過去の人と思ったら、実はまだ未来にいた!…赤いサンダルを履いたハイパーテキストの父
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インターネットを創った人、というと誰を思い浮かべるでしょうか。世界中のネットをつなぎ、その上にあるサイトや文書を閲覧できるワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の仕組みを開発したティム・バーナーズ・リー氏が有名ですが、その基となるハイパーテキストを提唱したのがテッド・ネルソンさん(87)です。ネルソンさんが来日した11月末、東京・三田の慶応大で開かれたシンポジウムを聞きました。
何でもメモし、それをつなげる
来日は、ネルソンさんを古くから知る、慶応大の村井純教授らの働きかけで実現しました。過去にはネルソンさんを客員教授として招いたこともあり、今回、これが最後の機会かもしれないと、学生を迎えに行かせ連れてきたと話しました。
ネルソンさんは若い頃、さまざまなアイデアをメモに書きためては分類し、それらをつなげて論文や本などにまとめるなど、多様な知的創作の手法を構想したそうです。それがハイパーテキストの概念となり、触発されたバーナーズ・リー氏が開発したのがWWWです。
車いすで登場したネルソンさんは、赤いシャツに赤いサンダルを履き、何か不敵な雰囲気を漂わせます。講演では、コンピューターがまだ珍しかった1960年代からインターネットが一般に普及した90年代までを中心に、取り組みや人びととの交流を紹介。ハイパーテキストを駆使した文書管理システム「ザナドゥ」開発の部分では、命名の元になった詩の一部を暗唱し、並々ならぬ記憶力を見せました。
本来は双方向で変更を反映する仕組み
講演後の質疑応答を経て、続くパネルディスカッションでも技術面や歴史など広い議論が行われましたが、ここに至ってネルソンさんからは、何か不満げな様子が感じられたのです。
現在のネットが、偽情報や分断が渦巻く空間になってしまったことへの懸念だけではありません。質問でもネットの今後について聞かれると「わからない」「素晴らしい質問だがそれに対する素晴らしい答えは持っていません」などと答え、その後のインタビューでも、ネット空間と人間が共に進化していくことについて問うと、そのようなことは言ったことはないと一言。ネットの進化とネルソンさんの間に大きな溝があるような印象を受けました。
講演後、その原因を探ろうと、ネルソンさんのホームページなどを見ました。手がかりにしたのは、ハイパーテキストの概念です。通常のハイパーテキストは、リンク先へ飛ぶための単純な仕組みですが、1963年にネルソンさんが提唱したものは、双方向だったと聞いたからです。
65年に発表した論文=写真、ハイライト部は筆者=を見ると、ハイパーテキストは、多数の文書を相互に連携させて、元の文を変更すればリンクした複数の表示先へも反映されることに加え、要約や文の構成、履歴、相互関係、なども含んだものだと説明しています。
また、連携する文書は本文のわきに表示され、閲覧者は双方を見比べることができます。筆者の思考の過程が見えるかのようで、ネルソンさんは動画で、この「見えること」が大切だと力説していました。
これは脳の働きそのもののように感じます。頭の中では、何か新しい情報を知ると、古い部分と比べながら整理し、全体像を作り直していきます。また、人に話す時には相手に合わせて内容を変え、質問されればより詳しく説明します。それをコンピューターで再現できるのがネルソンさんのハイパーテキストであり、ザナドゥではないかと想像しました。
人間の創造性を触発する
ザナドゥは何度も実現が試みられたものの、その複雑さなどからまだ世には出ていません。いくつかの機能は、現在のネットで別の形で見られ、ザナドゥの先見性を示してはいるけど、ネットやハイパーテキストが示すべき姿はその程度ではない。そんな思いがネルソンさんのいら立ちの原因かと思えました。
今なら十分な人と時間を注げば、ある程度の規模でザナドゥを作り出せるのではないか、と思います。人間が情報を収集、整理、表現する知的活動を支援し、その過程や成果を読む側も共有したり検証したりできる仕組みは、利用者は限られてもネットの新しい使い方を提示できるでしょう。
実はザナドゥの今後について、インタビューでは聞きもらしてしまいました。筆者自身も終わった技術だと思い込んでしまったからです。でもネルソンさんは実はまだ未来にいて、実現の時を待っているのかもしれません。
人工知能の急速な進展で、情報を集めたり考えたりする手間は減り、人間はどんどん楽になってきています。でも、それでいいのか。そんな流れに対抗する仕組みの一つとしても、本来のハイパーテキストやザナドゥが実現する意義はあると思いました。