関西の若者を中心に旋風を巻き起こしたフォークソングをけん引してきた高石ともやさん(2017年、京都市中京区・京都新聞社)

関西の若者を中心に旋風を巻き起こしたフォークソングをけん引してきた高石ともやさん(2017年、京都市中京区・京都新聞社)

JR京都駅前で歌う高石ともやさん(2004年5月22日、京都市下京区)

JR京都駅前で歌う高石ともやさん(2004年5月22日、京都市下京区)

 京都を拠点に日本のフォークソング界を草創期から支え続けた歌手の高石ともや(たかいし・ともや、本名尻石友也=しりいし・ともや)さんが17日午後3時半、膵がんのため京都市内の病院で亡くなった。82歳。北海道出身。自宅は公表していない。近日中に近親者のみで葬儀を行い、後日、お別れの会を開く予定。

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 立教大学在学中にボブ・ディランらの歌を訳してフォークソングを始め、1966年9月に大阪で初ステージ。同年12月にシングル盤「かごの鳥ブルース」でデビューした。

 社会の矛盾や不条理などを表現するメッセージソングを確立した先駆者で、学生、労働運動の高まりとともに、関西を中心に支援者を拡大。68年「受験生ブルース」がヒットし、関西フォークの旗手と呼ばれた。

 一時活動を休止したが、71年に米国のブルーグラスやトラディショナルフォークをベースにしたバンド「ザ・ナターシャー・セブン」を結成し、京都市内に事務所を構えて再開。全国各地で野外コンサートを開いた。