そもそも共有されてないんだから、サクっと消したい

前回の日記で、

yukichi99 『大抵のウェブのシステムはそうじゃないですか? この手のものは共有されてこそ意味があるし、退会で全自動で削除されたら幾分困るケースもあると思うのですけど。例えば、mixiは退会しても個人のデータは消えるけど、コミュニティの書き込みは消えません。ウィキペディアは、そもそも退会という概念がありません。もちろん、後から連絡する手段はあるといいけど、同一性確認にすごい手間取るので、結構面倒な手続きをとる必要があると思います。「自分を他人を分かち合う」という概念があまりうまく理解されていない気がします』

というコメントが。共有しているものが消されては困る、というのは全くその通りだと思います。共有しているものが消されるようなことがあるなら、大騒ぎするべきだとも思います。しかし、自分が共有してないものが消されるのはどうしようもないと思います。

今回の例であるGoogleマップやカレンダーはいったい誰に共有されていたというのか。一部例外を除いて、一瞬たりとも共有された時はないと判断しています。したがって分かち合いは発生していない、自由に消させろ、と思います。
なぜ共有されていない、分かち合いは発生していないと判断したか。責任を共有しなければ、内容についての共有などありえないと思うからです。一部例外を除いて、マップやカレンダーの編集者はアカウント所持者ただ一人です。内容について、アカウント所持者ひとりが責任を負うことになります。こういうわけで、ほとんどのマップは共有されていないんだ、と判断しました。
だから、アカウント所有者が消したいならスパッと消させてやろうよ、と。素晴らしく有用であり、非常に多くの閲覧者に支持されているマップであったとしてもです。そんなの関係なく、アカウント所有者が独断で消せるべきです。

マップ閲覧者はただ眺めていただけ、傍観者だ、と俺は思います。マップの公開にはリスクを伴います。個人情報ダダ漏らし、なんてやったら訴訟もんです。しかし閲覧者なんのリスクも負いません。見ちゃっただけです。閲覧しただけならどうということはありません。マップを賞賛し、紹介する内容を自分のブログに書くかもしれません。しかし、紹介しても、せいぜいソイツの評判が落ちるくらいです。マップの内容について責任は負いません。裁判大変だねーと、それも傍観してればいいだけなのです。そんな無責任な傍観者に「共に所有しているマップが〜」などと言われたら、笑うしかないと思うのです。

傍観者から一歩進んで、「この部分は間違っている」とフィードバックする人がいるとします。だけどそれは編集者へのプレゼントにすぎないと思うんです。公開してくれてありがとう、これほんの気持ちです、というプレゼントです。喜んでくれたらいいな、使ってくれたらいいな、と期待するぐらいはいいと思います。フィードバックが反映されることを期待して眺めてりゃいいと思います。だけど、フィードバックが反映されたからといって「共に所有しています」ってのは行きすぎだと思います。そのフィードバックを反映させるかどうかを決めたのはマップ編集者です。で、責任はマップ編集者が持つんです。フィードバックを送った人じゃない。だからフィードバックの反映されたマップは編集者が好き勝手できるべきです。これに耐えられないなら、フィードバックなんて送らなきゃいいんじゃないかと思います。

じゃあどうしたら共有できるんだよ、って話になりますよね。
共有したいなら、責任も共有しちゃえばいいだけの話です。共同で編集するのが手っ取り早いと思います。共同編集していると、意見が食い違うこともあるかもしれません。編集内容も共有されますが、責任も共有されますのでここは本気で話し合うべきでしょう。もう相手が勝手に決めることはありませんし、できません。二人で決めることです。傷ついてしまうこともあるでしょうし、逆に傷つけてしまうこともあるでしょう。だけどそういうことを通して愛って深まっていくんじゃないでしょうか。そんなこんなで出来ていくマップ、素敵ですね。二人の共有マップです。公開するにあたっての責任も共有。周囲からの賛辞も共有です。酸いも甘いも、全部丸ごと共有です。おめでとう。

なんか後半おかしな方向に進んでしまいました。
とにかく、責任を持つ立場にある人同士でしか共有・分かち合いはありえない、と思ってるということです。不適切なマップを公開してしまって裁判沙汰になったら、一緒に告訴される覚悟ありますか、ということです。そして、責任を共有したくないなら、マップの共有はあきらめて欲しい、公開されているものが消されても文句言うな、ということです。
こんな考え方なので、「アカウント所持者が消したいなら、共有とか考えないでスパッと消させてやれよ」と思ってます。