ミソラ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 00:44 UTC 版)
「第35回NHK紅白歌合戦」の記事における「ミソラ事件」の解説
大トリの異様な雰囲気が続いた状況の中、生方は「もっともっと沢山の拍手を、ミソラ…、ミヤコさんにお送りしたいところですが、何ぶん限られた時間です。審査の得点の集計に入りたいと思います。」と、都の名前を美空ひばりと言い間違えてしまう失態を演じ、またこれにより鈴木の「私に1分間時間をください」の名フレーズをも吹き飛ばしてしまうほど各方面で大きく話題となり、さらにはその言い間違いがNHK内外を問わず問題視されることとなった。 詳細は「生方恵一#ミソラ事件」を参照
※この「ミソラ事件」の解説は、「第35回NHK紅白歌合戦」の解説の一部です。
「ミソラ事件」を含む「第35回NHK紅白歌合戦」の記事については、「第35回NHK紅白歌合戦」の概要を参照ください。
ミソラ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 00:33 UTC 版)
1984年12月31日、『第35回NHK紅白歌合戦』で総合司会を担当。同紅白でラストステージを公言していた都はるみが、涙のアンコール曲となった「好きになった人」を歌い終えた直後、得点集計に移ろうとした生方は、「もっともっと、沢山の拍手を、ミソラ…(首を振りながら絶句、一瞬固まる)、ミヤコさんに、お送りしたいところですが…何ぶん限られた時間です。審査の得点の集計に入りたいと思います。」と、都の名前を美空(ひばり)と言い間違えてしまう失態を演じてしまう。この映像はNHKの公開ライブラリーで視聴することができる。 ただ、放送当時はその場で指摘した歌手は誰もおらず、紅白自体はそのまま放映終了となった。 しかし、翌1985年の年明けからこの事件に関し、紅白での都のラストステージにして、瞬間視聴率80%超となる程の大舞台で犯したミスであったことから、当時は単なる言い間違いでは済まされないものとされ、週刊誌や民放各局のワイドショー・バラエティ番組などでも大きく取り上げられ、視聴者やNHK内からも問題視する意見が挙がるようになる(後に紅白ではこのような演出やハプニングはある程度許容されるようになったが、当時は視聴率の日本一高い番組であったのみならず、格式の高い番組でもあったこともあり、間違いはほぼ認められていなかった)。その結果、白組司会を務めた先輩・鈴木健二による『私に1分間時間をください!』との名フレーズをも吹き飛ばしてしまうぐらいの大きな話題となった。 生方本人も当時放送総局長だった川口幹夫の提案で、1月9日に一言謝罪の言葉を述べていたものの、その後に生方が異動や退職をしたことで、話が大きくなった一面がある。 生方本人によると、その後7月にあった大阪局への異動は、紅白前から既に内示のあったものだったとしており、退職の理由は異動後の役職がアナウンスから離れていたもの(栄転)であったから、さらに『週刊現代』2005年1月1日号では、夫人の乳癌手術による単身赴任を嫌ったものとして、「ミソラ事件」の影響という説を否定している。 ただ、同じく『週刊現代』2005年1月1日号や『朝日新聞』1991年6月13日の記事等で「『はるみちゃん』と呼ぼうとするのをNHKらしくするために『都はるみさん』ととっさに変えたことに間違いがあったと反省しており、それは徳光和夫に指摘されたとのことである。また鈴木が『私に1分間時間をください!』(アドリブでアンコールを入れた)発言からによる進行の混乱を招いたことが原因と捉え、フォローできなかった点と合わせ、申し訳なかったと思っている」と述懐している。 美空ひばりは長く紅白の紅組トリを取って来た中心的歌手だったが、この時期は弟の不祥事のため選ばれなくなり、またひばりの方も依頼が来ても受けなくなるなど確執があった。ひばりはこの時、親友の浅丘ルリ子らと自宅のテレビで紅白を観ていたが、「あっ!ウブさん、今変なこと言ったよ」と浅丘と思わず顔を見合わせた後、ひばりは「ウブさんったら、私のことホント好きなんだから」と苦笑いしたという。この場面をテレビで見ていたひばりの関係者は「お嬢、大変なことが起きた!」と叫んだとされるが、ひばりは「あのアナウンサーの人(生方)があれでNHKをクビになるんだったら、私が一生食べさせてあげなきゃ」とも話していた。 都はるみは紅白の後、生方に対して「あんなこと(NHK退職)になっちゃって、あなたも大変だったわね」と気遣い、また数年後の復帰公演の楽屋で都は「少しは気が楽になったでしょう」「肩の荷が下りたでしょう」などと直接声を掛けている(生方からは「はるみちゃん、戻ってきたんだね」と返事したという)。当事者のひばり・都の2人は生方に対して同情的であり批判めいた発言は一切無く、2人は事件後も生方との親交を続けていた。
※この「ミソラ事件」の解説は、「生方恵一」の解説の一部です。
「ミソラ事件」を含む「生方恵一」の記事については、「生方恵一」の概要を参照ください。
- ミソラ事件のページへのリンク