橋上秀樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/28 12:12 UTC 版)
読売ジャイアンツ 作戦戦略コーチ #75 | |
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オイシックス新潟アルビレックスBC監督時代 (2024年5月) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県船橋市 |
生年月日 | 1965年11月4日(58歳) |
身長 体重 | 180 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、捕手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト3位 |
初出場 | 1988年6月25日 |
最終出場 | 1999年10月2日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について |
橋上秀樹 | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2021年11月1日 - |
ジャンル | 野球 |
登録者数 | 7120人 |
総再生回数 | 2,681,488回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2023年4月15日時点。 |
橋上 秀樹(はしがみ ひでき、1965年11月4日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(外野手・捕手、右投右打)、プロ野球コーチ、YouTuber。
経歴
現役時代
安田学園高校から1983年のドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。後に外野手へ転向し、主に守備固めや代打のほか、左投手の時にはスタメンや代打で登場することが多かった[1]。
1992年には自己最多の107試合に出場し、西武との日本シリーズでも8打数5安打1本塁打とジョニー・パリデスと共にラッキーボーイ的存在になり活躍した。
1993年以降も主に控えではあったが、右の代打として活躍。
1996年オフに金銭トレードで日本ハムファイターズへ移籍。
1999年は不振に終わり、同年オフに戦力外通告を受ける。ヤクルト時代の恩師で、前年のシーズンオフに監督に就任していた野村克也に請われる形で、10月22日に阪神タイガースへ移籍。
2000年は一軍へ上がれず、9月23日に戦力外通告を受け、現役を引退。
引退後
引退後は現役時代から副業で営んでいたゴルフショップ「ゴルファーズマート甲子園」の経営に勤しみつつ[2]、東京ドームの日本ハム戦中継の解説者も務めていた。
2005年には、既に入団していた松井優典に請われる形で、二軍外野守備・走塁コーチに就任。新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスが野村の監督招聘を計画していたため、野村の野球理論を理解しているコーチを招聘していたものであった。シーズン途中から一軍外野守備・走塁コーチ。
2007年からは野村の下でヘッドコーチに昇格。
2009年シーズンには、野村の退任と同時に楽天を解雇[3]。野村は著書の中で打者分析や相手投手のクセの把握、戦術選択など意見交換できたし、よく支えてくれたと記している[4]。
楽天ヘッドコーチ退任後は日刊ゲンダイで「ヘッドコーチだけが知っている野村楽天の真実」というコラムを連載し、評論家として活動。
2010年にはスカイ・エー解説者を務めた。2010年10月27日に、ベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督に就任。
2011年にはチーム史上初となるリーグチャンピオンシップに導いたが、同年限りで退団[5]。
同年11月1日、読売ジャイアンツ一軍戦略コーチに就任。清武英利ゼネラルマネージャーの肝煎りで設立された戦略室の中心となる[6]。2012年は、狙い球を絞っての見逃し三振を容認することで四球を増やし、チームの出塁率を改善させた。日本ハムとの日本シリーズではコーチ登録を外れ、代わりに川相昌弘二軍監督がコーチ登録されてベンチに入った。
11月5日には野球日本代表の戦略コーチを務めることが発表された[7]。11月13日に、背番号が「75」となったことが発表された[8]。
2014年より一軍打撃コーチに転任して3連覇に貢献したが、同年のCSファイナルステージ敗退後の10月19日に球団へ退団を申し入れ了承された[9]。
10月29日、楽天の一軍ヘッドコーチに復帰することが発表された[10]。貧打解消のための参謀役として期待されたが[11]、2015年、前年のチーム打率.255、549得点がチーム打率.241、463得点、440打点と全て12球団リーグ最下位に低迷し[12][13]、順位も最下位に低迷し、シーズン最終戦終了後、翌10月7日に退団[14]。
2015年10月13日に2016年から西武の一軍作戦コーチに就任することが発表された[15]。
2017年からは、一軍野手総合コーチに就任することになった。
2018年は、一軍作戦コーチに肩書が変わる。2018年CSファイナルステージ敗退後の10月21日に退団が発表された。
2018年10月30日、2019年シーズンから東京ヤクルトスワローズの二軍チーフコーチに就任することが発表された[16]。1996年以来23年ぶりの古巣復帰となる。2019年9月29日に退団が発表された[17]。11月30日、以前監督を務めた新潟アルビレックス・ベースボール・クラブが、非常勤のチーム強化アドバイザー兼総合コーチとして橋上が就任することを発表した[18]。また、野球解説者としても活動する[要出典]。
