刻まれた皺に感じた「燃える闘魂」の凄み、赤塚不二夫さんにふるまわれた「謎のカクテル」…今も輝き放つ男たちの肖像
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写真家・大村克巳さんが、自身の作品を通して、写真とアートの持つ力についてつづる連載「Sight Line」。今回のテーマは、撮影を通じて出会った憧れの男たちについて。それぞれが放つ強烈な個性に圧倒された瞬間は、今も作品の中に色あせることなく刻まれています。
「男の肖像」
90年代後半まで、仕事として女性を撮ることが多くなっていました。
そんな折に、メンズファッション誌の連載の依頼がありました。テーマは「私の宝物」。
著名人の大事にしているモノと、ご本人のエピソードを聞いていく企画です。
誰に会いに行くか、僕の希望もリクエストすることができました。通常はカメラマンとライターの分業でページは構成されるのですが、この企画においては、僕が被写体にお話をうかがいながら撮影をすることを許していただきました。
ここでの体験が、その後の撮影スタイルに大きな影響を与えています。
まず思い浮かんだ人物が、アントニオ猪木さんです。
子供の頃から、ヒーローといえば猪木さんでした。実際にお会いして撮影ができる。緊張して撮影現場に向かいました。
練習場の近くの河原で待っていると、逆光の中に猪木さんのシルエットが近づいてきます。まさにオーラの塊です。雑談をしながら心を落ち着かせ、カメラを向けました。ローアングルで狙った表情に映る眼光、刻まれた皺(しわ)に「燃える闘魂」の凄(すご)みを感じました。
赤塚不二夫さんにふるまわれた「謎のカクテル」
いつかお会いできたら……そう思っていた方の撮影も実現しました。漫画家の赤塚不二夫さんです。
ご自宅での撮影でした。撮影前、既に大好きなお酒を飲んでおられて、突然「バカボンのパパになるのだ」と言ってステテコと腹巻姿で現れ、油性のマジックで顔にひげを描き始めました。しかも満面の笑みです。まともに挨拶も交わしていなかったのですが、こちらもなんだか楽しくなって、リズム良くシャッターを切りました。
撮影後「お前は俺と同類だからアレを飲みなさい」と言われ、「謎のカクテル」をいただきました。ご家族に「2杯以上飲んだら腰が立たなくなる」と注意を受けていたのですが、喉越しが爽やかで飲みすぎたらしく、いざ帰ろうとしても立ち上がれません。なんとかタクシーで帰路に着いたのですが、あらゆる意味で「夢のような時間」でした。チャーミングでサービス精神にあふれた赤塚さん。その人柄にますますファンになりました。
90年代を代表する料理番組と言えば「料理の鉄人」。そこでフレンチの鉄人として大活躍した坂井宏行さんを撮影する機会にも恵まれました。番組の裏話など面白おかしくお話ししてくださり、軽妙な語り口に大人の余裕を感じました。
大事にしているモノとして見せていただいたのはナイフ。最初に手にしたナイフは研ぎ続けられ、小さくなっていく。それを見ると料理人になった原点に返れる、と聞かせてくれました。そして帰りぎわには「ウチの店に来るなら彼女と来てね」と一言。笑顔が印象的でした。
小説家の格闘を感じ…
浅田次郎さんをご自宅で撮影させていただいたのは、「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞された直後のことでした。その時に見せていただいたのは文豪の原稿用紙です。書けなくなった時は、原稿用紙に残された推敲の痕跡から「小説家の格闘」を感じ、自分を鼓舞すると教えていただきました。
このシリーズ以外でも、お気に入りの「男の肖像」はいくつもあります。映画「どら平太」の舞台挨拶控室で市川崑さんを撮影した写真はその中の一つ。フィルムで撮影するには、明るさの足りない室内でした。ストロボを使える雰囲気ではなかったため、感度数をギリギリまで上げて、トライしたカットです。紫煙を燻(くゆ)らせている姿が画になります。
憧れの人との出会いは刺激的で、感じるがままの作品が作れたことは、本当に幸運でした。
「男の肖像」
プロフィル 大村克巳(Katsumi Ohmura)
1965年静岡県生まれ。大学在学中から活動を始め、1986年APA展入選。同年JPS展で金賞(グランプリ)受賞。99年ニューヨーク・ソーホーのギャラリーにデビュー。2002年日韓文化交流記念事業「済州島」作品展を韓国と日本で発表。報道番組「NEWS ZERO」に密着した「ZERO10年写真展」など写真展多数。現在はよみうりカルチャー荻窪にて「大村フォトアート」も開講中。