昨年11月の「加藤政局」で一敗地にまみれて以来、沈黙を守ってきた加藤紘一氏が、去る1月15日、1時間以上にわたり『Title』のインタビューに応じた。 なぜ、あのとき突入できなかったのか?「長いドラマ」の第二幕はあるのか?今後のネット戦略は? 加藤氏はきっぱり断言した。「これからもいろいろ難しいプロセスがありますが、改革の旗は下ろしません!」
── 昨年先生が決起されたきっかけは、いま振り返られると、どういうことだったんですか。
【加藤】 ちょっと誤解されてますけれども、きっかけはインターネットではないんです。「加藤政局」のスタートは11月9日の「山里会(政治評論家らとの会食)」での(「森首相の手で内閣改造はやらせない」という)発言ですから。
それまでの私のホームページは極めて地味で、メールも1日に10とか、20~30件がせいぜいで、ビジターも200~300しかいない……。いや、それでも政治家のホームページの中では多いんですけどね。私自身、「私のトップページ、もうちょっと色を使って明るくならないかね」とうちのスタッフに言うぐらい、かなり地味なサイトだったんですよね。意見出してくれるのも、どちらかというと40代、50代のじっくり型の人が多くて、きちっとした文章で、いまの政治に対するいろんな意見具申があるんですけれども、「決起せよ」というようなものはあんまり多くなかったんです。
ただ、その前から、私はかなりこのサイトには注目してました。一昨年の12月24日、クリスマスイヴの日にスタートしたんですけれども、1カ月もたたないうちに私の発言が自民党の中で大問題になることがあったんですね。自分の選挙区でのある演説で、政策問題を論じたんだけども、その中のごく一部に(当時の)自自公連立に関する発言がありまして、それが真意を曲げて、政局的な部分だけ大きく取り上げられて伝えられてしまった。そこで僕は演説の全文をネットに載せたんですよ。そしたら、ああ、そういうことなのかと、政局的には収まって、政策面 での自分の意思も通じていった。お、これはいいなあと、だんだん、だんだんサイト上でいろんな可能性を模索できればと思っていたんです。
ですから、「加藤政局」はネットでスタートしたものではない。ただ、その過程でいろんな反応がネット上でものすごくよく見えました。特に若い世代、それから主婦層からものすごいメールが届いた。最高で1日3000件ぐらい来た日があるんですけど、全部は読めないんですよね。あの時期、私のほうももう10分、20分を争うようなスケジュールになっちゃったもんですから。ただ、うちの政策秘書のウェブマスター、植木君から、こんな意見が多いとかいうことは聞いてました。
■ 政局とともに育っていったサイト
── 逆にインターネットの危険性というか、特に先生のページは非常にレベルが高いため、先に行き過ぎて、ネットにちょっと引きずられすぎてしまったかなあというところはありますか。
【加藤】 いや、そこは……、まあ、外から見たらあるのかもしれません。この参加者というのは、一般 の有権者から見れば、とてつもなく日々政治を考えている人たちだなあという感じがしました。
── ずれみたいなものがあるんじゃないですか。一般 有権者レベルの意識と、先生のネットで繰り広げられている議論がちょっとずれてるというか、ネットの方々はより先鋭的集団なのでは?
【加藤】 それはないです。
── むしろネットの方々と永田町のずれということですか。
【加藤】 一般の人と永田町のずれじゃないでしょうか。だって、森政権の不支持が75%で、永田町じゃ支持が、まあ結果 的には自民党の中ではもう90%ぐらいになっちゃうわけだから。だから、ネットと一般 有権者のずれじゃなくて、ネットの感覚は私はメディアの感覚とほぼ近いんだと思いますよ。ただ、ネットだと、まったくバイアスがかからずに直接政治家の意見が出ていくし、政治家に意見が入ってくるということだと思いますね。
── 先生が決起されたきっかけも、まさに世論と永田町のずれだったわけですよね。
【加藤】 そうです。世論と永田町のずれでスタートしたんで、そんなに僕は難しい話をあのとき言ったわけじゃないんです。国民の75%が不支持の場合に、そして永田町の先生方もほぼそれを感じてるのに、それを表現しないのはいけませんね、という自民党内の単純な問題提起でスタートしたんですよね。ただ、その過程でいろんな方の間に大きな期待が広がって、それを超えて日本の政治を変えてほしいと。自民党の中だけで終わらないでほしいという流れがグワーッと出てきたというのは、テレビとか新聞のメディアを見ても感じたし、それを明確な言葉で表現したのが、僕に来た日々1000通 、2000通のeメールだったと思いますね。
