海外ハブ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 03:08 UTC 版)
また、アジアで唯一の先進国で政治的に安定している民主主義国でもあり、以遠権がある上に高度経済成長下で外国からのビジネス訪問客が増加していた日本の東京国際空港をハブ空港にして、大阪国際空港などの日本国内や香港、中華民国やフィリピン、南ベトナムやインドネシアなどのアジア域内、グアム路線などのアジア太平洋地域への乗り継ぎ便を、1940年代後半から1960年代前半にかけて開拓していった。 またスエズ運河の東方における最大のハブの東京では、整備や客室乗務員、営業やマーケティングなどの数百人の従業員を雇用したのみならず、大田区内に自社専用の機内食工場を構えるという大所帯であった。 同時期のヨーロッパにおいては、ロンドンやフランクフルトをハブ空港に、イタリアやスイス、オランダやベルギー、デンマークやスウェーデン、ソビエト連邦やトルコなどのヨーロッパ域内の乗り継ぎ便を運航した。また、ヨーロッパのハブのロンドンやフランクフルトでも東京と同様の体制を取った。 さらに、第二次世界大戦終結後に西ドイツと東ドイツに分断されたドイツにおいて、西ドイツの東ドイツ内の飛び地となった西ベルリンと西ドイツ各都市の間の便を運航するなど(同路線は西ドイツの航空会社は運航できなかった)、以遠権や戦勝国の1国としての権益をフルに使った域内国際線の運航も活発に行った。
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