「皇祖天照大神は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を大八洲(日本)に降ろされるとき、三種の神器を授けられました。三種の神器は皇位の御証であるだけでなく、これをもって至大の聖訓を示されたのです。すなわち万物を照らす鏡は知を、円満にして温潤な玉は仁を、剣は説明するまでもなく勇を-。つまり三種の神器は、知仁勇の三徳を実物に託して示されたものなのです」
以上の授業内容は、杉浦の死後に助手が刊行した「倫理御進講草案」から概略をうかがえる。杉浦は、知仁勇の三徳は中国でも西洋でも尊ばれているとし、「ただ、彼(中国や西洋)においては理論によって三徳を説き、我にあっては三種の神器によって示されている違いがあるだけです。王者が三徳を修得すれば、天下国家も平穏になることでしょう」と諭した。
そして、裕仁皇太子の目を見つめながら、最後をこう締めくくった。
「倫理というのは、口で論じるだけでは何の意味もありません。実践躬行の四字あるのみです。こいねがわくは、殿下もよく実行されますように」
45分間の定刻より5分ほど早く、杉浦は授業を終えた。ほっとしたことだろう。同時に、将来の天皇に帝王学を教える責任を、改めて実感したはずだ。
翌日、こう詠んでいる。
数ならぬ 身にしあれども 今日よりは 我身にあらぬ 我身とぞ思ふ
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