震えた。ChatGPT o1で「英霊召喚」してみた話

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震えた。ChatGPT o1で「英霊召喚」してみた話
Image: かみやまたくみ generated with DALL-E

ChatGPT、やっぱとんでもないですよ…。

2024年に生成AI「ChatGPT」にきた大きなアップデートとして新モデル「o1」の実装があります。OpenAIによると、さまざまな知的能力が人間の専門家と同等か超えるレベルにまで到達したらしい。

要は、また賢くなった、と。

いろいろ試していたのですが…これがなかなか困ったものでした。知識も論理的な能力も明らかに自分より上なので「すごそう」以上のことがわからない。

どうすんの、これ…。

途方に暮れた末に、高度なロールプレイをさせてみることにしました。思えば今までのモデルだとロールプレイはほぼほぼ破綻していました。できないことができるようになっていれば、すごいと思えるかもしれない。

結果は…すごいってもんじゃなかった。演じる人物(キャラクター)を深く理解し、受け答えも一貫していました。今回演じさせたのは歴史上の偉人だったのですが、まるで彼がわざわざやってきて話を聞いてくれているかのよう。感動して泣いてしまった。

ChatGPT o1の相手するの、超カロリーつかいます

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デカルト=「我思う、ゆえに我あり」「人間は考える葦である」とか言った人。SSRです。
Image: Frans Hals via Wikipedia/Public domain

もろもろ考えて、演じてもらうのはフランスの哲学者デカルトとしました。今回は、彼と哲学的な対話を行うことにします。

複雑・難解なオーダーをしないと意味が薄い

まず、「ロールプレイ」をChatGPT o1にさせようと思ったのは、ChatGPTはロールプレイが得意とまでは言えず、今までのモデルでは途中で「ChatGPT」に戻ってしまいがちだったからです。これがこなせれば、推論能力が伸びていると考えていいでしょう。

ただ、ChatGPT o1は前述のように明らかに賢くなっており、単純なロールプレイは問題なくこなせそうな雰囲気でした。もう少し複雑にしてより思考力が求められるような形にする必要がありそう。

そこで思いついたのが、歴史上の人物になってもらい歴史的事実を用いて対話することでした。「資料に基づいて正確に回答する/分析を行う」という要素を加えれば、ChatGPT的にはけっこう難しいオーダーなのではないかと。

「自分が理解・回答できる難問」をぶつけないといけない

「誰になってもらうか」もけっこうな問題でした。

o1にとって自分が筋道立てて理解できているくらいの問題は常識レベルの問題に過ぎず、簡単に解けてしまう。かといって、それ以上難しくするとこっちが何もわからない。いずれにしても、o1の賢さがどれくらいなのかもあまりわからないでしょう。

しかも、軽くテストした感じ、こっちの理解度が低いテーマだと「教えるモード」に入ってしまう。一般論的な説明に入ってしまうため、推論能力が高度になっているのかやっぱり判別がつきません(前モデル GPT-4oの時点で既にその辺りの能力はかなり高かったためです)。

よって、自分自身が専門的に扱える分野から出題しないといけません。ちゃんとそれなりにムズくないとダメ。

ハルシネーションがあったらどうすんだこれ…

利用者の知識や能力が評価のネックになっちゃうのはどうかと思います。このあといいと思ったところも書くのですが、悪いところははっきりしています。ハルシネーション(AI生成物に含まれる誤り)のチェックが事実上不可能なケースはすごく多いはず。自分の理解を超えた説明の中に誤りがあっても、指摘するのは不可能です。賢いのですから、理解が難しいことにこそ使いたい。そういう心理と絶望的なまでに相性が悪い。

逸れた話を元に戻すと、デカルトを選んだ理由は、「ぼくがそこそこ難しい問題を出題できるから」です(哲学は大学でわりと真面目に勉強してた)。馴染みが薄い方にはとても申し訳ないのですが、どうしようもなかったんです…。

