば…」の話はこれが由来)

 

それだけならいいんだけど(よくはないが)、これによって陸軍の青年将校らに、「場合によっては武力による政権転覆も辞さず」という体験を与えてしまったわけである。軍の青年将校というたかだか一将校らが、国の重大な意思決定に影響を及ぼす「余地」を作ってしまった。

 

つまり、「青年将校等が反発するような決定を政府がした場合、首相はもとより閣僚(陸軍大臣や海軍大臣を含む)が武力によって排除される可能性がある」というトラウマを当時の政府に与えてしまったわけである。

 

ポツダム宣言受諾うんぬんは2.26事件と性質が異なるものだが、陸軍の青年将校らの「意思」とかいうものが、国の決定に影響を与えるような事態などあってはならないのである。

 

まとめると「勝てると言って始めた戦争を負けで終わらせることは、軍(とくに陸軍)にとってありえん結論だった」ということと「降伏なんて言ったら2.26の二の舞なんですけど…という警戒」というのがメイン。

 

で、その他「本土決戦で潔く散ろうや、という破滅願望」「本土決戦で2000万人が特攻すれば勝てるに決まっとる、というエクストリーム楽観主義」が合わさってできた複合的な要因だった。

 

ただ、後段の2つは単に知識不足・認識不足または情緒面の問題にすぎない。

 

だけど軍人や政府だけの責任ってわけでもないのよ

 

さて、まぁ日本人としては太平洋戦争の敗戦についていろいろ思うところもあるだろう。

 

現代の価値観で見れば

  • とんでもない工業力や資源量を誇るアメリカ
  • 国外にとんでもなく広大な植民地を持ってたグレートなイギリス
  • だいぶ弱体化してたとはいえ永くアジアの中心として君臨してきた中国

 

という、まさに四面楚歌の状況になって日本が(仮に条件講和という形であっても)勝利するなんてありえねぇだろ、と思うのは無理からぬことだ。しかしまぁ、それは後出しジャンケンではある。

 

現代人の立場として「なんで戦争なんかしたんだ!誰が悪いんだ!やっぱり軍人か!?」と責めたくなる気持ちもわかる。しかし、コトはそう単純ではないと思う。

 

まず当時、戦争の方向へ向かっていたのは誰か?という話をすると、それは先に解説したとおり日本の政府であったし、日本の陸軍であったし、日本の海軍であった。だけど、アメリカもである。イギリスもである。中国もである。それらの国の国民もである。そしてなにより、日本国民も例外ではなかったわけだ。

 

当時、日本人の中にももちろん開戦に反対の人々は存在した。しかし、大手マスコミも言論人も開戦を支持した。「日本国民の世論を煽って戦争に向かわせた」として糾弾される徳富蘇峰なんかはその代表例だろうか。

 

しかし、言論人やマスコミがなぜ存在し続けられるかということを考えると、それら言論人やマスコミの言説を支持する国民の存在が不可欠だ。国民から支持されなければ、言論人もマスコミもないのである。支持されなければ売れないのだから。

 

現代風に言えば、インプレッションなくしてインフルエンサーが存在しないし、チャンネル登録者なくしてYoutuberが存在しないのと同様だ。支持者がいなければ、彼らは壁に向かってただ大声で叫んでいるだけの人に成り下がる。

 

つまり、当時のマスコミが勇ましく開戦の論調をとったのも、「アジアは手を取り合って欧米と戦わなければならない」「日本とアメリカやイギリスとの戦争は百害あって一利なしかもしれないが、そうであってもやらなければならない」という徳富蘇峰の言論がラジオや演説の機会を得たのも、元を正せば多くの日本人がそれらの言説を支持したからである。いや支持どころではない。熱狂して歓迎したのである。

 

忘れてはならないが、軍人や政府とて日本人だ。日本人の意見代表として、利益代表として彼らが存在しているのであり、あくまで彼らが存在するのは日本人の意思によってである。だから政府や軍人の独断だけが戦争を招いたわけではないことは、日本人として自覚しなければならない面だ。

 

こう言うと、「市井の一般人が戦争など止められるわけがない」と言われるかもしれない。もちろん個々では無理だ。

 

しかし、市民の暮らしが困窮する中で、勝っていると報道されているにもかかわらず学生までもが動員される中で、敗色が濃厚となり竹槍訓練が行われる中で、それでも戦争継続に向けての努力が一市民たちにまで浸透していた背景には、たとえば企業や町内会、婦人会といった「人々の集団」を束ねる組織・存在がある。それらが戦争継続を支持し続ける限り、それは仕組みとして日本国民を動員し続けることができる。

 

もし、日本国民が、それも個々の国民だけではなく、多くの人間の意思を代弁しうる「組織の代表」、たとえば企業の社長や町内会長らといった「立場ある人々」が戦争を支持しなければ、そして多くの人を束ねる強者に盲目的に従い戦争を支持する国民が巷にあふれなければ、政府であれ軍であれ、国として行動することはできない仕組みなのである。それが民主主義の形だ。

 

「戦争に反対した国民もいた」ではダメで、それがごく一部なのであれば「全体としては日本国民は戦争を支持した」と評価されてしまうわけである。

 

まぁこのあたりあまり突き詰めると思想統制みたいな話になっちゃうのでキナ臭くなってしまうわけであるが、要するに「戦争を避けたければ、国民全員が立場にかかわらず、普遍的に戦争を支持しない、望まないという価値観を共有している」状態を作り出せれば、戦争を回避しうることになる。少なくとも民主主義の国では。

 

付け加えれば、戦争が進んで敗色が濃厚となってから「もう終戦したい」と国民が言うのは、少なくとも陸軍軍人がお詫びの切腹するぐらいの「手のひら返し」であったことも自覚しなければならない。

 

開戦前は支持しておいて、状況が悪くなったから終戦したいというのは都合が良すぎる。当時は情報の入手手段が限られていたから「マスコミに騙された」はまだ百歩譲って許せるかもしれないが。

 

少なくとも、手元の端末で知識も情報も得られる現代においては、日本人は自国が他国に進出する戦争を起こそうとする行動に対して、即座に「反対である」という立場を普遍的に共有し、表明できるはずなのだ。

 

ではそれが現代人は現実的に可能か。不可能だと考える人が多くなれば、単純にまた戦争が起こるだけであろうし、太平洋戦争と同じようにまた悲惨な歴史を繰り返すだろう。日本国民のみならず、他国の人々をも巻き添えにして。

 

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