〝疑似科学〟に振り回されるな

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POINT
■科学を装いつつ内実は科学とは違う疑似科学が世にはびこっている。最初から誤信させる意図があるものだけでなく、根拠が不十分な未成熟科学まで幅広い。

■厄介なのは、統計を巧みに使い、ある種の意見が正しいと信じ込ませる疑似科学的手法だ。相関関係が明白な事例では、因果関係もあるように思えてしまう。

■コロナ禍でも不確かな情報は噴出した。吉村大阪府知事が発表した「うがい薬でコロナウイルス陽性者が減らせる可能性」も、根拠不十分な疑似科学的言説だ。

■人間には自分に都合のいい事実だけに目が向く確証バイアスがある。この人間心理は、疑似科学につけ込まれやすい。懐疑の思考で異論にも耳を傾けたい。

調査研究本部記者 佐藤良明 

 新型コロナウイルスの感染拡大は、人間が不確かな情報に振り回されやすい存在であることを如実に示した。世の中には科学で解明しきれていない課題が数多くある。その一方、科学を装いつつ実態は科学ではない事柄もある。そうした「科学に擬した事象」をなぜ私たちは信じてしまうのか。どのように対処したらいいのか。科学に対して一定の信頼とある種の不満を感じたコロナ禍の教訓として、疑似科学を見極める目を養いたい。

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疑似科学とは何か?

 疑似科学は心理学や科学コミュニケーション論などの専門家が研究を重ね、一般向け解説書も出版されている。「ニセ科学」「トンデモ科学」という呼び方もあるが、本稿は疑似科学で統一したい。

 では疑似科学とは何か? 研究者によって表現はちょっとずつ違う。「科学を装っているけれども、実は科学ではないもの」(注1)、「見かけは(科学に)よく似ていながら、内実は科学的でないもの」(注2)といった定義が多くの人の納得を得やすいだろう。疑似科学は「科学っぽく見える(見せる)」点がミソなのだ。

 確かに「科学っぽく見せて金もうけをしようとするたくらみ」は世の中にごまんとある。ただし、それだけに焦点を合わせるのは少々乱暴かもしれない。というのも疑似科学には、最初から信じ込ませる(だます)意図があって科学を装うものだけでなく、まともな科学のつもりで研究しながら、どこかで間違えておかしな道に進んでしまったパターンも少なくないからだ。ノーベル化学賞を受賞したラングミュア博士は、道を外れたこのパターンを「病的科学」と命名した。

根拠不十分の未成熟な科学

 さらに、病的科学とまでは呼べないものの、実験データなどの科学的根拠が不十分な「未科学」「未成熟科学」と呼ばれるものもある。これは科学者が真面目な態度で取り組んでいる点が「科学を装う疑似科学」とは異なり、人によっては「成熟していないだけで真正な科学の方法論は一応踏襲している」という見方もする。

 しかし注意は必要だ。本当は疑似科学なのに、「科学で解明しきれない課題は多く、我々の研究もそうだ」と言い、未科学を装ってけむに巻く言説はありうる。また、根拠が不十分な未科学なのに、あたかも科学的に証明された成果のように言い募れば、それは「疑似科学的な態度」と言わざるをえまい。

 図1に科学と疑似科学の概念をまとめたが、現実世界はそう単純ではなく、科学と疑似科学の間には図のようにどちらとも言い切れないグレーゾーンもあり一筋縄ではいかない。

 科学とは煎じ詰めれば「試行錯誤の積み重ね」だ。今はわからないが研究の進展で新たな発見もあるし、科学史を見れば天動説が地動説に置き換わったように、今は正しいと思われる学説が、新しい研究成果によって誤りだとわかり修正されるのはごく当たり前のことだ。筆者は<1>自分が現在までに得た科学的成果を誇大に扱うかどうか<2>未来の科学によって上書きされることに謙虚であるか否か、が科学と疑似科学を区別する条件だと考える。

