こんにちは、ライターの大北といいます。本日は「タイタンの学校」の前に来ています。この文字面だけで、ここがお笑いの養成所だと分かる人も多いんじゃないでしょうか。「タイタンの学校」は爆笑問題やウエストランドの所属するお笑い事務所「タイタン」が運営する養成所です。
今、みんながお笑いに詳しいですよね。私の興味分野はユーモアについてなんですが、こんなにいつまでも世の中がお笑いの話をしているとは思ってませんでした。現在のお笑いブームは賞レースが牽引してます。『M-1グランプリ』が始まったのが2001年なので、20年以上お笑いが人気であり続けてるんですよ。すごいですね。
お笑い芸人の「養成所」の代表格である『NSC(吉本総合芸能学院)』の入学者は、いまや東京だけで毎年600人以上いるそう。ということは全国で少なくとも毎年1000人以上の芸人の卵が輩出されているのでは?
その「卵」の人たちはその後どうなっていくの? そもそも養成所って何なの? そんな疑問を持っていたところ、歌人の枡野浩一さんが「タイタンの学校」に入ったらしいと知り合いづてに聞きました。しかも「みんな仲がよくて楽しいんだ」と枡野さんは言ってるらしいんです。
歌人として活躍する50代の枡野さんがお笑い学校? どういうこと?? 芸名「歌人さん」として歩みだした歌人・枡野浩一さんと、同じくタイタンの学校6期修了生である藤元達弥さんに話を聞きに行ってきました。
枡野浩一(ますの・こういち)
1968年9月23日、東京生まれ。歌人。大学中退後、広告会社のコピーライター、フリーの雑誌ライター等を経て、1997年に短歌絵本『てのりくじら』『ドレミふぁんくしょんドロップ』を2冊同時発売してデビュー。簡単な現代語だけで読者が感嘆してしまうような表現をめざす「かんたん短歌」を提唱。小説『ショートソング』(佐々木あらら企画執筆協力)は約10万部のヒットとなり、若い世代の短歌ブームを牽引。『NHK短歌』に選者として出演中。最新刊はデビュー25周年を記念した『枡野浩一全短歌集』(左右社)。
藤元達弥(ふじもと・たつや)
1981年、広島県生まれ。弁護士として、2010年から新宿に「藤元法律事務所」を構える。大学時代からギターで弾き語りを行い、首都圏のライブハウス、ライブバーで年間50本程度ライブを行う。
ヤクルト1000の悪夢を振り払うために学校へ
芸名「歌人」でもある枡野浩一さん(左)と弁護士でもあり芸人でもある藤元達弥さん(右)
──子どもに枡野さんの本をあげたら「教科書に出てた人だ!」って。
枡野:「教科書に短歌が載っている有名な歌人です」って舞台で自分でもネタにしてるんですけど、残念ながら教科書から短歌のコーナーがなくなるそうなんです。なので最近は「NHKの朝の短歌の番組に出てます」って自己紹介してるんですよ。
※高校の国語教科書に、枡野さんの『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』などの短歌が掲載されている
──すごい。最近ブームとも言われてる短歌で超活躍してるのに、なんでまた養成所に入ったんですか?
