Home > Interviews > interview with Shun Ishiwaka & Chihei Hatakeyama - ジャズ・ドラマー石若駿とアンビエント・ミュージシャン畠山地平による即興作品
10年代後半、いろんなところで彼の名前を見かけるようになった。若くして才を発揮したジャズ・ドラマーの石若駿は今年で活動20周年を迎える。といってもぼくが最初に彼の存在を意識したのはちょっと遅くて、小川充によるローニン・アーケストラ(2019)やAnswer To Remember(2020)のレヴューがきっかけだった。とくに後者のフュージョン・サウンドにおける多彩なアプローチとその技巧派ぶりには大いに驚かされた覚えがある。
ほかにもCRCK/LCKSやSongbook Trioといったプロジェクトを抱える石若は共演数・参加作品数も尋常ではなく、日野皓正を皮切りにテイラー・マクファーリンにカート・ローゼンウィンケルに……いや、ここまではわかるのだけれど、安住をよしとしない彼は軽々とジャズの領域を飛びこえ、くるりに岡田拓郎にKID FRESINOにはては米津玄師まで、まさに八面六臂の活躍を見せている(角銅真実作品にもピアノで参加)。おそらく、2010年代後半以降の日本においてもっともその動向が注目されたドラマーが石若駿ではないだろうか。そんな彼がまだ足を踏み入れたことのない分野がアンビエントだった、と。
打楽器奏者による演奏とアンビエントの組みあわせは、たとえばイーライ・ケスラーとローレル・ヘイロー、山本達久と伊達伯欣のようにすでにこれまでも試みられてきているわけだが、こと日本においてはまだまだ探求しがいのあるアイディアかもしれない。石若駿と畠山地平によるほぼ即興そのままだという共作『Magnificent Little Dudes Vol.1』もまた、ふたりにとっての新境地であるのみならず、この列島でエクスペリメンタルな音楽を追究する冒険者たちにとってひとつの指針となりうる作品だ。以下でも語られているように、ドラムスの手数が多くなっているときでも激しすぎない音空間が創出されているのは本作の大きな魅力で、Hatis Noitのヴォーカルがフィーチャーされた “M4” や石若がジャズとクラシカルのあわいを行くようなピアノを演奏する “M7” など、アルバム全体としても趣向が凝らされている。
なお、「Vol.1」と題されていることからもうかがえるように、10月には『Vol.2』もリリースされることになっている。アウトテイクなしの録音全出し、阿吽の呼吸を堪能したい。
できないことができるようになるときの感じに似てるというか、逆上がりが突然できるようになるみたいな(笑)。(石若)
■石若さんは活動20周年記念のイヴェントが決定していますね。くるりやermhoi、KID FRESINOなど多彩な出演者が発表されています。それに向けいまはどんなお気持ちですか? 準備にとりかかっているところでしょうか。
石若:楽しみにしています。セトリももうまもなく決まりそうですが、こういうふうにできたらいいなってイメージはそれぞれ考えているところです。ライブナタリーの制作チームもいろいろ練ってくれているんだろうなと。
■石若さんはかなり多くのプロジェクトを抱えています。じっさいのところ、どれくらいのお忙しさなんですか?
石若:東京にいるときは、1日を3、4分割したりしてますね。
■そういうとき、気持ちの切り替えはすんなりできるものなんですか?
石若:できますね。あんまり深く考えてないというか、そういうふうに(切り替えることを)考えなくてもできるようになっていった自分もいますね。ありのままでいろんなことができるようになった。
■活動20年を迎えることの感慨はありますか?
石若:ついこのあいだ、札幌の道新ホールっていう閉館しちゃう会場でコンサートをやってきまして(6月末閉館)。そのときの共演者が映画『BLUE GIANT』のサウンドトラックでも一緒だったサックスの馬場智章っていう、おなじ札幌出身で、小学校3、4年生くらいのときに札幌ジュニアジャズスクールでジャズをはじめたひとで。あれから数えて20年っていうのもあったし、道新ホールにも小学校のときから出てましたし、20年の重み……って言ったらちょっと違うかもしれないけど、歳を重ねたっていうことが身に染みてジーンと来ましたね。馬場くんとも20年一緒にやってるんだなって思ったし、そんな仲間なかなかいないな、と思いますし。
今回の「ライブナタリー 石若駿20周年ワッツアップ祭り」については、僕も自分が20周年だって知らなかったんですよ(笑)。ライブナタリーの中に札幌出身で同い年のスタッフがいて、彼から言われて気づいたぐらいで。一緒にやろうって誘ってくれたのもあって今回のライヴが決まりました。ぼくの活動期間は2004年からはじまっていて、その年のなかでいちばん大きなトピックっていうのは日野皓正クインテットのライヴに参加したこと。それが2004年の5月の7日か8日だったかな。そこから数えて20年っていう。結果、いまも日野さんと一緒に活動できてるし、馬場くんとも一緒にやってるし。最近『怪獣8号』ってアニメのサウンドトラックを担当した坂東祐大くんとも、考えてみれば高校1年生のときから15年ほど一緒にやってることになります。そういうふうに15年とか20年、いろんなひとたちとともに音楽をつくってきたな、っていうのは最近いろんなシチュエーションでしみじみ感じますね。
■この20年の中でいちばん大きな転機になったことは?