世にあふれる疑似科学

 認知心理学が専門の菊池(さとる)・信州大学教授は疑似科学に関するネットアンケート調査を行い、一般市民1267人の回答1485件をまとめ、2019年に発表した。それによると、「あなたはどんな疑似科学(ニセ科学)を知っていますか」という設問に、サプリメントなど医療健康系の回答が525件(35.4%)でトップだった。次いで血液型性格判断などの日常系が250件(16.8%)、以下、占い・スピリチュアル系210件(14.1%)、UFO・宇宙人などの超常系199件(13.4%)と続いた。

 回答からは一般市民がどのようなものに科学っぽさ(疑似科学)を感じ、注意を払っているかがうかがえる。一方、回答には「伝承・迷信・都市伝説」も76件(5.1%)あった。「迷信のたぐいは疑似科学とはちょっと違うのではないか」と考える向きもあろう。疑似科学に何を含めるかは研究者によって違いがある。宇宙物理学者の池内了・名古屋大学名誉教授は、疑似科学をその特徴に応じて第1種から第3種までに分類している(注3)。近年の疑似科学分析の中では、最も幅広く世の事象を取り込んでカテゴリー分けしたと考えられるので、ここで言及したい。

人間の「信心」に関わる事象

 「自分の直面する難問を解決したい」「未来がどうなるか知りたい」。そうした人間の心理は理解できる。池内分類では、人間の精神世界に関わる営みを第1種疑似科学とする。おみくじ、お守り、占星術から血液型性格診断、幸運グッズまで様々ある。もちろん、これらを「気晴らし」「気休め」だと本人が自覚し、それで心の安寧を得ているのなら、目くじらは立てられまい。事は人間の「信じる心」に関わるだけに、科学的合理性とは一線を画し、信じることに価値を見いだす人はいるだろう。

 それでも池内分類は、科学的根拠のない言説によって人に暗示を与えるものを幅広くとらえ、事例によっては疑似科学の一種とみる。先述したアンケートでも個人の信心にかかわる事象を疑似科学とする回答があった。実際、個人の「信じる心」には危うい側面もあり、一度信じてハマってしまうと抜け出せない人もいる。まともな宗教とは似ても似つかない「疑似宗教」がいつの間にか出現し、科学的合理性のない言説で、ある種の思想信条を扇動したり、信じる人たちを組織化して反社会的活動に走ったりする。私たちはこうした恐れにまで想像力を巡らせなければならないのではないか。

 池内名誉教授は、占いのような他からの言葉を丸ごと信じてしまい、自分の意見を持たずに従ってしまう風潮が広がるようであれば、なんとも危なっかしいと憂える。長い目で考えれば、社会の様々な事象に、個人として的確な判断ができなくなる―そうした懸念は徐々に高まっていくと考えられよう。

科学の誤用・乱用・悪用

 池内分類による第2種疑似科学は、科学を誤用・悪用・乱用・援用するパターンだ。これは前述のアンケート回答でも首位だった「○○を摂取すると健康に良い」といった宣伝文句の健康関連商品が代表例だろう。消費者を引き付けるビジネスの小道具として科学が使われている。効果の証明されたまっとうな商品がある一方で、本当は科学的根拠が「不明」か「ない」にもかかわらず、専門用語、横文字、グラフ・図表などで科学を「装い」、あたかも根拠があるかのような言説で人々を誤信させる手法だ。

 池内分類では、確率や統計を利用して、ある種の意見が正しいと信じ込ませるケースも第2種疑似科学に該当するという。これは科学と疑似科学の中間のグレーゾーンにあると筆者は考えており、「特に見極めにくい疑似科学的事例」として後述したい。

