ビジネスでは「問題解決思考」が重要なスキルのひとつだ。「現状」と「あるべき姿」の差を「問題」と定義し、間を埋めるように行動していくことを指す。
命を左右する「問題」に対しても、このスキルを働かせた人がいる。ネットを介して資金を集めるクラウドファンディング事業の国内最大手、READYFOR株式会社代表の米良はるかさんだ。
2011年の創業以来、支援金の累計総額50億円以上と、事業を日本一のクラウドファンディングプラットフォームに成長させた経営者である米良さん。2017年10月、30歳で悪性リンパ腫という血液のがんにかかったことを公表した。
「問題」に直面したとき、人は「反射的」「直観的」な対策を取りがちだ。的を射ない対策は、失敗につながりやすい。だからこそ、論理的に対策を組み立てる、問題解決思考が重要だといわれる。
では、この「問題」が、健康に関わるものであればどうか。たとえば、2人に1人が患い、3人に1人が亡くなるとされる、「がん」という病気だったら。
病気が発覚したとき、生まれて初めて「解決できない問題が発生してしまったと思った」という米良さん。どのように病気と向き合ったのか。BuzzFeed Japan Medicalが話を聞いた。
「すぐに死んでしまうんじゃないか」
ーー病気になって、何が一番、つらかったですか?
私の場合は「がんの可能性がある」と言われたまま、診断がつかなかったのが、一番つらかったですね。
2カ月半くらい「自分はがんかもしれない」と思ったまま、生活していました。がんであるとはっきりわかってからは、むしろ精神的には落ち着いたというか。
体に異変があったのは、2017年の春ごろです。首の左側に大きなしこりができました。そのしこりに、がんの可能性があることを、大学病院で告知されて。
可能性ということでは、そのとき、咽頭がんか、悪性リンパ腫(血液系のがん)か、良性腫瘍か、という3つが提示されたんです。
咽頭がんはすぐに否定されたんですね。その上で、先生(医師)たちは「若い人はあまり悪性リンパ腫にならない」と想定しているようでした。
でも、細胞を取って検査したところ、かなり高い確率で悪性リンパ腫が疑われる結果だったんです。
翌日にすぐ手術でリンパ節を取り出して、検査。ステージ1、DLBCLという種類の悪性リンパ腫であることが確定しました。
この間、2カ月半くらいです。しんどかったですね。おかしくなりそうで、ずっと泣いてばかりいました。
ーー米良さんの場合は特に、若年ということもあります。
はい。それもあって、頭に浮かんだのは「すぐに死んでしまうんじゃないか」ということでした。
自分の世代のがんというと、映画や小説の影響か、どうしてもそういうイメージになってしまって。私は家族にもがんになった人がいないので、がんのことがよくわかっていなかったんです。
仕事をしている間は忘れられるのですが、それもだんだん、つらくなってきて。というのも、私は経営者なので、未来を考えるのが仕事なんです。
半年後の未来を考えたときに、自分がそこにいない可能性がある。そんなことを想像して、また泣いてしまう。悪循環でした。
ーーがんであることがわかって、心境に変化はありましたか?
「病気を受け容れる」って、簡単なことではありませんよね。これまで健康に生きてきたのに、いきなり「病人」というレッテルを貼られるようで。どうしても「自分は大丈夫だ」って思いたくなる。そのせいで余計、つらくなったり。
私の場合、「治療に集中しよう」と切り替えられたのは、奇跡的なタイミングがあったからなんです。
私が悪性リンパ腫であるという診断がついたのが、6月30日。この日って実は、会社の期末、3期目の終わりだったんですね。
もともと、治療のために休みに入ることは決まっていたのですが、それがちょうど、起業してから4年目に入る、ずっとがんばってきた節目のタイミングになったんです。
そのおかげで、自分の中でも「ここからは病気の治療に100%集中する時期だ」とモードを切り替えることができました。
本当にたまたま、まさにその日だった、という。こういうタイミングは、作ろうとして作れるものではないですよね。そこからある種、メッセージを受け取ったというか。
あとはやはり、周囲のサポートです。私の人生の大きな部分を占める「家族」と「仕事」の両面で、支援を得られたというのもありがたかったです。
がんになると、自分もつらいし、パートナーもつらい。「闘病が原因で離婚」といった話も聞くことがあります。でも、私の場合は夫が率先して、病気についての情報収集をするなど、サポートに奔走してくれました。
病気のことを夫の次に伝えたのが、共同代表の樋浦(直樹さん)です。そしたら樋浦は「まあ大丈夫、会社は自分たちでなんとかするから」って言ってくれたんですよ。そのとき、私は自分の思い込みに気づいて。
