乳がんで闘病していたフリーアナウンサーの小林麻央さんが、6月22日夜に亡くなった。34歳だった。
夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんは23日に会見。妻への思いを語った。
海老蔵さんの会見でも話題に上ったのが、小林麻央さんの「ブログ」だ。
「(麻央さんは)“多くの人の救いになれるような存在になりたい”ということでブログを始めた。ブログで同じ病に苦しんでいる人たちと喜びや悲しみを分かち合う妻の姿は、私からすると、すごい人だなあ、と。愛を教わりました」
小林麻央さんがブログ『KOKORO.』を開設したのは、2016年9月。2017年6月20日に公開された最後の記事まで、約350回の更新があった。
がんになった著名人が病気の経過をリアルタイムで公開するのは、珍しいケースだ。ブログ開設について、海老蔵さんら家族も驚いていたという。
海老蔵さんはその驚きを、自身のブログ『ABKAI』の『まおのきもち』という記事で次のように述べている。
まおのきもち、
聞いた時、
私としては青天の霹靂、
目から鱗でした
が、
それを願うのなら、
と…
(出典:『まおのきもち』)
しかし、麻央さんの決意は固かった。きっかけとなったのは、麻央さんを担当する「緩和ケアの先生」の一言だったという。
2016年9月1日に公開された最初の記事は『なりたい自分になる』というタイトルだった。そこでは、麻央さんがブログを開設するまでの経緯が報告されている。
当初、麻央さんは自身のがんについて「誰にも知らせず、心配をかけず、見つからず、、、」という思いだった。しかし、マスメディアの報道が先行してしまう。
「乳がんであることが突然公になり、環境はぐるぐる動き出し」た。そんな麻央さんを動かしたのは、「先生」のこんな言葉だった。
「癌の陰に隠れないで」
(出典:『なりたい自分になる』)
この言葉によって、麻央さんは、「癌患者というアイデンティティー」が「心や生活を大きく支配してしまっていた」ことに気がついたという。
私は
力強く人生を歩んだ女性でありたいから
子供たちにとって強い母でありたいから
ブログという手段で
陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました。
(出典:『なりたい自分になる』)
こうして始まったブログでは、何が語られていたのか。麻央さんが私たちに残したメッセージを紹介する。
「かつら」を巡る夫婦のたわいないやりとり。「ネイル」を楽しむ姿も。
抗がん剤の影響で髪が抜け、かつらをかぶることにした麻央さん。2016年9月2日の記事『かつら』では、金髪のウィッグを試して、家族から「!!き、き、きんぱつー!?」というリアクションを期待した。しかし、家族は意外にもそれをすんなり受け入れたというエピソードを紹介している。
続く9月3日の記事『かつら2』では、長髪のウィッグを試してみた結果、「アグネスチャンさん??」と言われたことを紹介。9月15日には、なぜか海老蔵さんが麻央さんのかつらをかぶるという展開もあった。海老蔵さんは「案外似合う… マオの笑顔が私の宝、」とコメントしていた。
抗がん剤は爪に影響することがある。2017年1月には、「しばらく無関心になっていた」ネイルをして、「爪に 愛情向けられて 良い気分」だったという。
私は、
抗がん剤による爪の変色と変形は、
足の親指だけでした。
傷んでしまった部分も、
がんばって変わらない部分も、
みんな自分なので、
いたわりたいです。
(出典:『ネイル』)
しかし、時には不安な心の内を吐露していた。ふとしたときに意識する病気のこと。
2016年9月4日、麻央さんは「後悔していること、あります」として、次のように述べた。
あのとき、
もっと自分の身体を大切にすればよかった
あのとき、
もうひとつ病院に行けばよかった
あのとき、
信じなければよかった
あのとき、、、
あのとき、、、
(出典:『解放』)
麻央さんは以降のブログで、病気発見から告知までの経緯を断続的に紹介している。
海老蔵さんに同行した人間ドックで「左乳房に腫瘤」が発見されたこと、そのしこりについて、一度は「がんを疑うようなものではない」と診断されたこと、半年後の検査で、別の場所にしこりがあるとわかったこと、そして、やはり乳がんと告知されたことなどを告白した。
「これからどうなるんだろう」と途方にくれた心境を、麻央さんは次のように表現している。
こんな時でもお腹がすいた。
さすが私。
ふらりとお店に入り、
ジェノバパスタを頼んだ。
ソースが少ない、パッサパサのパスタ。
なんて、まずいのだろう。
涙を流すには丁度良い味だった。
まずい。
まずい。。
まずい。。。
まずい。。。泣 泣 泣 泣
涙が止まらなかった。
(出典:『まずいパスタ』)
がんであることを意識する、ふとした瞬間の描写もある。病室で検査のための処置をされたときのこと。
その先生が、あまりに美しく、
洗練された手つきのため、
まるでドラマのワンシーンのように
思えてくる。
次に、
太い注射針のようなものを刺して、
パッチン! ! パッチン!!
と、
細胞を採取する音で、
一気に現実に引き戻された。
ドラマなんかでなく、
現実なんだ。。。
私、癌なんだ。
(出典:『10 現実』)
それでも、麻央さんは決して諦めなかった。不安になれば、また決意を取り戻す。
約10カ月の闘病記からは、寄せては返す波のように、落ち込み、奮起する麻央さんの姿が、率直な言葉で浮かび上がる。
2016年10月3日には、自分の病気について「一般的には、根治は難しい状態と言われるかもしれません」としながらも、「私はステージ4だって治したいです!!!」と強く訴えた。
だから、
堂々と叫びます!