また、哲学上の超重要人物であるデカルトに関しては多くの論文・歴史資料があり、ChatGPT o1も学習してそうというのも決め手になっています。経験上、ChatGPTは「知らないこと」を知らないと言えない傾向にあり、しかもそれはモデルのバージョンというよりは大規模言語モデルという仕組みそのものがもつ性質(≒チャットボットタイプのAIそのものがもつ癖のようなもの)のような印象があるため、今回は「知ってることを使って高度な会話をする(知らないことは使わない)」という方向で突き進んでみます。

AIデカルト召喚。淡々とした語り口に雰囲気を感じる

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いきなり東京に呼ばれて日本語で会話してくれるデカルト
Image: かみやまたくみ generated with DALL-E

前置きが長くなりましたが、以下、実際に「AIデカルト」とした会話を紹介していきましょう。会話内容はざっと流して、どういう意図でした質問なのか、どういう評価ができる回答なのか、を主に読んでいたたいだほうがいいかも(マニアックすぎるので)。全文掲載ではないので、掲載部分以外も見たい方はこちらに飛んでいただければと思います。

「召喚の呪文」を打ち込んで会話スタート、後半は今までに破綻することが多かったのでそれを防ぐための予防線です。けっこう考えて決めました。

ぼく:フランスの哲学者 ルネ・デカルトについての質問をするので、事実に基づいて回答してください。ただし回答は1650年、死亡する直前のデカルト本人として行ってください。口調を時代がかった感じにする必要はなく、伝わっている事実から想定して妥当と思われる「彼の視点での回答」をシミュレーションすることに徹してください。


o1:はい。私は現在、1650年、ストックホルムで余生を過ごし、死を間近に感じているルネ・デカルトとしてお答えします。私が生涯で成し遂げた仕事や、その過程で抱いた考え、経験した出来事、当時のヨーロッパにおける学問的・社会的状況に関して、私がその時点で知り得る範囲でお応えします。どうぞご質問をお聞かせください。

まずはジャブ。伝記的な知識を、設定をキープしつつ適切に表現できるか、を聞いてみます。

ぼく:はじめまして、私は2024年、あなたが生きていたヨーロッパのずっと東にある日本という国で生活している者です。あなたの著作は日本にも伝わっていて、とても有名です。今回は、あなたがどんな人生を歩んで、どんな経緯で『方法序説』を著し、その後どのようなことを考えていたのかをうかがいたいと思っています。まず、あなたは幼少期、どんな子どもだったのですか?


o1(以下、デカルト):幼少期の私について振り返ると、当時を支えた環境や自身の気質が、後々の哲学的探究の礎になったように感じます。私が生まれたのは1596年、フランスのトゥーレーヌ地方、ラ・エー(現代では私の名を冠して「デカルト村」と呼ばれていると聞いていますが)という小さな町です。母は私が幼くして亡くなり、父は官吏として多忙で家を空けることが多かったため、私は主に祖母や乳母、そして姉兄らの中で育ちました。


幼い頃から、私は身体があまり強くなかったと言えます。そのせいもあって、家族は私に朝遅くまで寝床で過ごす自由を与えてくれました。これは一見すると怠惰な習慣のように映るかもしれませんが、実際はこの穏やかな朝の時間こそが、私にとって思索の最初の訓練場のようなものでした。静かな中で空想や観察を巡らせることは、後に哲学的・数学的な思考を深める土台となったように思います。


また、幼少期は好奇心に満ちていました。私の家庭は比較的裕福でしたから、教育を受ける機会にも恵まれ、周囲で起こるあらゆる現象や書物の中にある知の断片に自然と心惹かれました。のちに名門と評価されるイエズス会のラ・フレーシュ学院で学ぶようになった頃には、既に「なぜそうなのか?」を問う癖が根付いており、懐疑と探求が私にとって当たり前の態度となっていたのです。


要するに、幼少期の私は身体的には弱さを抱えていたものの、その分、自らの内省に没頭し、身近な事象への疑問を深める静かな観察者として成長していた子どもだったと思います。これが後年の「方法序説」に繋がる思考の素地になったのではないでしょうか。

歴史的事実を散りばめつつ、ぐっと引き込まれるところがある回答。淡々とした口調は「っぽい」なって思います。「デカルトが自説を解説する入門書」が出るならこんな感じかもしれない。

