米国連大使「大江氏のワイン選択に感謝」と河野洋平外相に礼状 〝ワイン外交〟本格化 

国際舞台駆けた外交官 大江博氏(12)

米国連大使から河野洋平氏に、大江博氏絡みの礼状が届いた=東京・内幸町の日本記者クラブ(酒巻俊介撮影)
米国連大使から河野洋平氏に、大江博氏絡みの礼状が届いた=東京・内幸町の日本記者クラブ(酒巻俊介撮影)

公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。ピアニスト、ワイン愛好家として知られ、各国に外交官として赴任した大江博・元駐イタリア大使に異色の外交官人生を振り返ってもらった。

〝条約の神様〟のアイデア

《1998年、国連政策課長に就任した》

サダム・フセイン政権下のイラクは国連の核査察に非協力的でした。このまま査察に誠実に応じなければ、「最も厳しい結果」を招くとの国連安全保障理事会決議案が日英共同で提出され、採択されました。

もともと、査察への非協力的態度がイラクにどんな結果をもたらすかとの決議案を巡り、できるだけ強い文言を盛り込みたい米国と、武力行使を強く示唆する文言を回避したい中国、ロシア、フランスとの間で、強い意見の相違がありました。

小和田恒氏=1998年撮影
小和田恒氏=1998年撮影

「最も厳しい結果」という決議案の文言について、日本は「the」を付けない最上級の用法を使うことを提案。これは〝条約の神様〟と呼ばれていた小和田恒国連大使が考え出したアイデアです。

通訳に議場で目くばせ

この文言の〝ミソ〟は、①theが付いた最上級と同じ意味②veryと同じ意味―の両方があるというもの。米国としては「the severest consequences」(もっとも厳しい)、中露仏としては「very severe consequences」(とても厳しい)と解釈することができ、双方の主張を維持できるのです。

私は決議案採択の日、安保理の議場にいました。フランスと中国の代表は採択の際、通訳に「訳し方を間違えるなよ」と目くばせしていた。米国の国連大使は採択後の記者会見で「『最も厳しい』(the severest consequences)という文言となった」と胸を張りました。米国としては、theが付いていようがいまいが、同じ意味ということになるのでしょう。

こうした〝同床異夢〟は本来、望ましいものではありません。しかし、紛争当事国は私たちが思う以上に、国際世論を測る指標として決議案が採択されるか注視している。合意困難なものを合意させる知恵でもあるのです。

ニューヨークの国連安全保障理事会の議場(共同)
ニューヨークの国連安全保障理事会の議場(共同)

ロシア、恥をかく

《99年春、北大西洋条約機構(NATO)が新ユーゴスラビア連邦への空爆に踏み切った。ロシアは、国連憲章違反だと非難する安保理決議案を提出した》

私はニューヨークに出張し、ロシアが決議案を提出したその日、露代表部の公使と昼食を共にしました。私は「こんな決議案が安保理で通る訳がない。なぜ提出したのか」とたずねました。すると、彼は「採択されないのは分かっている。しかし、15カ国の安保理メンバーのうち多数が決議案に賛成すれば、それが国際世論であることを示すことになり、意味がある」と言うのです。

蓋を開けると、賛成はロシア、中国など3カ国だけ。ロシアは恥をかきました。

露提出の決議案が否決されたのは、採択されればコソボ地域でアルバニア系住民を迫害していたミロシェビッチ大統領に間違ったメッセージを送ることになり、結果として、解決を遅らせるという国際社会の判断があったと思います。

高齢女性、抱きつく

《日本は空爆後、コソボ支援を行った》

コソボ北部ミトロビツァ(ゲッティ=共同)
コソボ北部ミトロビツァ(ゲッティ=共同)

コソボの冬は零下20度にもなります。人々は空爆で住宅を破壊され、住む場所もない。住宅支援は本来、欧州連合(EU)の仕事ですが、官僚主義の弊害で春まで予算がつかない状態でした。クシュネール国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)代表の補佐官を務めていた岡村善文氏から窮状を聞き、日本政府として緊急無償で住宅を建てたほか、阪神・淡路大震災(95年)時の余剰分だったプレハブ住宅をNGO(非政府組織)と協力して送るなどしました。

私が出張でコソボを訪れたとき、高齢女性から「私たちは日本のおかげで生き延びた」と抱きつかれ感謝された。アナン国連事務総長や、クシュネール氏が来日し、総理と会談した際も、真っ先に「住宅支援は本当に助かった」と口にしました。何十億円、何百億円規模の支援ではありませんが、時宜にかなった支援の重要性を実感しました。

「どこの国のワイン?」

国連政策課長時代の大江博氏(本人提供)
国連政策課長時代の大江博氏(本人提供)

《クシュネール氏を京都へと案内した。〝大江流・ワイン外交〟が本格化するのはこの頃からだ》

外務省から要人との〝仕事メシ〟の予算は出ますが、その額は多くない。このため、要人との食事では毎回、自分のワインを持ち込むことにしていました。フランス人のクシュネール氏にはボルドーの1級ワインを出し、喜んで頂きました。

米国のホルブルック国連大使を京都にお連れした際は、米国のワインを持参した。彼は一口飲んだ後、「このワインはうまい。どこのワインか?」とたずねました。カリフォルニアワインであることを告げると「まさか、日本で日本人からカリフォルニアワインを教わるとは思わなかった」と唸っていました。

彼は後日、河野洋平外務大臣(当時)に、次のような礼状を送ったそうです。

「大江課長による卓越したワインの選択に感謝する」

河野氏は礼状を読み、一体、何のことだろうと思ったに違いありません。(聞き手 黒沢潤)

おおえ・ひろし〉1955年、福岡市生まれ。東京大経済学部卒。79年に外務省入省。国連政策課長、条約課長などを経て、2005年、東大教授。11年にパキスタン大使、16年に環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)首席交渉官、17年に経済協力開発機構(OECD)代表部大使、19年にイタリア大使。現在は東大客員教授、コンサルティング会社「神原インターナショナル」取締役などを務める。

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