5年後も
10年後も生きたいのだーっ
あわよくば30年!
いや、40年!
50年は求めませんから。
だって
この世界に 生きてる って
本当に素晴らしいと、感じるから。
(出典:『心の声』)
2016年11月3日の記事『疲れる』には、よく訪れるという公園で、ふとした瞬間にこみ上げた感情がリアルに書き置かれている。
強烈に、想いました。
生きたい。
もっともっと思い出をつくりたい。
今までの光景が
パラパラ漫画のように心に流れて、
このずっと先のページにも
いたいと、強烈に感じました。
どうしたら、その願いが叶えられるか、
どこに方法が隠されているのだろう。
隠されてなんかいないのに、
気づけないだけだろうか。
(出典:『疲れる』)
残念なことに、麻央さんの願いが叶うことはなかった。
麻央さんのブログのうち、大部分を占めていたのは、やはり家族のことだった。
がんであることがわかったとき、家族に対しては、まず「ごめんね」と思ったという。
ごめんね。
病気になっちゃった妻で。
病気になっちゃった娘で。
病気になっちゃった妹で。
(出典:『18 家族からの着信』)
麻央さんと海老蔵さんには、長女・麗禾(れいか)ちゃん(5歳)と長男・勸玄(かんげん)くん(4歳)がいる。
2016年11月27日には、「今後の治療」についての真剣な「話し合い」をする夫妻を、お子さんが気づかう場面もあった。
そうしたら、
娘が
私のところへやってきて、
耳元で
「パパに何も言わないで。
パパはママのこと
愛してるんだから」と。
真剣すぎる空気に、
娘からの心遣い。。。
(出典:『家族のかたち』)
しかし、時には家族に対して辛く当たってしまうことも。
家族が
私の食欲や痛みについて 心配し、
色々提案してくれたとき
「私の身体は私が一番わかってるから」
と言ってしまいました。
「うん。そうだよね!」と
優しく返されましたが、
病室で ひとりになり、
家族にとっては
悲しい一言だったのではないかと、、、
(出典:『眠れない夜のひとりごと』)
34歳の、母でもあり、妻でもあり、妹でもあり、娘でもある女性。麻央さんは数々のメッセージを家族に向けて送っていた。
麗禾ちゃんと勸玄くんにはこのように。
今日も
子供たちふたり、仲良く遊んでいる
と主人から聞き、うれしい朝でした。
私は姉妹で育ってきたので、
異性の姉弟って想像しずらいのですが、
大きくなっても
相談し合えたり、助け合えたりする
姉弟でいて欲しいと願っています。
(出典:『姉弟』)
姉である小林麻耶さんにはこのように。
私の幸運のひとつは、
姉の妹に生まれたことだと思っている。
(出典:『姉』)
母親にはこのように。
今日は、主治医の先生とのお話で、
母が一緒に病院へ来てくれました。
安心する反面
悲しい思いをさせたくないから
あまり一緒に来たくないという
複雑な娘心があります。
(出典:『母』)
また、海老蔵さんの母である堀越希実子さんには、このように。
母の本。
「私が伝統を伝える相手は
麻央ちゃん」
という母の言葉があった。
まだ何も受け継げていないまま
病気になり、
闘病で時が過ぎていくことを
悔しく思う。
(出典:『母の日』)
そして、夫である海老蔵さんは、頻繁に麻央さんのブログに登場していた。2017年1月9日に放送された日本テレビ系特番『市川海老蔵に、ござりまする。』のインタビューで、麻央さんは涙ながらに、次のように語った。
「主人と結婚したからこそ、今私はこうやって生きていられる」「そうじゃなかったら、もう心が死んじゃっていたかもしれない」
6月23日の記者会見で、海老蔵さんは麻央さんの最後の言葉が、海老蔵さんに向けた「愛してる」だったことを明かした。
麻央さんのブログは、2017年6月までに200万人以上から読者登録された。閲覧回数で言えば、それよりもはるかに大きな数になるだろう。
麻央さんは、3月18日、がん患者の訃報について言及した。
闘病されていた方の訃報にふれると
自分のなかのどこかの小枝が
ポキって折れるような気持ちになります。
(出典:『ふと、、、』)
だから
私も 癌を公表しているものとして
少しでも長く生きていきたいです。
(出典:『ふと、、、』)
このことへの配慮か、海老蔵さんは6月23日の記者会見で、「ずっと麻央はみなさんの側にいると思うので」と、麻央さんを応援した読者に感謝を伝えた。
最後の更新となった記事の内容は、麻央さんの母が絞るオレンジジュースの味への感想、そして読者へのメッセージだった。
今、口内炎の痛さより、オレンジの
甘酸っぱさが勝る最高な美味しさ!
朝から 笑顔になれます。
皆様にも、今日 笑顔になれることが
ありますように。
(出典:『オレンジジュース』)
ブログ開設からの麻央さんの活動には、世界からも注目が集まった。英BBCに寄稿した『がんと闘病の小林麻央さん、BBCに寄稿 「色どり豊かな人生」』という記事には、「死」についての言及がある。もし、今回のニュースで麻央さんを「かわいそう」だと思った人がいれば、ぜひ一度、目を通してほしい。
人の死は、病気であるかにかかわらず、
いつ訪れるか分かりません。
例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。