枡野:いろいろ理由はあるんですけど、10年前にソニー(※ソニー・ミュージックアーティスツ。錦鯉、バイきんぐなどお笑い部門がある芸能事務所)に2年間いて辞めたことが不本意だったんですよ。
当時は月に25本くらいライブ出てたんですけど、売れていない芸人って、それくらいライブに出ると食えなくなるんですよね。バイトなんかできないし、書き仕事もできなかったのでどんどんお金がなくなってしまって。当時はトリオを組んでいたんですけど、相方たちと公園で話していて、小さな子どもたちが遊ぶ中、号泣してやめました。
──悲しすぎる……。
枡野:そのことをずっと引きずっていたのが一番大きいですね。それからヤクルト1000を飲むようになって悪夢を見るようになるんですけど……芸人活動をやり直してる夢ばっかりだったんですね。
──悪夢かは知らないですけど、睡眠系のサプリで寝ると、夢をよく見るとは聞きますね。
枡野:ほぼ毎日見るんです。こんなに気にしてるなら、もう一回やってみようかなって。ウエストランドさんのYouTubeを毎日見てたり、近くの整骨院に通ってたりして「タイタンの学校」を知って。『全短歌集』というのが売れてちょっとお金も入ったので。
芸人活動してた10年前にね、本屋さんに行ったら歌人の穂村弘さんのコーナーがあってびっしり本が並んでいたんです。なのに僕の本は一冊もなかった。その光景を見て「芸人活動しているうちにこんなことになってしまった……」と絶望感でしゃがみ込んでしまったんですよね。『全短歌集』が出て本当によかったです。
枡野さんのTシャツにあるのは自作の「無理してる 自分の無理も 自分だと 思う自分も 無理する自分」という歌
──まただ。大人がしゃがみこむのを見るのは本当につらい。藤元さんはどういう経緯で?
枡野:藤元さんは「タイタンの学校」の近所に事務所を構える弁護士さんで、「タイタンの学校」の同期なんです。仕事もうまく回っていて学校にもBMWで来るんですけど。
藤元:たしかにBMWで来ることもありましたが、安いやつですよ(笑)。お笑いの経験はなかったんですけど、10年前から、弁護士業などをテーマに曲を作って、ギター弾き語りのライブ活動をしてました。面白い曲も多かったので、音楽ライブのお客さんがお笑いの方に行くことを勧めてくれたんです。
オーディションを通過でき、事務所ライブにも出演させていただいたんですが、所属を目指すなら養成所に入ってもらいたいとお話をいただきました。養成所でお笑いを学ぶのには抵抗があって一旦は断ったんですが、周りにも相談し、せっかくのチャンスなので入った方がいいとアドバイスをもらったりして。自分でもがんばってみようと思い、養成所に入ることを決めました。
枡野:藤元さんはもう最初っからすべり知らずで、『タイタンライブ』っていう事務所内でランクが一番上のライブにも出たんです。「タイタンの学校」って、実はすでに地下ライブにもよく出ているような、実力ある人もいっぱいいるんですよ。どこの養成所にも、学費が要らない特待生枠があるという噂ですけどね。
毎週水曜にネタ見せ、前日深夜から徹夜で間に合わせる
──生徒さんは何人ぐらいいるんですか?
枡野:1期ごとに芸人コース30人、一般コース30人です。辞めていった人もいて、同期全体のLINEグループに今残っているのが40人くらいですね。
毎週土曜が芸人コース・一般コースが一緒に60人全員で受けるカルチャーセンターみたいな授業です。ラップとか書道とか、芸人にも役立つようなことと、これは関係ないだろうって授業も混じってるんですけど。それと毎週水曜の授業が、午前に芸人コースの授業、午後はネタを作家の方に見ていただいて講評をもらう「ネタ見せ」です。並行してお客さんを入れたライブが週1回開かれて、2チームに分かれて隔週で出演する。これが1年間のカリキュラムです。
よしもとの養成所とか、もっと頻繁に授業があるところもあるみたいですけど。僕が昔いたソニーだと月1本新ネタを上げればよかったし、この1年のほうが圧倒的にハードでした。月2本の新ネタってなかなか作れないですよ。ストックがなくなってからは大変でした。
「タイタンの学校」公式YouTubeチャンネルでは実際の講義の様子も紹介されている
──芸人コースは仕事をしながら通う人もいるんですかね?