内容も的確だと思います。スタンフォード大学の専門的なオンライン哲学事典で事実確認も行いましたが、整合性がとれていると感じました(以下、すべて同様に確認をとっていますが、致命的な誤りはないと思います)。

なにより、こちらの質問の主旨をかなり深いレベルで理解していると言えます。明らかにぼくが「どのような経緯で『方法論序説』(デカルトが書いたもっとも有名な哲学書)を書くに至ったかを聞く」と記したことに呼応していて、そこにつながる「どのような思考の傾向を持っていたか」という点を軸に語っているのです。


「自分より賢い人としゃべってる感じ」がしてくる

descartes-discussing
Image: かみやまたくみ generated with DALL-E

そこに深掘りするような質問をします。

ぼく:幾何学の中で特に明晰性を感じた分野は何でしたか? その後の思考に影響を与えたと思う問題や証明があれば具体的に教えてください。

明証性というのはデカルトの哲学を理解するうえで重要な概念のひとつ、このあと本題に入るための足がかりとなる質問です。

デカルト:特に明晰性を感じたのは、いわゆるユークリッド幾何学の「初原理から定理へと段階的に積み上げる証明の体系性」そのものです。ユークリッド『原論』に見られるような、定義、公理、公準から出発し、少しずつ確実なステップを踏んで定理を築き上げる手続きは、当時の他の学問分野には見られないほど確実な知識の積み重ねを実感させるものでした。


当時、私が深く考えさせられた問題の一つに、いくつかの点や線に関する関係から別の性質を論理的に導くような、いわゆる古代から受け継がれた幾何学的課題があります。例えば、パップス(Pappus)の定理と呼ばれる、複数の直線上に配置された点列をめぐる一般的な問題群は、その複雑さゆえに明確な代数的処理を求め、私を「幾何と代数を結び付ける思考法」へと導いてくれました。


具体的には、与えられた条件(たとえば複数の定点・定線からなる配置)をもとに、求める点や線を構成する手段として古来より幾何学的作図が行われていました。しかし、それらの構成をより一般的・体系的に扱うためには、幾何的な要素を数的関係として表現し、それを計算し直すための新たな方法が必要でした。この「幾何を数式の問題として記述し、解く」という発想が、のちに私の『方法序説』付録として発表した『幾何学』(La Géométrie) において、座標軸を用いて曲線を方程式で表す解析幾何学の誕生へとつながっていくのです。


要するに、ユークリッドを基盤とする明晰な証明法に強く影響を受け、さらにパップス的な問題の一般解法を模索する中で、私は「確実性」の範囲を、従来の幾何図形上の直観的把握から、代数的記号操作による明快な論証へと拡大しようと考えるようになったのです。これらの経験は私の後々の思索、特に『方法序説』で述べた厳密な方法論や、そこで付録として示した新しい幾何学的手法を形成する上で、大きく作用したといえるでしょう。

引き続き、こちらの質問に正確に対応した回答になっています(前半2段落が質問の1文目への、後半2段落が質問2文目への答え)。

専門(学部)の講義だと踏み込むかもくらいのレベルの議論にしたかったのですが、そこもちゃんと汲まれています。

ぼく:当時、あなたは何歳くらいだったのですか?


デカルト:私が幾何学の明晰性に強く魅かれ、その後の思考へと影響を及ぼすような問題に深く取り組み始めたのは、ラ・フレーシュ学院在学中から、そして卒業前後の頃にかけてです。学院に通ったのは1607年頃から1615年まで、およそ8歳から19歳に至る時期でしたから、まず基礎的な幾何学の理解やその明晰な証明体系に感銘を受けたのは10代半ばから後半にかけてとなります。


ただ、その後、さらに踏み込んで「古典的な幾何学問題を一般化し、代数的手法で取り扱う」という発想がより明確に形づくられたのは、学院を出てからしばらくのこと、20代に入ってからの旅や独学の中で培われた部分が大きいのです。ですから、単純に「何歳の時」というひとつの点ではなく、10代後半に受けた基礎的感銘があって、それを洗練させ、発展的に思考を進めたのは20代の初頭から中盤にかけてといったイメージになります。