現代を象徴する「複雑系」の科学

 池内分類の第3種疑似科学は、現在の科学の水準では答えを出せないものだ。「複雑系」と呼ばれる科学分野で、地球温暖化問題が代表例だろう。温暖化の主因の一つとされる二酸化炭素の排出を抑制する国際的枠組みが発動する一方、温暖化懐疑派も確実におり、米国のトランプ大統領は「人為的な温暖化という考え方はでっちあげ」と言っている。地球環境の変化には、人為ではない自然な変動も当然ある。複雑な要因が絡み合うためシロ・クロつけにくい。このように科学的に証明しにくいことを逆手にとって真の原因の所在をあいまいにするパターンが第3種だ。例えば、開発に伴う生態系への影響も科学できちんと答えを出しづらく、開発推進側は「クロ(影響あり)と断じられない」というレトリックでけむに巻こうとする。開発反対派は「シロ(影響なし)と証明せよ」と言い募る。こうなると、科学論争ではなく感情的な対立に陥ってしまう。

 さらに広くとらえると、科学技術関連で社会問題化した事象は、この第3種疑似科学に該当すると言えるかもしれない。健康への長期的影響を懸念する声と、影響は考えにくいとする両論があり、いまの科学ではシロ・クロの決着がつけられない事案だ。「原発事故に伴う放射線の低線量被曝(ひばく)」や「大気中の極小微粒子」「ゲノム編集技術や遺伝子組み換え技術の医療・農業応用」など挙げればきりがない。

統計データをもとに、ある見解へと誘導

国立国会図書館ホームページより
国立国会図書館ホームページより

 「科学を装う」といっても、見るからにうさんくさい宣伝文句には一般市民の側も直感的に警戒心が働く。そうした見え見えのニセ科学ではなく、統計データを忠実に示す手法で外見上は誤っているように考えられない事例がある。特定の結論に誘導するテクニックといえ、実例に沿って「相関関係」と「因果関係」という言葉で説明しよう。

 ニセ科学を長年研究している菊池誠・大阪大学教授は、文部科学省が以前にホームページで掲載していた「朝食と学力との関連性」というトピックについて、「相関関係を因果関係と誤解しているような記事」だとして著書で取り上げた(注4)。

 これは、同省の調査したデータで、中学3年生について、朝食を「必ず食べている」群から「全く・ほとんど食べていない」群までの4群に分け、各群のテスト結果を比較した。全体の平均点を500点と設定したデータ処理をほどこし、国語では「毎日食べる」群の平均得点が512.1点でトップだった。朝食の頻度によって平均点は下がり、「全く食べない」群は450.7点で最低だった。数学など他の4教科でも同様の結果だった。

 念のため書くと、相関関係とは、一方が増えれば他方も増える、あるいは一方が増えれば他方は減る、という関係だから、グラフを見ると相関関係は明確に表れている。額面通りに受け取れば「朝食をきちんと食べると成績が上がるんだな」と考えても不思議ではない関係性だ。ただし、このグラフでは原因(朝食)と結果(成績)の関連性すなわち因果関係が証明されていない。

 菊池教授によれば、グラフには表れない生活状況や家庭環境が朝食の有無につながっていると考えるのが自然で、子どもに対する保護者の愛情や目配りが十分に行き届く家庭では朝食がきちんと用意され、子どもの生活態度も乱れずに一生懸命勉強する、と推察される。とすると、「よく勉強する子は成績が良い」という至極常識的な話にとどまり、特筆すべき事柄ではなくなる。朝食をちゃんととれば、それが成績アップにつながる、という魔法のような話は残念ながら根拠が十分とは言いがたい。

 このトピックでイラストの女の子は「朝ごはんを食べて成績アップだね」と因果関係があるかのように言っており、読み手にそう思い込ませる手法が、「かなり気になる」と菊池教授は指摘している。

 トピック作成者の意図を最大限に忖度(そんたく)すれば、朝食も含めた「規則正しい生活習慣を身につけてほしい」ということだろうか。気持ちはわからないではないが、読み手もデータの解釈に注意が必要だ。

朝ごはんを食べたら成績が上がる?

