チエコ・アオキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/11 07:35 UTC 版)
チエコ・アオキ(Chieko Aoki, 青木 智栄子、1948年9月16日 - )は、ブラジルの女性実業家。日系準二世。
ブラジルを代表する大手ホテルグループ「ブルーツリー・ホテルズ&リゾーツ」会長 兼 最高経営責任者(CEO)[1]。
ブルーツリー創業以前には、シーザーパーク及びウェスティンの両ホテル・グループのオーナー社長を務めた。
ポルトガル語、英語、日本語、スペイン語の4カ国語に堪能で、フランス語での会話も可能[2]。
2013年に米国の有力経済誌『Forbes』においてブラジルで2番目に影響力のあるビジネス・ウーマンとして選ばれるなど[3]、世界から認められた最も著名な日系ブラジル人経営者として知られる[4]。
来歴
1948年9月16日、日本国福岡県に電気技師の父西村カオルと母西村タカコの娘として生まれる(結婚間の旧姓・西村)。1956年に7歳の時に、両親と兄と共に家族4人でブラジルに移住(兄は後にブラジルで生まれた弟と共に兄弟はサンパウロ大学(USP)工学部に進学)した。
既にブラジルで成功を収めていた母方の親戚の誘いを受けての移住であり、サンパウロ州バストスにある親戚が所有する農場で2年間を過ごし、ポルトガル語の習得に努めた[5]。経済的に恵まれ、両親が教育熱心であったことから、子供のために日本から書籍を取り寄せ、日本にいた頃と同様に、書道、絵画、バレエなどの習い事を続けさせた。当初は日本人学校に通うが、やがて現地校に移った[6]。
2年後、サンパウロ市に移り、アクリマソン地区に定住した。サン・カエターノ・ド・スルの高校に通学するとともに、サンパウロ中心部ラルゴ・デ・サン・フランシスコにあるアルバレス・ペンテアード商科学校(FECAP)の秘書コースで学んだ。夜は同時に英語の学校にも通い、ギターも習った。本人は当時「夢はなかった。手に職をつけようとひたすら現実を見ていた」と振り返る。
ブラジルの最高学府であるサンパウロ大学(USP)法学部に進学するとともに、米国フォード・モーター社のブラジル法人で役員秘書として働いた。1973年にUSP法学部を卒業し[7]、ブラジル弁護士会(OAB)登録弁護士(であるが、弁護士業は行っていない)[8]。25歳で日本に留学して上智大学で経営学を学ぶとともに、日本の伝統的な侘び寂び文化、日本特有の芸術観、日本の経済・社会構造などを学んだ[9]。その後、米国のコーネル大学でホテル経営学修士の学位を取得した。
シーザーパーク、ウェスティンの経営者
その後、日本のゼネコン企業であった青木建設がブラジル現地資本と設立した合弁会社に転職し、創業者・青木益次の長男で社長であった青木宏悦(元大蔵官僚、橋本登美三郎官房長官秘書官として勤務した時代に竹下登副長官と親密な関係を築く)と出会って結婚した。夫の宏悦は、ブラジル駐在を契機として、青木建設のブラジルでの事業を本格化させた。その事業の中核になったのがホテル事業だった。1982年にサンパウロを代表する5ツ星最高級ホテルであるシーザーパーク・サンパウロ(Caesar Park São Paulo)を開業した。サンパウロの中心地区であるコンソラソン地区アウグスタ通りに開業した同ホテルは、ブラジルの経済・金融の中枢であるパウリスタ大通りからわずか1ブロックの場所にあった。
アオキはマーケティングおよびセールスディレクターとしてホテル経営者としてのキャリアを開始した。シーザーパークは高く評価され、天皇皇后両陛下の1997年 5月30日から6月13日までのブラジル・アルゼンチン両国御訪問[10]において御宿泊所として利用されるホテルへと成長した。また、リオデジャネイロの高級ビーチであるイパネマ海岸、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにもホテルを開業した。南米を代表する3大都市であるサンパウロ、リオデジャネイロ、ブエノスアイレスにおいて、これら3つの5つ星ランクのホテルが、各都市の最高級ホテルとして評価され、1980年代から1990年代にかけて南米の高級ホテル業界をリードした[11]。