ほんとに期待が非常に大きくなって、それを裏切った形になって、非常に申し訳ないなと思ってますが……。ただ、ドラマはちょっとそう簡単じゃない、長いものですよ、ということを申し上げたけども、その気持ちはいまでも変わってません。これから世の中はもっともっといろいろ変化していくでしょうし。
農家のおじいちゃんも高校生のお孫さんからプリントアウトもらって読んでるということでも分かるように、政治がインターネットに影響されることが非常に大きくなると思います。それをうまく活用できる人もおれば、できない人もいる。政治家でも特に50代、60代はまずパソコンを操作できるということ自体が大変なことでしょう。
── いわゆる第一幕が、最終的にああいう結果 になってしまったのは、戦略上のミスがあったんですか。
【加藤】 まあ、いくつかの判断ミスがありました。それはいま、まだまとめて言える段階ではないですけども。まあ、いろんなことをいま自分でとか、山崎(拓)さんと二人でとか、うちの仲間で討論し合ったりしてますけどね。
■ 無党派だけれども無関心ではない
── 決起するタイミングが、あれはハプニング的なものだという見方もずいぶんされましたけど。
【加藤】 それは違いますね。このまま自民党が変わりえない、国民の声を吸収しえないままで行ったら、2001年の参議院選挙はきついなあ、という思いは非常に強かったんです。いわゆる保守支持層が変わってきてるなと思ったんですね。で、それは、正直いうと、党の中で私は幹事長なんかしながら、選挙については比較的勘がいいなあと自負したりしてきてたもんだから、今回はわが党の選挙について非常に強い危機感を持ったんですね。わが党も変わらなきゃいけないと。でも、私の考えた数倍のマグマが溜まってましたね。私でさえちょっと甘かったなあと思ってます。
今年の正月、私は沖縄に家族を連れて休養に行ってて、いろいろドライブしながら観光名所に立ち寄ると、たくさんの若い人たちが、「期待してたのに」とか、「もっと頑張って」とか、「信じてますから、必ず日本の政治変えてください」とか言うんですよ。クリスマスの夜にも、東京の南青山の路上で何グループかに声かけられたけども、すごい若い人たちで、平均年齢23、24の男女10人ぐらいのグループとか。沖縄のあの子たちは20歳になってないんじゃないかなあ。
あと、失敗して苦しそうな立場にいる加藤紘一に、声かけていいのかな、と思ってじっとこっちを見てる若い人なんていうのは、毎日のように会ってますよ。で、目が合うと、「加藤さんですね」と言って、それで、「われわれのときに年金大丈夫なんですか」とかね、「日本の経済は韓国に追い上げられてるんでしょう」というような、かなり真面 目な議論をみんなしてくるんですよ。要するに自分たちの将来と日本の将釆に、もういてもたってもいられない不安感みたいなものを待ってるという感じですね。ですから、みんな無党派だけれども、無関心ではないんですね。みんな起きてますよ。
ただ昔のように、自民党だから、共産党だからって投票する人はいないんですね。自分の感性に合ったことを言ってるかとか、自分が心配に思ってるとこを論じてくれてるかというところで見るんじゃないでしょうか。
── キーワードはいまの政治を変えてくれる人なのかどうかだと思うんですが。
【加藤】 改革の旗は下ろしません。これからもいろいろなプロセスがありますけどね。難しいことがいろいろあるんだけど、まあ、あれだけみんな政治を考えてくれてるんだと思ったとき、やっぱり嬉しかったですね。ああ、この国、よくなりうると。「お金配るからね」と言ったら逆に馬鹿にされるぐらい、みんな深刻に考えてますね。いままでの政治はサービスを一生懸命競い合って出す政治だったんだけども、ちょっと違ってきたと思いますね。
── そうですね。そんなに馬鹿じゃないと思いますけど。
【加藤】 ただ、それを分かりやすい言葉で、アカウンタビリティーというか、アカウンタブルにできるかということなんですけど、私なんかの世代というのは正直いうとほんとのネット世代じゃないんですよ。ですから、自分もパソコンは……。
── どのぐらいお使いになれるんですか。