会社を創業したときは自分ひとりだったし、自分の魂が入ったサービスを運営しているつもりでした。そこから魂が抜けたら、それは果たして同じものと言えるのかな、みたいな想いもあったんですけど。
樋浦にそう言われたときに「そっか、私が勝手に思い込んでいただけで、もうこの会社はみんなの魂でできてたんだな」と思えたんです。
家族だけでなく、仕事の面でも不安材料がなかったというのも、治療に集中する上ではすごく大きかった。
でも、そうやっていざ病気に向き合おうとしてみると……、「解決できない問題が発生してしまった」という意識がすごくあって。
「病気」という問題の「解決」方法
ーー「解決できない問題」ですか。
経営って「解決できない問題がたくさんありそう」って思われがちなんですけど、実はそうじゃない。ちゃんと対策を組み立てて、決める。組み立てて、決める。これを繰り返していると、前には進んでいけるものなんですよ。
でも、がんというのは自分にはどうしようもない、アプローチのできない問題が目の前に積まれた感じだったんですよね。
私はこれまで「すべて自分で決めて前に進んできた」という自覚が強いんです。そういう意志を持って生きてきた人間からすると、突然、よくわからない、解決できない問題が我が身に降りかかってきた、というイメージでした。
でも今、自分が「寛解」というリンパ腫が消えた状態になって振り返ると、問題解決できる部分はすごくある、というのが実感です。
ーー「病気」という「問題」を、どのように解決したのでしょうか。
経営でも同じなのですが、行きたいところに向かって一番、確実かつ最速でたどり着ける道を探す、ということをしました。
たとえば目的地までA・B・C・Dの4つのルートがあるとしますよね。Aは近道なんだけど、途中にガケがあって、それをジャンプで飛び越えないといけない。でも、私はそういうトレーニングをしていない。なら、この道は選びません。
逆にDは絶対に安全で、いつか必ずたどり着けるけど、道のりが長い、とか。選択肢というのは、たいていは一長一短なものです。私にはそれをパラレルに並べる癖があって、その中で一番、成功の確度が高いルートを選ぶわけです。
病気については、まず、「生きる自分」というのを目標に置きました。そして、そこに至るにはどんなルートがあるのか、それぞれの確度とリスクを検証することがスタートです。
そのために必要なのは、情報収集ですよね。悪性リンパ腫という病気について、まずは治療実績のいい大学病院の主治医に説明してもらいました。
その上で、国立がん研究センターのウェブサイトや、日本血液学会のガイドラインなどを読んで、自分なりにもいろいろ調べました。
国立がん研究センターのような信頼できる医療機関の医師のところにも、セカンドオピニオンを聞きに行って。
そうすると、全体像が見えてくるんですね。私の場合は、科学的根拠が確かな治療のある病気だったことも幸いしました。
この病気の治療として確立されているものにはAとBとCがあって、逆にDとかEとかっていうのは科学的根拠が確かではない、とか。その上で、全体のコンセンサスはAとなっている。なら、私もAを選択しよう、というように。
どんなルートでもリスクはあります。たとえば「抗がん剤の副作用で髪が抜ける」というのはリスクですよね。たしかにそうだけど、じゃあ逆に、抗がん剤を使わなかったらどうなるのか。
私の病気では、抗がん剤を使わなければ、ほぼ確実に「生きる自分」に到達できません。だから、抗がん剤を使わないという選択肢はあり得ません。
また、「新しい治療でリスクがわからない」というものもありますが、それも私は選びません。リスクがわからなければ、成功するかもわからないということなので。
病気について調べて、「大筋こういうことか」「大きな誤りはないだろう」と思えたときに、私は初めて「自分で決めた」という意識を持てたんです。
万が一、治療が成功しなかったとしても「どこが想定と違ったんだろう」というのをちゃんと検証して、納得できると思えました。
医師は私が意思決定するためのデータをいろいろ持っていて、それを見解としてまとめて、私にくれる。その見解に基づいて、先生じゃなくて、私が自分の治療を決める。その意識が私にとっては重要でした。
「自分が決めた」っていう意識があるからこそ、安心できたんですね。私はこういう病気で、こういう治療があって、それを選択した結果こうなって……というのがわかっていれば、常に最善の手を打ち続けることができる。
生存率だって、「5年生存率90%」と言われて、自分が10%だったらどうしようと思ってしまうけれど、ベンチャー企業の5年間生存率なんて15%って言われるじゃないですか。
結局、今の自分にとって、最善の選択をし続けるしかない。事業をしてきた経験が、こういうところでも役に立ちました。
ーーしかし、選択も簡単ではないですよね。特に命に関わることであれば……。
私は病気を公表してしまったので、今も正直、いろんなことを言われます。「米良さん、がんだったんですよね? こういう治療法があって……」みたいな。
