81年ぶり空母「赤城」の姿…元兵士「本当によかった。戦死した乗組員の冥福を祈りたい」

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 太平洋戦争のミッドウェー海戦で沈没した旧日本軍の空母「赤城」の姿が81年の時を超え、深い海の底で確認された。赤城と同様に、この海戦で沈没した空母の乗組員や遺族は改めて海に散った犠牲者に思いをはせ、専門家は若者が戦争の悲惨さを実感するきっかけになればと期待を寄せた。

海底で見つかった空母「赤城」。甲板の下には機銃が取り付けられている(オーシャン・エクスプロレーション・トラスト、米海洋大気局提供)
海底で見つかった空母「赤城」。甲板の下には機銃が取り付けられている(オーシャン・エクスプロレーション・トラスト、米海洋大気局提供)

 1942年6月に太平洋・ミッドウェー島周辺が戦場となった海戦で、日本は赤城、加賀、飛龍、蒼龍の4空母を失うなど大きな打撃を受けた。この戦いで日本は劣勢に転じ、敗戦への道を突き進んだ。加賀は2019年、付近の海底で発見された。

海底で見つかった空母「赤城」。艦首部分には菊花紋章が残っている(オーシャン・エクスプロレーション・トラスト、米海洋大気局提供)
海底で見つかった空母「赤城」。艦首部分には菊花紋章が残っている(オーシャン・エクスプロレーション・トラスト、米海洋大気局提供)

 海軍の整備兵として加賀に乗り込み、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を戦った長沼元さん(103)(福岡市南区)は、赤城の姿が撮影されたとのニュースに「本当によかった。当時のことを改めて思い出し、戦死した乗組員の 冥福めいふく を祈りたい」と語った。

 加賀に三等整備兵として乗り込んでいた兄の あたり 久夫さん(当時22歳)を亡くした兵庫県宝塚市の早田マスヱさん(96)は、遺体が見つかっていないことから、兄はどんな場所で眠っているのかと想像してきた。赤城の映像を見た早田さんは「ここで眠っているのかと、ようやく知ることができた。若くして亡くなり、あんなに暗い海の中でつらかっただろう」と兄の気持ちに思いをはせ、「若い人たちにもこの映像を見て、大勢の人の命が奪われる戦争は、二度としてはいけないと感じてほしい」と願った。

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