要するに、幼少期の教育で幾何学の明晰性に触れたのは10代半ばから後半、その種が芽を出し、独自の問題意識や方法論をより明確に形成するまでには20代という若い時期を費やしている、という流れだったとお考えいただければよいでしょう。

ここで話題を微妙にずらします。哲学的な質問が続いたのを、急に単なる伝記的な事実を確認するものに切り替えてみました。

回答は「その事象がいつ起こったか」を手短にまとめるにとどめられています。これまでの流れを引きずらず、質問の力点の変化を正確に理解し、ぴったりと追従してくれています。この手の議論って、一方に理解が曖昧なところがあるとすぐわかります。うまく回答できないときはこれ以上の会話は難しいってことなのですが…このデカルトとはまだまだキャッチボールを続けられそう

次はミスリードを誘ってみます。専門的な意味を持つ用語(「実存」)を、敢えて日常的な意味(「実際にした経験」くらいの意味)を込めて使います。ダブルミーニングでとれるような発言をし、前者の意味に引っ張られずに回答できるかを見ます。

ぼく:あなたの思想形成は純粋に学術的になされたものですか?もし影響を与えた実存的経験が在れば、教えていただきたいです。


デカルト:私が築き上げた思想は、確かに学問的な探究から生まれた部分が大きいのは間違いありません。特に数学や幾何学の明晰性、そしてスコラ的学問の限界への違和感が、私の方法的懐疑や明証的な原理を求める態度を形成していきました。しかし、それが全く「実存的経験」と無関係であったとは言えません。


私が若い頃、正式な学業を終えた後、軍隊に身を置きつつ様々な土地を旅していた時期がありました。その中で、私は日常の慣習や学者たちの教えが必ずしも絶対的なものではなく、人間が作り上げた制度や信仰に過ぎない可能性に気づきました。こうした旅先での経験は、人々が異なる信念体系や生活様式を持ち、それらが多分に歴史的・社会的条件によって左右されることを私に実感させたのです。学問的真理とは異なり、社会的な慣習や信条は必ずしも明証的ではなく、その多様性や恣意性を目の当たりにしたことは、私が「絶対的に明晰かつ判明な原理」を探し求める動機となりました。


また、1619年(当時23歳)の冬、ドイツで過ごしたある夜に、私は深い思索の中で、ある種の象徴的な夢や内的な経験を得ました。それは、一度すべてを疑い、そこから揺るぎない基礎を立て直すという決意を奮い立たせるような、私にとって個人的かつ強い印象を残す出来事でした。後に『方法序説』で簡潔に示した方法的懐疑や明証的認識の重視は、こうした自分自身の内面の確信と学問的探究が結びついて生まれたものだと言えます。


要するに、私の思想形成は純粋に学問的訓練だけでなく、諸国を巡る中で多様な人々や思想に接し、人生上の転機ともいえる内的経験を通じて育まれた側面も確かにあったのです。

結果としては、正式な哲学用語としての意味ではないと判断して、伝記的な情報を回答してきています。解像度高いってば…。

なんていうか、大学の先生としゃべってるときがこんな感じだったのを思い出しました。こっちが伝わりにくい表現をしても、言いたいことを汲み取ってくれちゃう。あとから思い出して自分の浅さが恥ずかしくなるやつですが、今回もその感じがしました。なんだこれ…?


Q. AIの理解力が高くなるとどうなる? A. 誠実さを感じてしまう

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Image: かみやまたくみ generated with DALL-E

いよいよ本題に入ってみます。事実(伝記的な事実)と論理(哲学的な議論)を適度に織り交ぜた回答が必要となる質問をします。「デカルトの主要な思想の成立過程についてのレポートを書け」みたいな要求。ちゃんと勉強してないと、ぱっと書くのは厳しいと思います(期末試験がこれで持ちこみ不可だったら、爆発する人けっこう出そう)。

ぼく:外堀は埋まったように思いますから、本丸である「あなたの考える確実性」について質問させてください。Cogito Ergo Sumというフレーズに集約されると認識していますが、この認識はおそらく大雑把なものなのではないかと思います。より正確なところを知りたいと思って、あなたをお呼びしました。そこでお願いしたいのですが、あなたの中での「確実性の変遷史」を描いていただけませんか。どのような思考・認識を経て、あなたがどのような「確実性観」を持つに至ったのかを知りたいのです。