石若:いちばんの転機はやっぱり日野さんに会ったことですかね。最近『リズム&ドラム・マガジン』で20周年イヴェントに関連するインタヴューがあったんですけど、そこで人生について第一章から第五章に分けて説明しているので、もしよかったらそちらを見てください。
■今回は畠山地平さんとのコラボレーションですが、畠山さんのことはどの段階で知ったんですか?
石若:最初はInterFMの共演がきっかけなんですけど、2021年でしたっけ。
畠山:2022年の正月かな。
石若:そこで初共演をして。ラジオを企画してくれた「Song X」の方だったり御茶ノ水のRITTOR BASEの方だったり、いろんな方が地平さんと演奏してるのを聴きたいとか、絶対いい放送になると言ってくれて。そうした期待もあったなかでじっさい演奏してみて、すごく手応えがありました。ふだん自分ができなかったような演奏ができる感覚にもなりましたし。
きっかけはそれなんですけど、じつはその前に高円寺でたまたま一緒に飲みまして。コロナの前で2018年とか17年ごろかな。ちょっと定かではないんですけど。焼き鳥屋でけっこう飲んだあと、飲み足りなくてコンビニの前でもちょっと一杯やったりとかして。そういう思い出もありつつ共演するに至りました。あとは君島大空の「午後の反射光」っていうファーストEPのマスタリング・エンジニアが畠山地平さんということもあって、君島からの話も聞いてましたし、そういう縁を感じる方ですね。
■石若さんは、出会うまえから畠山さんや〈White Paddy Mountain〉の作品を日常的に聴いていたんでしょうか?
石若:いや、じつは出会うまでは畠山さんの音楽はぜんぜん聞いたことはなかったんです。でも共演して「最近どういう音楽つくってますか」とか「今度こういうことやるんだけどいいヴァイオリニストいない?」っていう相談をしてくれたりとか、そういうやりとりをとおしてミュージシャン同士としてのつながりが生まれた感覚はあります。一緒に演奏するまではあまり聴いたことがなくて、演奏してから聴き返して「あのとき話してたのはこの音楽だったかな」っていろいろ探したりとかして、だんだん聴くようになっていった感じです。
photo by makoto ebi
地平さんが風だったらぼくは葉っぱだな、というような、立場というかキャラクターとしてのあり方を考えました。(石若)
■畠山さんは、石若さんのことをどのタイミングで知ったんですか?
畠山:「石若くんっていうすごいドラマーがいて……」みたいな噂は以前から聞いてて、2010年代の初めくらいから名前は知ってました。石若くんの活動もかなり多岐に渡っているんで、クレジットを見たらドラムが石若くんだったなんてこともありました。そうしたかたちで音源とかは聴いたことがあって、君島大空くんのマスタリングのときも「ポップスなのにすごいドラムが入ってるな」と思ったら、それも石若くんだったっていう。そんな感じで存在は知ってて、2022年に石若くんからラジオの出演依頼が来て共演がはじまったという流れですね。
■畠山さんのなかで石若さんのいちばん印象に残っているプレイ、あるいは作品はなんでしょうか。
畠山:いろいろ聴いたんですけど、さっき話したようにやっぱり君島くんの音源はインパクトがあったかな。君島くんは中性的なヴォーカリストで、アンビエント感っていうかリラックス感があって、そこに暴力的というか異世界のようなドラムがぐわっと入ってくるんですけど、それでも曲全体のリラックス・ムードが保たれていて。音はすごく鳴っているはずなのに曲の印象がぜんぜん変わらないのがすごいなと。マスタリングをしてて、これはいったいどうなってるんだ! と思いましたね。
■今回のコラボレーションは、具体的にはどういう流れではじまっていったんですか?
畠山:ラジオの放送があって、それを聴いてくれた「Each Story」っていう野外フェスのイヴェンターの方からフェスの出演依頼が来てそうして初めて「Each Story」に出演した際、〈ギアボックス・レコーズ〉の日本支社の担当者が演奏を知って、ぼくもなんとなくふたりでレコーディングしたいな、なんて雑談してたら、その方が〈ギアボックス〉の社長に「これ絶対出したほうがいいんじゃないの?」って言ってくれて、「じゃあ、うちで全部レコーディング代も出すんで、レコーディングしてみませんか?」みたいな感じになって。自然な流れというか、わらしべ長者的にトントン拍子に進んでいくみたいな感じでした(笑)。
■アンビエントって基本的にはビートレスな音楽ですが、そこにドラムを入れていくっていう今回の試みについて、石若さんはどう思われましたか?
石若:自分にとってすごく未体験な音楽だとは思ったので、その新鮮さというか、自分でやったことがないものに携わって音楽をつくれる状況が嬉しかったっていうのが最初にあって。ラジオでじっさいに共演したとき、「いままでやったことなかったけど自分はこういう演奏ができるんだ」って発見した感覚もありまして。それは放送されたものを聴いたり演奏したりしてるときもそういうふうに思って。できないことができるようになるときの感じに似てるというか、逆上がりが突然できるようになるみたいな(笑)。まあ、新しい気分でしたね。
取材・序文:小林拓音(2024年8月22日)
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