STORY
私達の原点
全てはここから始まった
この店について語るべきことはあまりにも多い。祖父が戦後に建てた古い倉庫、運河を眺める広いテラス、手造りのビール、オープン以来つづけている若いアーティストたちによるアート展示、そしてこの店のたどってきた歴史… 97年のオープン以来毎年少しずつ進化をつづけ、05年には大きな改装も経験した。06年2月には水上ラウンジ、10年3月にはベーカリーカフェがオープンして朝8時から深夜までどの時間帯でも楽しめたりボートで来店できるようになったりしたが、すべてはティー・ワイ・ハーバーがあるからできたことだ。この店に対する思いは言葉で表せるものではない。皆で力をあわせて育ててきたし、自分たちもまた店に育てられてきた。
戦後、それまで質屋を経営していた祖父が天王洲に土地を買い、空襲で焼けた工場の鉄骨を買い取って倉庫を建て寺田倉庫が生まれた。時は移り80年代後半から倉庫街だった天王洲でウォーターフロントの先駆けとして開発が進むなか、それらの倉庫も改装されてモダンなオフィスやスタジオとして生まれ変わっていき、ティー・ワイ・ハーバーもその中の1つを改造して1997年4月に誕生した。1994年に地ビールが解禁されてから日本各地で300を超える醸造所が生まれたが、23区ではわずか4社(現在では2社)、大手資本の入らない唯一のビール会社としてアメリカ西海岸のブルワリーレストラン(醸造所に併設されたレストラン)をモデルに作られた。
オープン当初こそ立地や空間の良さもあって話題を呼んだもののその後業績が伸びず、今では想像もつかないが2年近く経って店はつぶれる一歩寸前の状態だった。そのため新たなマネージメントチームで店舗を引き継いだのが1999年4月。負の遺産を抱えての再出発には語りきれないほどの出来事や苦労があったが、一度好循環に入ると店は順調に成長していった。苦しかった時期を経験している分だけ、この店に対する思いは強いのだ。
広い東京でもここほど広い客層を持つ店は少ないだろう。年齢・国籍・性別を問わず、接待もデートもできればファミリーでも来られパーティーもできる。万人受けすることが難しい業界でここまで幅広い顧客に支持されるのは、ひとえに環境が持つ包容力のおかげなのかもしれない。 品川駅から徒歩圏内という恵まれた立地でありながら、ここでは都心にいるとは思えないような、ゆったりとした時間が流れている。そして時間帯によって移り変わる光景や体で感じる天気の変化は、自分が自然の中で生きていることを感じさせてくれる。日中は明るく大きな空が広がり、夜は静かな夜景と水の音に囲まれるが、特に夕暮れ時にカラーがモノトーンに切り替わる瞬間、水辺が見せる表情は言葉を失う美しさだ。雨が降る前には空気の変化を肌で感じるし、年に何回かは夕焼けが真っ赤に空を染めて水面の反射により不思議な赤い世界を作り出す。
「東京ではないみたい」と言われることもあるが、かつて「水の都」であった東京に残る貴重な水辺の空間であり、まだまだ多くの人が知らない東京らしい水辺のライフスタイルがここにはある。