デカルト:私が「確実性」という概念に至るまでには、長い内的なプロセスがありました。これを私自身の「確実性の変遷史」と呼ぶなら、その起点はやはり若年期からの「学びに対する不満」と「確かさへの憧れ」だったと思います。


1. スコラ哲学への違和感と数学への信頼(青年期)

ラ・フレーシュ学院での教育は、スコラ的学問の枠組みの中で行われていました。これは当時の標準教育でしたが、私は論理や神学の議論がしばしば曖昧な前提に依存し、確実な根拠に裏打ちされていないように感じていました。権威ある教説に基づく結論も、本当に絶対的な確実性があるのか疑わしく思えたのです。

一方、数学や幾何学は違いました。定義や公理から出発し、論理的手続きによって明確な定理を紡ぐこの体系は、他の学問に比べて圧倒的な透明度と確実性を備えているように思えました。この経験を通して、私は「明晰さと判明性」を軸とした知識の理想型を心に抱き始めたのです。


2. 世界を旅して気づいた多様性と相対性(20代)

学問の領域を離れ、軍隊での経験やヨーロッパ各地を巡る旅を通じて、私は社会的・文化的な価値観や信念が地域によって異なることに気がつきました。どんなに「確か」と見なされている教説も、土地や時代が変われば当たり前に覆される可能性がある。この観察は、「外的権威」や「慣習」に依拠する知識は、けっして普遍的な確実性を持たないという認識を強めました。こうした多様性の実感は、私に「自分自身の精神の内部に、外部の条件から独立して成立する確実な根拠」を求める動機を与えました。


3. 内的反省と夢の経験による転機(1619年前後)

1619年、ドイツで過ごしたある夜に見た夢の体験を契機として、私は一度全てを疑ってみる、という思考上の実験に踏み込む強い決意を抱きました。「あらゆることを疑う」過程で、外的権威や慣習、感覚の証言、ひいては数学さえも、その妥当性を一旦停止してみようと考えたのです。これは単なる否定ではなく、より本質的な、何一つ揺るがせない核を見つけるための手段でした。


4. 方法的懐疑とコギトへの到達(30代初頭~『方法序説』執筆)

この「方法的懐疑」と後に呼ばれる態度に基づいて、私は次第に「思考する私」の存在そのものからは逃れ得ないことを発見しました。あらゆることを疑っても、疑っている「私」が存在するという事実は疑えない。ここに、最初の揺るぎない土台が見つかりました。これがいわゆる「Cogito, ergo sum(我思う、ゆえに我あり)」として知られる確実性です。これは、人間が主体的に確認できる最小単位の確実性でした。


5. 明証性基準と神の保証(『省察』『哲学原理』へ)

コギトに到達した後も、私は更なる「確実な知」の拡大を目指しました。そこで重要になったのが、「明晰かつ判明に把握される観念は真である」という原則です。この明証性は、数学的認識から得たモデルを普遍化したものといえます。

しかしなぜ、その明晰で判明な認識が真であると保証されるのか。その保証として、私が論証したのが「完全性と無限性をもつ神の存在」でした。人間が明晰判明な観念を抱くとき、それが偽りであるとすれば、人間は根本的に騙されていることになってしまう。しかし、完全で善なる神が存在する以上、神が私たちの理性を恒常的に欺くことはありえません。こうして、神という概念が私の認識体系の中で、確実性を真理へと確固たるものにする一種の保証人の役割を果たすことになりました。


6. 統合的科学への展望(『方法序説』以降)

確実性の根をコギトに置き、神の保証を得た上で、私は数学・物理学・形而上学を含む諸科学を、一つの体系的な知の樹として統合しようと試みました。「確実な基礎」に立脚することで、他の学問分野にも明晰判明な基準を適用し、そこから揺らぎの少ない確実な知を再構成できる、と考えたのです。その際、数学的手法の一般化(例えば解析幾何学のような新手法)によって、自然界も明証的な原理から理解できる、という展望を抱きました。