さらに1988年に、青木建設は当時世界最高級のホテル品質を誇ったアメリカ系の世界的チェーンであるウェスティン・ホテルズ&リゾーツを1730億円で買収した。アオキは、1989年にグループ会長に就いた夫の宏悦をサポートしながら、ウェスティン・ホテルズの副会長などを歴任して運営にも関わるとともに、世界中のホテル経営者と接触することで視野を広げ多くを学んだ。その後、シーザーパーク・ホテルズ&リゾーツ(Caesar Park Hotels & Resorts)とウェスティン・ホテルズ&リゾーツ(Westin Hotels & Resorts)の両方のホテル・グループ社長に就任した。「常に意識してきたのはサービスとイノベーション(変革)」。フロント脇にコーヒーサーバーを置くサービスは他社がまねてブラジル中に広がった。女性の1人客にはホテル内で女性スタッフが同行して安心感を与えるなどの工夫を次々と打ち出し、ホテルの評判は高まった。
しかし、日本でバブル景気が崩壊した影響を受けて、青木建設は業績悪化に陥り、1997年にブラジルを含めて世界中で展開していた19か国80以上のホテルをすべて手放した(2001年に民事再生法を申請、上場廃止)。シーザーパークはメキシコのポサダス(が後にアコーに再売却)に、ウェスティンはスターウッド(現マリオット)に売却された[12]。1997年は夫の宏悦も重度の脳卒中で病床に伏した辛い時期だった(後に2012年10月9日 81歳没)が、アオキは「少しでも良い条件で売却するのに必死で悲しむ暇はなかった」と当時を語っている。
ブルーツリーの創業と成功
ホテルを手放した同じ1997年に、アオキは、ブラジルのホテルの投資家グループから実績と手腕を買われて「ホテル経営を任せたい」との依頼を受けた。アオキは、当時のブラジルになかった4つ星クラスのシティホテルに将来性を見出し、サンパウロにホテル運営会社である「ブルーツリー・ホテルズ」(Blue Tree Hotels:アオキの英訳)のブランドを立ち上げ、社長兼CEOに就任した[13]。同社は、基本的にホテルの建物や土地への不動産投資は行わず、経営と運営のみを担い、ホテル・オーナーに配当を行う方式で成功し10年弱でブラジル有数のホテル・チェーンに育て上げた。2014年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会では、スペイン代表やアメリカ代表が宿泊するなど、代表選手の宿舎として利用された[14]。
ブルーツリーは現在(2025年)、サンパウロの7つのホテルを中心に、北はアマゾナス州都マナウスから南はリオグランデドスル州都ポルトアレグレに至るまで、ブラジル全土に21のホテルを運営している[15]。2022年の売上高が前2021年比で191パーセント増、パンデミック前の2019年との比較で121パーセント増となるなど、好調な業績を達成している[16]。
アオキは、ホテル経営に多忙な傍ら、公職として、ラテンアメリカ実業家協議会(CEAL)、ビジネスリーダーズ・グループ(LIDE)、サンパウロ州産業連盟(FIESP)ブラジル日本グループ、ブラジルイベントアカデミー、ブラジル日本人移民100周年記念協会、多くの観光関連団体など、政府機関や民間団体のメンバーを務めてきた。2006年には LIDEM (女性ビジネスリーダー・グループ) の会長に選出され、ブラジルの優秀な専門家を集めるために設立された団体であるブラジル・マーケティング・アカデミーの委員に就任した[17]。
人物
以下「ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(27) 青木 智栄子 社長」サンパウロ新聞WEB版(2014年5月30日)より抜粋[18]。
「……青木が日常心がけていることは「常に学び、進化し続けること」と「そういった人材を育てるこ と」の2点という。また、社員に求めている基本スタンスは「モラルを守ること」、「責任感を持つこと」、「人に対する優しさを持つこと」だという。まさに ホテル経営者のエキスが凝縮された言葉だ。
この青木の人生の凄さは、ホテル事業と出会って以来、人づくりをバックボーンにした自 分自身への挑戦と、明るく前向きな人生を貫いている点だろう。ホテル事業という人と人との信用がものをいう世界で1度でなく3度も新たな挑戦を行い、きっ ちり結果を残していることは大変な経営者であり実力者だ。経営者としても一個人としても、青木の明るい人柄を反映してか、ブラジル国内だけでなく中南米全 域の経営者にも青木のファンは多い。
また一方でブラジルの経済界からは、ブルーツリーホテルズは「人材輩出企業」とも言われている。ここで育った従業員は、人間的にもきっちりと育てられている人材が多く、それ故、早急に人手が欲しい病院や同業他社、また異業種会社を含めて、高待遇 で引き抜かれるケースも多い。この点に関して青木はこう語る。「私はホテルビジネスを通して良い人材を育て上げることが務めであると思っている。結果的に はその人材がブラジルの地域や社会に貢献し、ブラジル発展の一助につながっていけば私はそれでよいと信じている」と青木から堂々とした答えが返ってきた。
