2017年は「記憶」がキーワードに? サンダンス映画祭と「若年層向け恋愛映画2.0」に見るトレンド
IDEAS LABファッションやデザインと同じように、映画にも全世界的なトレンドがある。例えば、「ヌーヴェルヴァーグ」(※1)や「アメリカン・ニューシネマ」(※2)は、映画トレンドの最たるものだ。他にも1994年にクエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』が彗星の如く登場すると、作中で用いられた時間軸を入れ替える手法や、オフビートなトーンが大流行した。
さて、2017年の映画界は「記憶」がトレンドになるかもしれない。
※1「ヌーヴェルヴァーグ」:1950年代末、フランスで起こった映画の革新運動。ロケ撮影中心、同時録音、即興演出が特徴として挙げられる。多くの国々にこの手法は広まり、日本でも大島渚や吉田喜重の作品が「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれている。
※2「アメリカン・ニューシネマ」:1960年代後半から1970年代にかけての、アメリカの反体制的な若者の姿を描いた映画群。
サンダンス映画祭に訪れた新しい波
1月29日、サンダンス映画祭が閉幕した。例年1月にアメリカ・ユタ州で、インディペンデント映画作品を対象とするこの映画祭は、新進気鋭の監督たちが多く出品していることで有名で、2016年アカデミー賞作品賞『スポットライト 世紀のスクープ』のトム・マッカーシー、2017年アカデミー賞監督賞『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼルもこの映画祭が「発見」した監督だ。
今年のサンダンスは「記憶」をテーマにした作品の出品が目立った。本稿ではその中から2作品を紹介しよう。
『Marjorie Prime』
科学やテクノロジーがテーマの優れた長編に送られる「Alfred P. Sloan Feature Film Prize」受賞作品。監督はマイケル・アルメレイダ。
『Rememory』
世界で最も有名な映画データベースサイトIMDbで8.5/10を獲得した作品(2017年3月現在)。監督はマーク・パランスキー。
SFに生まれつつある「4つ目のパラダイム」
SF映画のパラダイムは、大きく3つに分けることができる。
1. 1927年の『メトロポリス』を皮切りに始まった、『フランケンシュタイン』『キング・コング』などの「非・人間モノ」
2. 1950年代『宇宙戦争』『禁断の惑星』などを経て、1968年の『2001年宇宙の旅』と『スター・ウォーズ』シリーズに頂点を見た「惑星・宇宙モノ」
3. 『アルマゲドン』『ターミネーター』『マトリックス』『インデペンデンス・デイ』と、1990年代に爆発的ブームを起こした「終末モノ」
そして2017年のサンダンス映画祭の傾向から大胆に推察するならば、近い将来SF映画に「記憶モノ」が入るに違いない。
「記憶SF」の歴史は新しく、1990年の『トータル・リコール』が興行的・批評的な成功を収めた初の作品と言えるかもしれない。2000年代に入ってようやく本格的なSF映画のジャンルとしての認知が高まり、2000年の『メメント』、2002年『マイノリティ・リポート』、2004年『エターナル・サンシャイン』、2010年『インセプション』とコンスタントに成功作が登場している。
こうした趨勢の中、インディペンデント映画の登竜門でありアカデミー賞受賞者を数え切れないほど輩出しているサンダンス映画祭で『Marjorie Prime』がSF系部門の最高賞を獲得したことは「記憶モノ」パラダイムの本格的な到来を予期させる。特に2015年ごろからVRやARといった、より身体感覚に連接した記憶を保存するためのメディアが本格的に映画業界に進出し始めている。今後、ますます「記憶」をテーマにした映画は増えていき、ともすれば「4つ目のパラダイム」となりうるだろう。
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日本にも訪れた「記憶モノ」の波
「記憶モノ」が訪れているのはSFばかりではない。この変化は、近年の邦画界において大きなパイを占める「若年層向けの恋愛映画」にも訪れている。直近に公開された2つの映画を紹介しよう。
『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(2016/12/17公開)