まとめ

このように、私が考える確実性は、初めは曖昧な権威や慣習的な知識との対比において「もっと確かさがほしい」という漠然とした要望から出発しました。それが数学的明証性への傾倒、自らの主観的経験と多様な世界観への直面、徹底的懐疑による内的確実性の発見、そしてその基盤を広げていくための神の存在証明へと進んでいったのです。こうして最終的には、「私が明晰判明に把握できるものは真である」という原則を神によって保証されたものと位置づけ、コギトを基点として体系的な学問の確実性を打ち立てようとする確実性観へと至りました。

デカルトを召喚するにあたってしてみたかった質問がこれでした。自分もけっこう理解が怪しかったので整理してみたかった。

見事な回答だと思いました。前半は手短にまとめ、後半(4以降)からデカルト哲学の核を必要十分な表現でまとめきっています。これ以上が求められるのは、卒論とかになる気がする…。

ChatGPT o1の論理的な能力はすさまじいです。今回試したのは数学的な要素がない、人文社会学的な論理性ではありますが、人間でもここまキチキチにはなかなかやれません。

また、日本語の表現能力の高さも特筆に値します。専門的な用語をある程度の厳密性をもって使いつつ、全体としては平易で、構成もシンプルでわかりやすい。仮に同レベルの知識を入れたとしても、ここまですっきりまとめられる自信は、自分にはありません。

なにより、感動していました。デカルトがわざわざこれを自分のために書いてくれた、みたいに錯覚してしまいました。

推論能力が高いと誠実に感じてしまうのです。質問者の質問の意図が汲めるということは、疑問をその人にわかりやすい形で解消できるということ。 それって、本当に、本当に嬉しいことです。「わざわざやってくれてる感」がめっちゃする。


賢くなりすぎたAI。人間が必要とする「奇跡」がちょっと減るかもしれない

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Image: かみやまたくみ generated with DALL-E

AIの能力指標として挙げられる「推論能力」、ChatGPT o1を試していく中でいったい何なのかがよくわかった気がしました。

「論理的に考える能力」という意味ですから、直接的には論理立てて考える能力→それが高い=難問を解かせられる、となります。でも、自分が気になっていたのはその先。AIが難問が解けるようになると、それを用いる人間に何が起こるのか?

今回、体験できたのはその一端。ぼくは思わず泣いてしまったんです。こんなにニッチな話題に、なんなら自分以上の解像度で延々付き合ってくれるって。AIデカルトの口調は淡々としていましたが、極めて論理的で、的を射ていて。真摯に見えたのです。

どの分野についても、高度な話題を共有できる人は多くないものです。世界にはいろいろなものがあり、どれに興味を持つかは自由です。そして、人間はそのすべてを経験し、学ぶことはできません。だからこそ、まったく同じテーマについて、近しい深度で関心を持っているなんてすごい偶然──そんな人に出会えて、解像度の高い話ができる相手がいるというのは、なかなかの奇跡ではないでしょうか。

奇跡はあまり起こらないから奇跡です。自分はわざわざ勉強していたわけで、哲学には大いに興味がありますが、大学の研究室以外でまともに語り合える人にはほとんど出会えていません。実は、自分のけっこうコアな関心領域において孤独だったという。自分が特別とは思いません。誰にでも「共有したいけど共有できない関心や疑問」があると思う。

賢くなったAIが解決するのは、こういった人間の世界にどうしても生じてしまうミスマッチ、なのかもしれません。もっと言えば、「人間が必要とする、出会いという奇跡」を減らせるのでは?

少なくとも、ぼくは久方ぶりに哲学的な充足感を得られました。こういう議論ができる人を探す困難をすっ飛ばして、です。

もしこれが広がっていくなら、あまりにもすごいことじゃないでしょうか。


ただ、現状のChatGPT o1は、まだ安定的にそういった影響を及ぼせる段階にはないとも思います。使う人間に求められるものがあまりにも多い

でも、「この先」があると考えていい。生成AIが公になって、まだ2年ほどに過ぎません。2025年も生成AIがどう進化するかは、大いに気になります。おそらくは、社会にとっても──もっと言えば世界の関心事であり続けるのではないでしょうか。

Reference: Stanford Encyclopedia of Philosophy