関西電力・黒部川第4発電所、通称「黒四(くろよん)」は、「世紀の大事業」として語り継がれてきた。なかでも困難を極めたのが、資材や機械を搬送するために掘られた大町トンネルの工事である。
▼北アルプスを掘り進めていくと、「破砕帯(はさいたい)」と呼ばれる大量の地下水を含む軟地盤にぶちあたる。現場を指揮した笹島信義さんによれば、「極限状態のなかでおこなう作業はまさに戦争」だった。自身、濁流と土砂に10メートル以上も吹き飛ばされ、九死に一生を得た経験を持つ。
▼貫通したのは、着工から1年半たった昭和33年2月25日である。仲間たちと祝い酒を浴びるように飲んだ。みんな泣いていた。「わが生涯で、一番うまい酒だった」。著書の『おれたちは地球の開拓者』で振り返っている。
▼43年に公開されて大ヒットした映画「黒部の太陽」は、この工事に関わった人々の苦闘を描いている。石原裕次郎が演じた主人公は、笹島さんがモデルだった。貫通式は映画でも一番盛り上がるシーンである。笹島さんも菰樽(こもだる)を割る役を引き受けた。