『一週間フレンズ。』(2017/2/18公開)
恋愛映画の「文法」を壊す、記憶のエッセンス
ターゲットが明確かつ映画界にとって重要であるティーン層であることや比較的低予算で作れることから、2000年代以降、少女漫画原作の映画は激増した。日本映画製作者連盟の統計(PDF)によれば、特に2015年は興行収入10億円越えの39作品のうち11作品が漫画原作(うち少女漫画原作は4作品)ともはや日本映画界になくてはならない存在となった。
しかし、こうした少女漫画原作の映画はしばしば揶揄されがちである。
東宝の山内章弘プロデューサーは漫画原作の恋愛映画の濫造について、産経ニュース「スクリーン雑記帖」によるインタビューの中で、
「少女漫画が原作の映画がヒットした途端、小学生のサッカーがボールにわーっとみんなが集まってしまうように同じような映画ばかり作る。映画はエンターテインメントなので多様性があってしかるべきなのに一つのジャンルに絞られすぎ。もう少し大人のサッカーというか、ヨーロッパサッカーみたいな広い視点がほしいですね」
と述べている。
オススメ記事:【スクリーン雑記帖】東宝プロデューサー・山内章弘氏に聞く(下)日本映画衰退論にもの申す...「下を向いて仕事しているわけではない!」|産経ニュース山内プロデューサーの言葉通り、若年層向け恋愛映画にはある種の「文法」が存在しているとすら言える。もちろんタイトルごとに微細な違いはあるが「恋愛映画のスタンダードな文法」としては、
1. 舞台は高校(まれに大学)
2. ライバルの存在
3. ヒロイン(まれに男子側)が恋愛に対して何らかのトラウマを抱いている
の3点を筆者は挙げたい。
だが、上記2つの映画は「記憶」を題材にすることで、「小学生のサッカー」になることを巧みに避けている。
観客に提示されるのは「トラウマを2人で克服していく姿」ではなく、「トラウマを抱えていることすら忘れてしまうヒロインの機制に立ち向かう主人公の姿」である
『一週間フレンズ。』は、上に挙げた「文法」を忠実に守っている。ヒロインは恋愛にトラウマを抱えており、それでも仲良くなろうと近づく主人公、ようやく打ち解けた頃にライバルが現れ......というプロットはある種古典的とすら言っていいだろう。
しかし、ヒロインが一週間で記憶を失くすという設定に新しさとエモーションがある。観客に提示されるのは「トラウマを2人で克服していく姿」ではなく、「トラウマを抱えていることすら忘れてしまうヒロインの機制に立ち向かう主人公の姿」である。本作において主人公・祐樹が対峙するのは、一というライバルばかりではなく、「1週間で祐樹を忘れる」という香織の記憶の構造でもある。抱える困難の多さ、そして複雑さが、他の若年層向け恋愛映画とは異なる部分であり、香織が祐樹への好意を思い出すラストシーンのエモーションへと繋がっていくのだ。
『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(『ぼく明日』)は、『一週間フレンズ。』と真逆に、上記の「文法」を積極的に崩しにかかっている。物語はほとんど高寿と愛美のデートシーンに終始し、ライバルどころか、2人以外に名前が出てくる登場人物は高寿の両親、そして親友の上山とわずか3人しかいない。2人は「記憶」をよすがにして出会い、愛情を積み重ねていく。時間軸の逆行という概念によって月日を積み重ねるごとに一方は相手との思い出を深め、一方は相手のことを忘れていくという仕掛けが生まれる。2人の記憶の非対称性によって切なさを生み出すという『ぼく明日』の手法は、従来の若年層向け恋愛映画と比べて極めて革新的だ。
「若年層向け恋愛映画2.0」を支えるエッセンスに「記憶」が選び取られた
上記のインタビューに答えている東宝の山内プロデューサー自身がこの映画の製作総指揮を行なっている点は、決して見逃してはならないだろう。「広い視点」を持った恋愛モノとして、邦画界のトップランナーである東宝は『ぼく明日』を原作に選んだのである。すなわち、いわば「若年層向け恋愛映画2.0」を支えるエッセンスに「記憶」が選び取られたのだ。
上記の2本は「記憶」をテーマにして、それぞれ別のやり方で「若年層向け恋愛映画」の新たな形を提示し、「大人のサッカー」を行なうことに見事成功した(興行的にも批評的にも良い結果を残した)。
この2本の成功に続き、2017年は他のジャンルにおいても「記憶」は重要なエッセンスとして立ち現れてくるだろう。
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