九津見房子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/05 14:21 UTC 版)
九津見 房子(くつみ ふさこ、1890年10月18日 - 1980年7月15日)は、日本の社会運動家、社会主義者。日本最初の社会主義女性団体「赤瀾会」の創設者の一人[1]。女性として初めて治安維持法により服役し、ゾルゲ事件にも連座して再度入獄した[2]。
注釈
- ^ 原書はBellamy, Edward (1887) Looking Bacward: 2000-1887, Routledge。堺訳は『百年後の新社会』堺枯川(訳)、平民社〈平民文庫〉、再版、1904年NCID BA45623724。1953年に改題改版し山本政喜(訳)『顧りみれば』、岩波書店〈岩波文庫:赤(32)-332-1〉。さらに1975年中里明彦(訳)『エドワード・ベラミー』(本間長世解説)に改版改題、研究社出版〈アメリカ古典文庫〉に収録。
- ^ 房子は戦後の1961年に明治大学で開かれた「福田英子を記念する集い」に参加し、終了後の座談会で晩年の英子の行状(生活のために粗悪な呉服を知人に売った)が話題に出た際「そんなことがあったとしても、明治四〇年前後の治安警察法改正運動や、『世界婦人』の発行など、先駆的な働きは、それはそれとして評価してください」と声を上げたという[14]。また石川三四郎とは赤瀾会を離れてから没交渉だったが、1956年の葬儀や「しのぶ会」には参列・参加している[14][15]。
- ^ このはとこは、房子の女学校時代に社会主義集会の様子を話したりして、社会主義への関心を開いた一人であった[5]。
- ^ 山辺健太郎は、高橋貞樹の救援金要請に来た房子に対し「コミンテルンの悪口をいう奴に金をやることはない」と怒り、房子の集めた救援金を取り上げて非転向という理由で国領五一郎に送ったと証言している[45]。
- ^ 安田徳太郎の義弟(妹の夫)。
- ^ 当時房子は一国社会主義を支持する立場にあった[46]。
- ^ 実際にはほかにモンゴル人民共和国が存在していたが、当時の日本は国家承認していなかった。
- ^ 囚人から図書カードを集め、それに応じて書籍を差し入れる係。山代は「独歩」と呼ばれる、所内で一人歩きを許された囚人だった[54]。
脚注
- ^ “九津見房子 - デジタル版 日本人名大辞典+Plus”. コトバンク. 2019年7月8日閲覧。
- ^ a b 斎藤恵子 2020, p. 1.
- ^ a b c d 斎藤恵子 2020, pp. 6–9.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, pp. 10–11.
- ^ a b c d e 斎藤恵子 2020, pp. 12–13.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 14–15.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 16–17.
- ^ a b c 斎藤恵子 2020, pp. 17–24.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, pp. 26–31.
- ^ 全国書誌番号:00064850
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 31–32.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 33–34.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 35–38.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, pp. 40–42.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 284–286.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, pp. 43–44.
- ^ a b c d e f g h i j k l 斎藤恵子 2020, pp. 45–49.
- ^ 「村落通信」1-3『高田集蔵文集』第1集-第4集、小金井:高田集蔵著書刊行会、1984年10月-1986年5月。全国書誌番号:85017979ほか。
- ^ 高田集蔵 1922, p. 315-.
- ^ 高田集蔵 1922, p. 336-.
- ^ a b c d e f 斎藤恵子 2020, pp. 49–53.
- ^ a b c 斎藤恵子 2020, pp. 54–55.
- ^ 斎藤恵子 2020, p. 57.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, pp. 66–67.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, pp. 68–69.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, pp. 71–78.
- ^ a b c 斎藤恵子 2020, pp. 82–84.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 90–93.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, pp. 96–99.
- ^ a b c 斎藤恵子 2020, pp. 106–109.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 120–123.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 125–127.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 137–139.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 128–129.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 142–144.
- ^ 斎藤恵子 2020, p. 135.
- ^ a b c 斎藤恵子 2020, pp. 163–165.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 166–169.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 172–173.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 175–178.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 179–185.
- ^ a b c 斎藤恵子 2020, pp. 189–194.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 203–204.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, pp. 209–211.
- ^ a b c d e 斎藤恵子 2020, pp. 212–221.
- ^ a b c 斎藤恵子 2020, pp. 222–224.
- ^ 斎藤恵子 2020, p. 241.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 244–246.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 251–252.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, pp. 253–255.
- ^ a b c 斎藤恵子 2020, p. 262.
- ^ 斎藤恵子 2020, p. 239.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 256–259.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, p. 264.
- ^ 斎藤恵子 2020, p. 269.
- ^ a b c 斎藤恵子 2020, p. 266-267.
- ^ 斎藤恵子 2020, p. 270.
- ^ a b c d e 斎藤恵子 2020, pp. 271–275.
- ^ a b 斎藤恵子 2020, pp. 279–283.
- ^ a b c 斎藤恵子 2020, pp. 286–289.
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 100–106.
- ^ 斎藤恵子 2020, p. 112.
- ^ 小宮山富恵 - 『デジタル版日本人名大辞典+Plus』講談社(コトバンク)
- ^ 斎藤恵子 2020, pp. 129–130.
- ^ 牧瀬菊栄 1973, p. __.
- ^ 牧瀬菊栄 1975, pp. [, 要ページ番号], .
- ^ 江刺昭子 1980, pp. [, 要ページ番号], .
- 1 九津見房子とは
- 2 九津見房子の概要
- 3 引用
- 4 関連文献
固有名詞の分類
- 九津見房子のページへのリンク