かなり精神的なものや、科学的に見えるけれど、どれくらい根拠があるかわからないものまで、本当にいろいろ。そこから選んでいくっていうのは、本当に難しいですよね。
結局、情報というのは、患者さん側の理解に委ねられている部分がある。だから、「医師やメディアが精度の高い情報をわかりやすく伝える」ことが大事だと、あらためて感じました。
「幸運」を社会に還元するために
ーーみんながみんな、米良さんのようにはできないかもしれません。
こういう発想になるのはやっぱり、経営の仕事をしているからというのは、ありますよね。経営をしていると、問題しかないと言うか(苦笑)。私が問題解決を苦にしない人だから、慣れているというのは事実だと思います。
でも、それもやっぱり、タイミングや、周囲のサポートなしには機能しなかった。治療の確立された病気だったことも含めて、今の私の状況は、ただただ幸運です。
もし私が大きな会社の社員だったら、戦線離脱することで、出世の道を絶たれてしまうかもしれない。家族の介護をしなきゃいけなかったり、子どもを育て上げなきゃいけなかったり。
もしそうだったら「治療に集中する」という選択肢をそもそも持てただろうか、と考えてしまうんです。
私が今、治療がひと段落して、新しく問題だと思っているのは、まさにそこで。病気が発覚したときに、それをサポートするような体制を、社会にもっと増やしていけないか、ということです。
私が病気になったとき、まず誰に相談していいかわからなかった。結果的に、夫や会社のメンバーが大きな支えになって、闘病を乗り越えることができました。
でも、最初にがんの可能性を告知されたときの絶望的な気分を振り返ると、告知直後に心の整理をしたり、これからの人生をどう送るべきか、と相談できたりするところがほしかったんです。
私の場合、最初に診断を受けたときの医師は、「ではまた」という風で。診断を聞いたあとの自分の思いを吐き出したりする場などがなく、あっさり帰されてしまった印象でした。
もちろん、これは当然のことです。私がいくら「仕事をどうしたらいいですか」と訴えても、医師の方は私の仕事のプロではないし、解決策を持っているわけではありませんよね。
そうすると「(どうしたらいいかは)あなたが考えてください」となるのは仕方がないことです。医師の仕事の主たるものは治療で、私の相談相手になることではない、というのも理解しています。
ただでさえ多忙な医師に、さらに、私のような患者の精神的なケアまで期待するというのは、現実的ではないでしょう。
だったら、役割を分担するのがいいんじゃないかというのが、私が考えていることです。告知を受け止められなかったり、ただ誰かと話したかったりという相談の相手は、医師でなくてもいい。
ただし、そのようなサポートは、告知とセットになって提供されてほしい。「家族や親しい人に相談して」だけでは、不安はなくなりません。家族や親しい人だからこそ、心配をかけたくなくて、相談できないということはあり得ます。
私が通院している病院にも、相談窓口はあるのですが、このようなサービスをもっと充実させることはできないか、と。
今、日本の社会で医療費による財政の圧迫が問題になる中で、逆に「患者支援」といった「プラスアルファ」のサービスは、切り捨てられる方向になってしまうのではないか、と危惧しています。
必要なことなのに、今のシステムではお金が回りにくい。これは大きな問題であると私は思います。
ーー新しい「問題」を、どうやって解決していきますか?
弊社ではこれまでに、がん患者支援をおこなうマギーズ東京さんや、小児がん患者のための無菌室を設置する国立成育医療研究センターさんのクラウドファンディングを担当、目標金額を達成してきました。
その経験から思うのは、医療という分野で、クラウドファンディングは極めて有効なのではないか、ということです。
今の時代、誰しも医療の恩恵を受けているはずです。私自身そうなのですが、幸運にも医療に救われたことで、その感謝を還元したいという想いが生まれるのではないでしょうか。
しかし、こういった想いというのは、実際に医師の方に直接、形で返すわけにもいきませんから、行き場がないともいえます。
一人ひとりの支援は小さくてもいいから、その感謝を集めて、必要とされているところにお金を流す。クラウドファンディングではそれが可能になります。
現在、Readyforでは国立がん研究センターさんの患者サポートセンターを支援するクラウドファンディングを実施しています。国内有数のがんの研究機関の中で、患者さんのサポートをより充実させるための取り組みです。
2人に1人ががんになる時代においては、誰もが精神的なサポートを必要とする可能性がある。誰かを助けるのではなく、自分や、自分の大事な人を助けることにもつながる支援ですね。それができる社会が望ましいと、私は思います。