枡野:会社員をやりながらうまいこと休みをとって来てた人もいましたけど、大変だったみたいですね。ライブへ出るにしても夕方からなので。水曜日の授業は有休とかを取ってたんじゃないかな。
受講生の年代でいうと、芸人コースでも年齢を重ねた人も混じっていて。僕含め50代以上が5人くらいかな? 40代も少し。30代〜40代が仕事とか子育てとか人生で忙しいんで、50代になるとちょっと落ち着いてくるんでしょうね。一番多いのは20代で、10代の子もいましたけど、辞めちゃう人もちょこちょこいて。学費は諸々込みで50万円くらいで、一般コースはその半額くらいです。
──藤元さんは弁護士をやりながら、どうやって学校に行ってたんですか?
藤元:弁護士の仕事も忙しかったので、全部の授業は出られなかったですね。水曜の午前中の発声の授業などは、泣く泣く休んで、午後のネタ見せにぎりぎり間に合わせるような。前日の深夜からあんまり寝ずにネタ作りをやって。養成所の場所が事務所のすぐ近くなので、休憩時間に事務所に戻って仕事したりもしていました。
──弁護士の仕事との両立は大変だったんですね。
枡野:僕はほぼ皆勤で、なんなら仕事も断ってタイタンの学校に行ってました。仕事の話をもらったときに「学校があるんで」と言うとびっくりされるんですけど、事前に決まった約束を優先するのがフリーランスだと思ってるから。もっといい話が来たから断るというのはちょっと違うって思ったんですよね。
──フリーランスの約束には養成所も適用されるんですね!?
枡野:実際、この1年は学校を優先してみてよかったし、どの授業もよかったんですよ。もちろん、一見あんまりお笑いと関係ないな、みたいなやつもあるんですけど。
社長の肝煎り「書道」と「ロボット」
藤元:書道を一ヶ月ほど毎週やる授業がありましたね。タイタンの太田光代社長が書道を推してるんだと思いますが、楽しかったです。
枡野:太田光代さんの好きなものが、学校の授業にも反映されてるんですよ。太田さんの講義が二回あって、ロボットが好きなんでしょうね、二回ともロボットの専門家を連れてきてました。それでも結構おもしろかったですね。他の授業だと、三国志のLINEスタンプを作った人の講義とか。どういう風に発想して、いかにウケたかという話をしてくれたりね。
──書道はたしかに、お笑いには関係なさそうですね。
枡野:僕は自分の字が嫌いだったんですけど、今は短歌を筆で書いて掲げるスタイルでネタをやってるんで、やってよかったですよ。
──めちゃくちゃ直接的に役立ってますね(笑)。
枡野:たとえば映像編集の授業のおかげで、自分でもできるようになったり。映像編集なんてやりたくもなかったけど、アプリで簡単にできる方法を教わって。今後、映像でのオーディションでも自分で撮って編集して良い部分だけ使えるから、やりやすくなりましたよね。
──なるほどなあ。今の時代の芸人さんに必要な授業ですね。
いかに事務所所属を勝ち取るかの世界
──生徒さんって、みんな基本的には事務所所属を目指してるんですか?
枡野:基本的にはそうですよね。「卒業するのが目標」って人もいましたけど。
藤元:学校へ入ってすぐネタ見せとかライブが始まるんですけど、最初から完成度の高い人も多くて、心が折れちゃうと行けなくなってくる。僕も心が折れたらきついなと思って、ネタ見せや養成所のライブは、一回も休まず行くようにしてました。
枡野:ソニーにいた頃の先輩も見に来てくれましたけど、レベルが高いって言ってましたし。実際、今期は例年より多くの生徒が事務所所属になるみたいですね。
──タイタンに所属して芸人として活動されるということですね。一般コースの人はどういう道を?
枡野:一般コースの人は基本的には事務所に所属しないんですけど、授業で大活躍して、事務所所属の放送作家をやってる人もいます。
── 一般コースの人のモチベーションって何なんでしょう?