 文科省ホームページでは現在、「朝食摂取と学力調査の平均正答率との関係」というグラフが掲載されている。中学3年生から小学6年生のデータに切り替え、ウェブ上の見てくれは変更しているものの中3の例と同じ意図が読み取れる。

 これは、統計を利用してある種の意見が正しいと信じ込ませる疑似科学的な事例なのか。その目線で見ると、この「朝食と学力」の話題は文科省などが推進する「早寝早起き朝ごはん」と名付けた国民運動のPRページに載っている点が注目される。

 「早寝早起き朝ごはん」を悪い生活習慣だ、けしからんと考える人は少ないだろう。朝ごはんをちゃんと食べているほうがテストの成績は良い、とする相関関係は明確だ。国民に広げたい生活習慣を推進する材料をそろえている。外見上の体裁は整っており、疑問は差し挟みにくい。それでもなお私たちは、データをうのみにしない態度をここで考えたい。

 例えば、今まで朝食をとらなかった子を「食べる子」と「食べない子」に分けて比較調査する。朝食以外の諸条件を同じにできて、食べる子の方が食べない子よりも成績が上がったとするデータを得たとしよう。これなら因果関係は示せそうだ。ただ、それがないと、こうしたデータの扱い方に懐疑的な人たちの目には、統計を利用して「朝食有用説」へ誘導していると映る。「科学っぽく見える疑似科学の域を出ていない」と感じるのではないか。

コロナ禍での「疑似科学的」事象

市販のうがい薬を並べ、記者会見する吉村知事。うがい薬が新型コロナウイルスに有効、という誤解を与える内容だった(8月4日撮影)
市販のうがい薬を並べ、記者会見する吉村知事。うがい薬が新型コロナウイルスに有効、という誤解を与える内容だった(8月4日撮影)

 ウィズ・コロナ時代の今、疑似科学の状況はどうか? コロナの感染拡大によって、疑似科学的な言説が色々と噴出し、私たちが疑似科学について考える契機になった。この10か月ほど、根拠のある科学的成果から不確かな情報まで様々な言説が飛び交った。「マスクには人にうつすのを防ぐ効果はあっても、人からうつされるのは防げない?」「密閉・密集・密接を避けると感染拡大が防げる?」「空間除菌に次亜塩素酸水は効果がない?」「BCGワクチンを接種した人はコロナに感染しにくい?」。

 時間の経過とともにコロナの正体が少しずつ判明し、関連知識が蓄積されて「コロナの科学」も徐々に修正されてきた。そんな中でここでは疑似科学的とみなせる象徴的な例を一つだけ取り上げる。

 大阪府の吉村洋文知事は8月4日の記者会見で「うそみたいな本当の話」と切り出し、ポピドンヨードという成分を含むうがい薬で新型コロナウイルスの陽性者が減った、という府立の研究機関が中心に進めている研究の結果を説明した。発信力の強い知事の発言によって、一時はうがい薬が品切れになる店も出て、ネットで高額転売される事態に至った。

 買い込んだ人たちの中には、マスク同様に「転売で稼げる」と考えた輩がいるかもしれない。それでも自分や家族のためにドラッグストアに走った人たちは、一番肝心な「効果は科学的に証明されているのか」という点について、コロナ対策を頑張り、信頼できる知事が言ったからには間違いなかろうと考えた人が多かったのではないか。

うがい薬でコロナは退治できるのか?

 結局、厚生労働省が「(効果について)評価する段階ではない」とコメントし、吉村知事も後日の会見で「コロナの予防薬でも治療薬でもない」と話し、騒動は沈静化する。この騒ぎは「情報を見極める大切さ」を私たちに示す好例になった。

 吉村知事の言及した研究はうがい薬を売るために科学を装ったわけではない。研究自体は真摯に行われている。知事に同情的に言えば、これまで蓄積したデータが40人程度と多くないものの、さらに大規模な人数で研究し、効果が明らかになる可能性も残る。結局、記者会見の段階では根拠が不十分な未科学の域を出ていない。にもかかわらず、科学的に確認された成果であるかのような印象を一般人に与える発言になった。これでは疑似科学的な態度と言わざるをえまい。

 こうした疑似科学的事例の一方で、前述した密閉・密集・密接の「3密」を避けるというクラスター(感染集団)対策は、日本の科学者が感染事例の分析から世界に先駆けて突き止め実践した「科学的根拠のある」感染拡大防止策だ。後に世界保健機関(WHO)が「3密回避」を紹介するなど、感染防止策のスタンダードになったと言える。コロナ禍は私たちの科学不信を増幅させたが、科学の実力を知らしめる機会にもなった。

なぜ疑似科学を信じるのか?

