ロシア皇太子負傷の「大津事件」、斬りつけた津田三蔵関連の80人の証言集など新資料見つかる
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1891年(明治24年)に来日中のロシア皇太子ニコライが、警備の警察官・津田三蔵に斬りつけられ負傷した大津事件について、滋賀県立公文書館で2点の未公開資料が見つかった。読売新聞の開示請求で公開された資料を、大津事件を研究する新井勉・元日大教授(日本法制史)が新資料と確認した。

2点は、いずれも滋賀県警が保管していた捜査資料で、2022年12月に公文書館に移管されていた。
一つは、津田に関する同僚ら約80人の証言を集めた「津田三蔵性行履歴
もう一つは、事件前後に警察が反露派の壮士(活動家)を内偵した記録「壮士ニ関スル書類編冊」(約470ページ)。全国の警察で「皇太子への不敬行為を計画している」といった情報を交換し、警戒を強めていたことが分かる。
戦前の警察文書は、終戦時に焼却されるなどして多くが失われ、京都大の伊藤之雄名誉教授(近現代日本政治外交史)は「近代史に残る政治的事件に、警察がどう対処したのかを知る貴重な史料だ」としている。
◆大津事件= 1891年5月11日に滋賀県大津町(現・大津市)で巡査・津田三蔵がロシア皇太子にサーベルで斬りつけ、頭にけがを負わせた。対露関係の悪化を恐れて津田の死刑を求める政治的圧力に対し、現在の最高裁判所にあたる大審院が無期徒刑(無期懲役)の判決を下し、「司法の独立」を守ったとされる。