2020年12月24日、10年ぶりに新潟の監督に復帰することが発表された[19]。復帰2年目のシーズン中となる2022年5月28日、胆嚢炎の治療を理由に監督を休養することが発表された(投手コーチの野間口貴彦が監督代行に就任)[20]。6月2日、翌3日の練習から監督に復帰すると発表された[21]。新潟がイースタン・リーグに移り、球団名が「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」となった2024年も指揮を執ったが、同年シーズン終了後の10月22日に監督を退任することが発表された[22]。
10月28日、巨人の作戦担当コーチに就任することが発表され、11年ぶりに復帰することとなった[23]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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1988 | ヤクルト | 35 | 18 | 16 | 9 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | .125 | .176 | .188 | .364 |
1989 | 42 | 54 | 52 | 10 | 18 | 1 | 1 | 1 | 24 | 4 | 4 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | .346 | .358 | .462 | .820 | |
1990 | 25 | 26 | 22 | 2 | 5 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 7 | 1 | .227 | .346 | .318 | .664 | |
1991 | 59 | 215 | 195 | 29 | 56 | 9 | 2 | 5 | 84 | 17 | 5 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | 3 | 45 | 4 | .287 | .347 | .431 | .778 | |
1992 | 107 | 205 | 176 | 24 | 40 | 5 | 2 | 6 | 67 | 18 | 5 | 3 | 1 | 1 | 27 | 0 | 0 | 37 | 6 | .227 | .328 | .381 | .709 | |
1993 | 49 | 121 | 105 | 11 | 32 | 5 | 0 | 1 | 40 | 15 | 5 | 0 | 1 | 2 | 13 | 1 | 0 | 17 | 1 | .305 | .375 | .381 | .756 | |
1994 | 7 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 | |
1995 | 34 | 67 | 57 | 7 | 17 | 4 | 0 | 2 | 27 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 8 | 2 | .298 | .403 | .474 | .877 | |
1996 | 16 | 27 | 24 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 7 | 2 | .167 | .259 | .208 | .468 | |
1997 | 日本ハム | 40 | 53 | 45 | 1 | 9 | 1 | 0 | 0 | 10 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 12 | 0 | .200 | .321 | .222 | .543 |
1998 | 91 | 94 | 83 | 11 | 25 | 3 | 0 | 1 | 31 | 12 | 5 | 2 | 1 | 1 | 9 | 1 | 0 | 20 | 2 | .301 | .366 | .373 | .739 | |
1999 | 38 | 37 | 28 | 9 | 6 | 2 | 0 | 1 | 11 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 8 | 0 | 0 | 7 | 0 | .214 | .389 | .393 | .782 | |
通算:12年 | 543 | 924 | 810 | 114 | 215 | 32 | 6 | 17 | 310 | 86 | 28 | 13 | 8 | 4 | 98 | 3 | 4 | 177 | 19 | .265 | .346 | .383 | .729 |
記録
- 初出場:1988年6月25日、対読売ジャイアンツ12回戦(東京ドーム)、8回裏に中堅手として出場
- 初先発出場:1988年7月5日、対横浜大洋ホエールズ13回戦(明治神宮野球場)、「8番・中堅手」として先発出場
- 初安打:1988年7月10日、対中日ドラゴンズ11回戦(ナゴヤ球場)、7回表に米村明から二塁打
- 初打点:1989年10月2日、対横浜大洋ホエールズ23回戦(横浜スタジアム)、2回表に大門和彦から2点適時三塁打
- 初本塁打:1989年10月7日、対中日ドラゴンズ24回戦(ナゴヤ球場)、1回表に米村明から先頭打者本塁打
背番号
- 31(1984年 - 1992年)
- 7(1993年 - 1996年)
- 28(1997年 - 1999年)
- 48(2000年)
- 78(2005年 - 2009年、2011年、2015年、2019年)
- 73(2012年 - 2014年、2016年 - 2018年、2020年 - 2024年)
- 75(2025年 - )
関連情報
著書
- 『野村の「監督ミーティング」~選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」~』(2010年5月28日、日本文芸社)