 では、なぜ私たちは疑似科学を信じてしまうのか。

 信大の菊池教授は、認知心理学の視点から「人が疑似科学を信じ込む過程は2段階に分かれる」と解説する(注5)。<1>端緒となる発見→<2>信念の強化、というプロセスで、以下に実例を一つ示す。

 菊池教授はごく単純な例として「雨乞いの伝承」を挙げる。科学的には雨乞いでは雨は降らない。にもかかわらず、雨乞いの行事が世界各地で今も行われているのは、地域で伝統的に受け継がれる農事信仰の意味合いがあるのかもしれない。しかし、それ以上に継承される理由で一番説得力を持つのは、「雨乞いしたら本当に雨が降った」という言い伝えだ。これは客観的に観察された事実だと考えられる。

 菊池教授の言う疑似科学信奉の「第1段階」は、この素朴な発見(本当に雨が降った事実)を指す。

 雨乞い信仰を科学的に読み解くには、表1で示したような検証が必要になる。雨乞いを「した」「しない」の場合分けと降雨が「あった」「なかった」という場合分けで、交差させた4パターンを比較し、「雨乞いをしたら雨が降った」パターンAが他の3パターンよりも差をつけて多くなければいけない。

記憶に刻まれる雨乞いの成功体験

 通常なら4パターンに大きな差は見られず、論理的には雨乞いの効果は簡単に否定できるだろう。しかし、菊池教授は「人が感じるリアリティは、こうした論理的な正しさとは異なる」と指摘する。私たちの観察は四つのパターンの起きる頻度を公平に見比べるようには働かない、というのだ。つまり、注意を引き付けるのはパターンAだけで、「雨乞いをしたら本当に雨が降った」という事実に最も強い心理的インパクトがある。確かに日照り続きで困り果てている時に、天に祈ったら本当に「降った」となれば、間違いなく強烈な印象を残す。記憶に刻まれ長く語り継がれるはずだ。

 では、雨乞いをしなくても降ったパターンCはどうか。これはただの日常であり、記憶に残るはずもない。同様にパターンDも簡単に忘れ去られる。雨乞いをしたのに降らなかった、という失敗のパターンBは菊池教授によれば「事実上存在しないに等しい」。なぜならば、普通、雨乞いは雨が降るまでやるからだ。

 こうした比較対照群を設けるやり方は、現代科学の方法論では定番であり重要な意味を持つ。例えば新薬の効果を判定するために、その新薬を使った人の回復具合を調べるのと同時に、プラセボ(偽薬)を使った人の回復ぶりもみるのはよく知られている。

 二重盲検法といって、<1>薬を飲む人<2>薬を渡す医者の両方が、誰が偽薬を飲むかを知らない「二重にわからなくする」念入りな効果判定手法だ。

確証バイアスという思い込み

 人が疑似科学を信じ込む第2段階は、「確証バイアス」と呼ばれる認識のゆがみだ。人間はいったん期待や思い込みを持つと、自分の思いに都合のいい事実だけに注意を払い、意に沿わない事象からは目を背ける傾向にある。

 例えば「あの占い師はよく当たるらしいね」と聞けば、普通は「どれくらい当たるの?」と質問する。「どれくらい外れるの?」という質問は、よほどのあまのじゃくでない限りしない。「よく当たる占い師なら自分も占ってもらいたい」と考える人であれば、「占ってもらった通り金運が巡ってきた」などとこの占い師の評価を高める情報に「やはりそうか」と思い、占いが空振りだったケースは探さない。