枡野:お笑いが好きで興味があるけど、プロになるほどじゃないなって人が多いですね。タイタンの芸人さんのファンでラジオを聴いてて来たみたいな方、自分の会社の仕事が軌道に乗ったベテラン社会人の方とか。エンタメ系の仕事してる人とか、音響のプロの裏方さんとか、職業も色々です。
この一般コースの人たちが、すごく芸人コースを応援してくれて。ライブを見に来てくれたり、打ち上げを企画してくれたり、同期の6期生を応援するXのアカウントを作ってくれたりとか。そういう同期との結びつきがあるのがよかったですね。僕もライブ後の鳥貴族とかで、一般コースの方に聞いた意見でネタを考えたりしました。
──そもそも「一般コース」って、お笑い養成所では一般的なんですか?
枡野:他で聞いたことないですね。「お笑いの世界は『学校に通った人全員がデビューできるわけではない』という厳しい世界です」と、そもそも「タイタンの学校」のパンフレットで理事長の太田光代さんが言ってるんですよ。だから、学んだことをその後の人生で活かしていくことができる授業にしたいと太田さんは言っていて、それは本当にそうだなと思いますね。
枡野:僕が見てきた限り、お笑いは全員がプロになれるような世界じゃない。ソニーにいた時に思いましたけど、みんな面白いんですよ。でもテレビに出る人なんてほんのちょっと。例えば「や団」さんなんて僕がいた10年前からとっくに面白かったけど、最近やっとテレビに出るようになりました。
トラウマを体験するのが学校だ
──学校の定期ライブってどんな感じなんでしょう。
枡野:チケット代は500円なんですけど、お笑いはやっぱりライブ会場で見た方が圧倒的に面白いので、来たら本当に面白いと思いますよ。「タイタンの学校」で普段は教室として使ってるビルの1室が会場で、20人も入るといっぱいなんですけど。売れない芸人が活躍してる劇場ってたいてい地下にあるから「地下芸人」って言葉もあるんですが、その中では小ぎれいな会場ですね。
僕がソニーにいた頃、ライブにも出版界隈の友人を呼んだら客席の大半が自分のお客さんになっちゃって。人気投票で圧倒的1位になって大ひんしゅくですよ。今はもう呼ばないようにしてて、『ブラッシュアップライフ』の二度目みたいな感じです。タイムリープした二周目の人生。
枡野:学校のライブが普通のライブと違うのは、自己紹介のコーナーが先にあってキャラクターを知ってもらった上で見てもらうから、お客さんが温かいんですよね。受講生向けの優しいライブなんです。運営者の方の考えで、壁にでっかい書が貼ってあって、僕以外のみんなは邪魔だと思ってたみたいなんですけど、その書がネタ中に外れて落ちてしまったのが、みんなのトラウマになってる。
でも学校ってそういうところじゃないですか。楽しい「あるある」もあれば、みんな共通のトラウマもある。
──ああ、トラウマはネガティブな”あるある”ってことですね。たしかに学校ってみんなの”あるある”を作る場所か、なるほどなあ。
──生徒さんの雰囲気はどうなんですか?
枡野:やっぱりお笑いの大手事務所というわけではないタイタンを選んでくる人たちだからか、みんな人柄がいいですね。55歳の僕にはみんな接し方が違うのかもしれないけど。安い居酒屋で飲んだり、そんなに先輩後輩で奢り合ったりもしないので。同じ芸人の世界でも、事務所によって文化も少し違うと思います。
──学校の校風も違うんですかね?
枡野:学校ごとにカリキュラムが違って、NSCの卒業生に聞いたら、あちらではネタ時間が基本は1分らしいですね。タイタンは3分。『M-1グランプリ』なんかの賞レースって予選は2分ネタなんですよ。よしもとの場合はまず1分ネタでウケないと上のライブへ行けないらしくて、みんな1分に命賭けてるんですって。
タイタンのネタ見せはみんな笑ってますけど、他事務所の養成所ではもっとシリアスなネタ見せのところもあるらしいです。激しい競争を這い上がっていく世界ですし、学校によって空気も全く違うでしょうね。別の養成所へ入り直したりする人もいますよ。
──今の芸人さんは、基本的には養成所が前提なんですかね?