【加藤】 えーと、2年半ぐらい前に自民党幹事長を終えたとき、ぜひこれ使えるようになってみたいと思って、いま一応eメールをブラインドで打って、ブラインドで転換はできます(笑)。ですから、まあまあの水準。
── そうですね。永田町レベルでは相当上の方でしょう。
【加藤】 それで私が自分で打って、それを僕のウェブマスターの植木君に転送して、彼がホームページ上にアップするというシステムになってましてね。
── 実質的には植木さんがほとんど一人で管理してるんですか。
【加藤】 いや、最初はそうでしたが、いまは若い女性が一人スタッフに加わりまして、二人でやってます。
── 二人では大変ですね。
【加藤】 大変ですよ。私も毎日ひと言ふた言ね、3行4行でいいから、ことによったら10文字でいいから打てばいいんだけど、それがなかなかね、構えちゃうんですよね。で、ときどき、「あなた、休みの日には何してるんだ」と、プライベートなことを聞かせろというメールが入って、「いやいや、ワイン好きですよ」みたいなことを入れようと思うんだけど、ついブレーキがかかっちゃうんですよね。こんなこと書いていいのかなあという。
── 真面目ですからね、先生は(笑)。
【加藤】 いやいや(笑)。田口ランディという作家が、ネット上でいろんなところに書いてるでしょう。どういう方か知らないんだけど、あの方の文章というのはサラーッと流れるように書いてるでしょう。あれがネット上の文章なんでしょうね。ネット文体ってあるんですねえ。それから比べると、僕ら政治家の文章というのは実に硬いし、とてもネット世代には読んでもらえないかなあと思うようなことが多いですね。
── 少し現実的な話をしますと、加藤派分裂ですとか、離党するのかしないのかですとか、いろんな情報が飛び交ってますけれども、先生ご自身、これからの具体的な動き方としてはどうでしょう。
【加藤】 まあ、いまはじーっとですね、ちょっと静かに流れを見てようと思って。いまちょっと充電期間なもんですから、まだものを決めてないんですけどね。ただ、日本の政治がこのままじゃいけないなあという思いだけは変わってません。さあ、具体的にどうするかというのは、これからですね。
── とりあえず新聞紙上等では、加藤派は少数精鋭の純化路線で、志の高い若手を中心に団結していくと。
【加藤】 ハハハ。まあ、できればね、一緒にいままで楽しくやってきた仲間だから、あんまり喧嘩別 れしたくないなあと思って、できる限りの努力をいましてるとこです。
でも、戦後何十年かの政治というのは、どの党が、また誰が権力を持つか、偉くなるか、どのポストに就くか、それが面 白いという、ドラマだという時代だったんですけど、過去10年は、それも重要だけど、その一方で、国民は政治家が一体何をしてくれるんだと。先を見せてくれと。先が見えないから、20代、30代が一番貯蓄率の高い世代になっちゃったんだということだと思いますね。
だから、私はこの国の先というのは明るいと思って、そこを訴えるために一生懸命キーボードを打とうと思ってるんですよね。それをどう分かりやすく表現できるかというのが勝負だなあと思ってるんですけども。
── 一連の「加藤政局」を通じて、自民党に絶望されたりとか、これは先はないわ、なんて思うことはないんですか。
【加藤】 いや、なかなか難しいご質問で。とにかくいまのままじゃだめだと思いますよ。自民党の置かれてる状況はかなり厳しいと思います。僕は新自由クラブにも参加してないし、さきがけにも参加してないし、極めてリアリスティックで、自民党の保守本流を歩んできたつもりなんですが、この私がですね、このままじゃ危ないと思って行動を起こしたんですから、僕は仲間にもよっぽど危機感を持ってもらわないといかんと思いますね。
── 世論と永田町のずれというよりは、世論と自民党のずれが圧倒的に大きいということですか。
【加藤】 ええ、それが一番大きいでしょう。しかし、ほかの政党だってずれてますよ(笑)。だから、みんな政党は関係ないんですよ。重要なのは訴えかけるメッセージの中身なんですね。みんなそれを見てますから。20代が見てますね。それから40代後半の主婦がキーボードを打って意見交換し合ってますね。青森の主婦と、徳島の主婦が、ネット上で意見交換したりしてる場がいっぱいあったり。それは私のサイトでも起きてます。これからそのための掲示板をつくろうと思ってるんですけどね。
── 長野や栃木の県知事選で起こったことが国政の場でも起こる可能性は?