- 『野村の授業 人生を変える「監督ミーティング」弱小集団を変えた育成術、組織論、人生法則(2010年11月30日、日本文芸社)
- 『そのとき野村が考えていたこと 野村克也の野球論、人材育成・組織術』(2011年2月5日、洋泉社)
- 『野村克也に挑んだ13人のサムライたち』(2011年4月20日、双葉社)
- 『一流になるヤツ、二流で終わるヤツ - しのぎを削る野球界で見た「伸びるヤツ」の条件』(2012年5月1日、日本文芸社)
- 『参謀論: プロ野球最強コーチの「組織と人を動かす」言葉』(2019年3月26日、徳間書店)
- 『常勝チームを作る「最強ミーティング」 プロ野球監督に仕える「参謀」の役割』(2020年5月28日、カンゼン)
- 『阿部慎之助の野球道』(2020年9月29日、徳間書店) - ※阿部慎之助との共著。
脚注
- ^ 橋上秀樹『野村克也に挑んだ13人のサムライたち』株式会社双葉社、2011年、216ページ、ISBN 978-4-575-15371-2
- ^ 橋上秀樹『野村の「監督ミーティング」~選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」~』日本文芸社、2010年、102頁。
- ^ 「ノム組解体8人クビ楽天躍進後の異常人事」『日刊スポーツ』2009年10月26日。2024年10月22日閲覧。
- ^ 野村克也著、野球のメキキ 観戦力が高まる本、2012年、東邦出版、P153
- ^ 「橋上秀樹監督退任のお知らせ」『新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ』2011年10月24日。2011年11月5日閲覧。
- ^ 「【巨人】清武GM「戦略室」の新設を発表」『日刊スポーツ』2011年11月2日。2024年10月22日閲覧。
- ^ 侍ジャパン コーチ人事について NPB公式サイト (2012年11月5日) 2015年4月15日閲覧
- ^ 侍ジャパン 監督、コーチ背番号決定のお知らせ NPB公式サイト (2012年11月13日) 2015年4月15日閲覧
- ^ 「巨人、川口コーチ退任 橋上コーチは退団」『日刊スポーツ』2014年10月19日。2024年10月22日閲覧。
- ^ 東北楽天 橋上氏がヘッドコーチ復帰 河北新報 2014年10月30日
- ^ 「楽天 巨人・橋上コーチ招へい 貧打解消&参謀役期待」『スポーツニッポン』2014年10月19日。2024年10月22日閲覧。
- ^ 2015年度 パシフィック・リーグ パシフィック・リーグ チーム打撃成績
- ^ 2015年度 セントラル・リーグ セントラル・リーグ チーム打撃成績
- ^ 来季のコーチ契約に関して 楽天公式サイト 2015年10月7日
- ^ 「2016年度 コーチングスタッフ発表!」『埼玉西武ライオンズ』2015年10月13日。2024年10月22日閲覧。
- ^ 「コーチ契約について」『東京ヤクルトスワローズ公式サイト』2018年10月30日。2018年10月30日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】田畑投手コーチ、石井打撃コーチ、橋上2軍チーフコーチの退団を正式発表」『スポーツ報知』2019年9月29日。2024年10月22日閲覧。
- ^ 新コーチ決定のお知らせ - 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2019年11月30日)
- ^ 「新監督決定のお知らせ」『新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ』2020年12月24日。2020年12月24日閲覧。
- ^ 橋上秀樹監督休養のお知らせ - 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2022年5月28日)2022年5月29日閲覧。
- ^ 橋上秀樹監督復帰のお知らせ - 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2022年6月2日)2022年6月2日閲覧。
- ^ 橋上秀樹監督 退団のお知らせ - オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2024年10月22日)2024年10月28日閲覧。
- ^ “巨人が新体制発表 橋上秀樹氏、松本哲也氏が入閣 1軍内野守備コーチに古城茂幸氏”. サンケイスポーツ. (2024年10月28日) 2024年10月28日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 橋上秀樹 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
- 橋上秀樹アナライズTV - YouTubeチャンネル
固有名詞の分類
日本の野球選手 | 松下一郎 銭場一浩 橋上秀樹 森笠繁 藤井信行 |
阪神タイガース及びその前身球団の選手 | 村上雅則 河津憲一 橋上秀樹 伊藤文隆 大橋棣 |
北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 | 山中潔 河津憲一 橋上秀樹 西田亨 エリック・アルモンテ |
東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 | ジェイミー・デントナ ジェイソン・ベバリン 橋上秀樹 西田亨 津川力 |
野球監督 | 濃人渉 久慈次郎 橋上秀樹 石毛宏典 大橋棣 |
日本の実業家 | 深見富朗 矢部美幸 橋上秀樹 小泉勝 吉田康 |
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