枡野:それは人によるんじゃないでしょうか。今は大学お笑いサークル出身の芸人さんも多いですし。真空ジェシカとかラランドとか、学生時代から名を轟かせて、養成所を経由せずに有名になる人も増えましたよね。
──となると、養成所に入る意味ってなんですか?
枡野:同期ができることじゃないですかね。
──同期!?
人間関係における”同期”の特殊性
枡野:僕は圧倒的にそれでした。ソニーに入ったときは44歳で、先輩が全員年下だったから後輩扱いしてくれる人もほとんどいなくて気を遣わせちゃうし。
だから「タイタンの学校」に入って「同期」ができたのが、ほんとやりやすかったんです。みんな年下で自分の息子ぐらいの年の子もいましたけど、でも一応は同期だからご飯も奢らなくていいし(笑)。
すごくフラットに意見を言ってくれるのもよかったですね。つい先日、「タイタンの学校」の修了式で、芸人コース代表として挨拶することになったんですよ。物書きの仕事ではあんまりダメ出しされなくなったんですけど、その挨拶の原稿を事前に見せたら、藤元さんたち同期に「気を遣いすぎてる」ってすごく指摘してもらえて。吹っ切れて全部の芸人のことを思いっきりいじったら、爆笑に次ぐ爆笑。あんなにウケたのは僕のネタの中でも初めてでしたね。
「歌人裁判」というユニットでも活動する二人
──そっか、同期って人間関係においても特殊な存在ですよね。
枡野:やっぱり同じトラウマを味わってるから。学校という仕組みにお金を払って参加する、それがたまたま同じ時期だっただけじゃないかと思ってましたよ、ずっと。でもそれ以上に大きいことだとわかりました。
僕の場合、お笑い芸人としての力が自分にあるとも思ってないので、特殊かもしれませんけど、同期が活躍するのを心から応援してるんですよ。それは本当に苦しみを分かち合ったからだと思うんですよね。
人間って、先輩後輩とか自分の位置づけがはっきりしてないと不安なのかもしれませんね。番付とかランキングとか、誰が上とか下とかってあると、それで自分の精神が安定するんじゃないかと思うんですよね。後輩なのにすごく売れてる人とかいたりしても、先輩後輩という建前上のランキングみたいなものがあると安心なんじゃないですかね。
──枡野さん的には、お笑いの学校へ行ったことはどうでしたか?
枡野:あの時、決意してよかったと思ってますよ。何もかもが伏線回収じゃないですけど、なぜか今までのことが全部好転してきたんですよ。学校の先生が僕の知り合いばっかりで先生方も困ってましたけど、それも面白かったし、仕事にも繋がっていったし。8年間ずっと悩んでいたソニー時代のお笑いを、途中で投げ出しちゃった問題が自分の中で解決したのがよかったです。
あとは単純に授業も面白かったので、芸人コースも一般コースもみんな満足したと思いますよ。つまらない授業はなかったですから。
おわりに
という話を聞いてきました。学校を経由せずに芸人になる人もいるので絶対に必要ではない時代だし、一度は芸人をしていた枡野さんだから、あえてお金を払って学校へ通い直すのには色んな思いもあったはず。
それでも枡野さんは『ブラッシュアップライフ』2回目に飛び込んだわけです。そして「共通のトラウマを植え付けられる場所」「それで得られる同期の素晴らしさ」という納得を得て、芸人としての道もまた拓いていったと。若い時の苦労は買ってでもしろ、と同じようにトラウマと同期を得に行く場所。学校とはそういうことなのかもしれませんね。ちなみに枡野さんと藤元さんは、この5月からタイタン所属になったそう(おめでとうございます!)。
少子化の時代に貴重な若者が毎年1000人以上も芸人の世界へ飛び込んでいくことに「そんなに必要なのか?」という思いが正直なところあったんですが……こうして一回り大きな人間が排出されていってるならば、胸につかえてたものが少し降りた次第です。
取材協力:タイタンの学校
https://www.titan-net.co.jp/college/