「私は過去を振り返らない、人生は常に創っていくもの」と語った後に、ホテル事業で世界の一流という頂点を2度極めた青木は、「ホテル経営に携わっている 立場として『人を育てることが経営における最大のやりがい』」と青木だけが持っているオンリーワンの言葉で取材を結んだ。」
脚注
- ^ 「責任と目標で生きる 青木智栄子さん(ブルーツリー・ホテルズ&リゾーツ会長兼CEO)」 日本経済新聞(NIKKEI STYLE アーカイブ)2014年4月27日
- ^ 「ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(27) 青木 智栄子 社長」サンパウロ新聞WEB版2014年5月30日より転載 私たちの50年!! 2019年05月22日
- ^ “Perfil de Chieko Aoki : Descubra a biografia da "dona da hotelaria" no Brasil e da Blue Tree Hotel, além de sua idade, formação e mais” Invest News(1位はペトロブラス社長(当時)グラッサ・フォスター)
- ^ 日伯修交130周年を迎えての私の想い 一般社団法人 日本ブラジル中央協会
- ^ ”Chieko Aoki: a imigrante japonesa que virou dama da hotelaria no Brasil” InfoMoney 25
- ^ “Do Japão para o Brasil, uma grande Aventura” Conte sua história : Chieko Aoki
- ^ 「責任と目標で生きる 青木智栄子さん(ブルーツリー・ホテルズ&リゾーツ会長兼CEO) 日本経済新聞(NIKKEI STYLE アーカイブ)2014年4月27日
- ^ “Chieko Aoki :um ikigai pautado na arte do bem receber” HOTELIER NEWS 28/06/2023
- ^ 「ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(27) 青木 智栄子 社長」サンパウロ新聞WEB版2014年5月30日より転載 私たちの50年!! 2019年05月22日
- ^ 「ブラジル・アルゼンチンご訪問(平成9年)」 宮内庁 平成9年5月9日
- ^ 「ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(27) 青木 智栄子 社長」サンパウロ新聞WEB版2014年5月30日より転載 私たちの50年!! 2019年05月22日
- ^ “Perfil de Chieko Aoki : Descubra a biografia da "dona da hotelaria" no Brasil e da Blue Tree Hotel, além de sua idade, formação e mais” Invest News
- ^ 「ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(27) 青木 智栄子 社長」サンパウロ新聞WEB版2014年5月30日より転載 私たちの50年!! 2019年05月22日
- ^ “Conheça Chieko Aoki, a dama nipo-brasileira dos negócios” Brasileitos 11/11/2014
- ^ Blue Tree Hotels (Home Page)
- ^ “Blue Tree fecha 2022 com crescimento de 191 em receita” HOTELIER NEWS 28/04/2023
- ^ “Chieko Aoki: Biografia e Trajetória” Blue Tree Hotels
- ^ 「ブラジルの未来を切り開く日系人経営者(27) 青木 智栄子 社長」サンパウロ新聞WEB版2014年5月30日より転載 私たちの50年!! 2019年05月22日
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