【加藤】 十分あります。むしろ、普通に行けば起きますね。私のサイトに寄せられたメールが4万通 。で、2万5000~6000人分のアドレスがあるんですけど、ここに私の意見をお伝えしようと思うと、ほぼコストゼロで行くんですね。いままでは意見を伝えるためのパンフレットを配るのに、たぶん500~600万から1000万使ってたと思いますね。それが、ネットに参加してもらって、eメールアドレスをいただければ、ほぼコストゼロで、それぞれ発信力を持っている個人に政治家の意見が伝えられるんですね。この影響力ははかり知れないんじゃないかと思います。
── 将来的にはネットによる選挙運動や、ネットによる投票もありえますか。
【加藤】 ありえると思いますね。ネットのリアリティーというのにはもちろんバランス感覚を持ちながら、これは二歩も三歩も進んでる世界かもしれんという意識は持たなきゃいけないんだけれども、しかし、これからの政治ってのはネットが決めるという感じはしますよ。常に試行錯誤しながら1年半ぐらい考えてて、自分でも特異な体験をしてみて、それでいろいろな人から、「ネットで狂った加藤」なんて言われながら(笑)、ずーっと、そうなんだろうかと思ってましたけど。
元旦に2万5000~6000の人に、新年のメッセージを送ったんですが、大晦日、12時の30分前までその文章を推敲して、植木君に送るクリックしたときにね、ああ、やっぱりこれ、この瞬間だから伝わるわけで、その前はだめなんですよ。前に打っちゃ。その瞬間まで文章を考えて、12時の新年の声とともに植木君が送ったわけですよ。たぶんほぼ10分以内に全員に伝わったと思うんですけどね。このライブ感覚がね、繋がっているという感覚が、なんか政治を変えていくなあという実感がありました。だから去年、「紅白」は十分よく見てないんですよ(笑)。
■ なぜ一人で突入できなかったか?
── あと、やはり、どうしても伺いたいのは、不信任案決議の際、なぜ一人でも本会議場に突入できなかったのかということです。あれだけ多くの国民が信じていたんだから、国民のことも最後まで信じてほしかったと。そこで玉 砕されても、まだまだわれわれが第二幕、第三幕支え続けますよという国民の声よりも、教が揃わなかったんだからというような、永田町の数の論理に負けてしまったんじゃないか。そういう失望感をいまだにひきずってる方々が正直言ってまだ多いと思います。後悔はありませんか。
【加藤】 まあ、そこの部分はいまでも考えてます。ですから、あの終わったあとの記者会見で、「何が問題ですか」と聞かれたとき、「勝つということにこだわりすぎたのかもしれません」と言いましたけれども、一人でも突入ということは議場閉鎖の瞬間まで考えてました。
ただ、やっぱり判断で一番重要なのは、まあ、仲間で一緒に勝負を度外視して行くか、行かないかという判断が、それでよかったかどうかということだったと思います。それでまあ……、だからそのとき考えたのは、結局……、改革は今回で終わらんのだという思いですから。ですから、これからのいろいろな進め方でまた判断されるんじゃないかなと思ってますけどね。
── あのとき野中さん以下の主流派に選挙のことでずいぶん締めつけられて、切り崩されたというようなことがありましたけど、単純にわれわれの感覚でいうと、「加藤さんと一緒に不信任案に賛成しました」というだけで、何の選挙運動もしなくても絶対当選するんじゃないかなと思うんですけど。たとえどんな地方であっても。
【加藤】 そこの意識のギャップがまだまだあると思いますね。その乖離にだんだん、だんだん気づいてくれてる人もおれば……。だから、より自信を持って自分の思うように喋ろう、行動しようという人も、じわじわと党内に増えてると思いますね。また政治家ですからみんな勘のいい人たちなんですよ。だから、これはいろんな選挙を通 じてだんだん、だんだん変わってくるんじゃないでしょうか。
── あくまで先生としては、自民党の中から変えていくというお考えですか。
【加藤】 はい。自民党の中で何とかみんなに気づいてほしいなあという思いでやっております。
── 昨年末も小沢(一郎・自由党党首)さん、菅(直人・民主党幹事長)さんとは頻繁に会ったりとか、情報交換をしているとも聞きますが、彼らと共闘して改革を進めていく可能性は……。
【加藤】 今年一年というのはほんとに極めて重要な、考えることの多い時間だろうなあと思いますね。それでまた日本人も全員考えてますね。われわれ政治家がプロとして考えてることで、これまでなら聞いてもらえないんじゃないかと思うようなことを話しても、そこを一番聞いてくれたりしますね。たとえば、いまどの世代でもどの職業でも自分探し、わが国探しを国民はやってるんじゃないかというテーマで話すときに、一番聞いてくれますね。昔から、政治家の演説では道路や新幹線の話をしろ、しちめんどくさいことはやめろということだったけれども、そのしちめんどくさいほうの話を一番聞いてくれてますねえ。
── 最後に、うちは20代、30代の読者が多いんですが、若い世代に、ひと言メッセージをいただけませんか。
【加藤】 変えていけば日本は大丈夫です。夢のある国ですから、あんまり暗くならないでください。病気の原因はだんだん分かってきたから、そこにちゃんと処方すれば大丈夫ですから。そこはこれから、ネットで謳っていきます。