 「雨乞いで雨が降る」でも「占いがよく当たる」でも何でもいい。図2のように、いったん期待や仮説にとらわれると、人はそれに合致するような証拠ばかり集め、確証をさらに深めていく。この「確証バイアス」という厄介な人間心理が、疑似科学の横行に一役買っている。

 コロナ禍では「この病気に関する新しい知識が欲しい」「感染予防に役立つのならどんな手がかりでもいい」という人々の切実な思いが、不確かな情報を次々と拡散させ、結果としてインフォデミック(情報爆発)につながったのだろう。

疑似科学と向き合う

 一向になくならない疑似科学に私たちはどう対処していけばいいのか。信州大の菊池教授は「疑似科学にはどんなものがあるのか実情を知ることが第一歩だ」と語る。一般の人は例えば血液型性格診断などが疑似科学的な性質を持つことをあまりよく知らない。わざわざ疑ってかかることをしないからだ。菊池教授は「疑似科学は影響力が大きい。疑似科学として捉えるべきものが世の中にはあるという考え方をまず知ってほしい」と話している。

 そうした前提のうえで、図3の右側に示すように真正な科学が培ってきた「懐疑の思考」を心がけたい。真正な科学は、同じ条件なら誰がやっても同じ結果を導ける「再現性」を厳しく確認する。研究者個人の思い込みを排除するために、同じ研究分野の人間が論文をチェックする査読システムもあり、人が犯しがちな過ちを排除する仕組みを備えている。「人は必ず間違える」ことを前提にしているのが特徴だ。これに対し疑似科学は自分の考えに沿う証拠だけを集める「人を心地よくさせる」性質を持つだけにかえって危うい。

 考えてみればこのSNS時代、ITの進展で自分の意に沿う言説も、耳の痛い情報もどちらも容易に手に入る。にもかかわらず、自分と似たような見解ばかりフォローして、自分と違う意見は耳に入りにくい状況かもしれない。確証バイアスに陥りやすい時代状況なのではないか。しかもネット上の検索エンジンは、検索履歴からその人の好みを推論し、目を引きそうな広告を表示する。

 自分の「お気に入り」の物事がネットから目に飛び込んでくるし、自分の信念をツイッターでつぶやけば、共感のツイートがある。「いいね」に囲まれ、「いいね」の回数が気になる現代人のありようは、思慮深さとは対極のスタンスと言え、いつにもまして疑似科学の格好の標的になるのではないか。

 複眼的に物事を見て考える。懐疑精神を持ち異論にも耳を傾ける。疑似科学を見極めるために私たちが取るべき態度として肝に銘じたい。

  • 注釈
  • (注1)菊池誠ほか(2011年)『もうダマされないための「科学」講義』(光文社新書)24頁
  • (注2)菊池聡(2012年)『なぜ疑似科学を信じるのか』(化学同人)37頁
  • (注3)池内了(2008年)『疑似科学入門』(岩波新書)3~7頁
  • (注4)前掲:菊池誠ほか 19~21頁
  • (注5)前掲:菊池聡 82~98頁

  • 参考文献
  • 石川幹人(2016年)『なぜ疑似科学が社会を動かすのか』(PHP新書)
  • 菊池聡編著(2020年)『改訂版錯覚の科学』放送大学教材(放送大学教育振興会)
  • 菊池聡ほか(2019年)『Twitter利用と疑似科学信奉との関連』(信州大学人文科学論集第7号)
  • 菊池聡(2019年)『疑似科学を信じる心理』(理数系学会教育問題連絡会シンポジウムの講演資料)
  • 文部科学省ホームページ(https://www.mext.go.jp/kids/find/kyoiku/mext_0020.html)2020年9月15日最終閲覧

※この論考は調査研究本部が発行する「読売クオータリー」掲載されたものです。読売クオータリーにはほかにも関連記事や注目の論考を多数収載しています。最新号の内容やこれまでに掲載された記事・論考の一覧は こちら をご覧ください。
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