鏡像細胞は、生物の体内に入り込んでも、その免疫システムに認識されずに際限なく増殖する可能性がある。
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- 「鏡像生命」を作り出そうとしていた科学者が、その取り組みを中止すべきだと訴えている。
- 「鏡像微生物」は、生物の体内に入り込んだとしても、免疫システムに認識されないため、重大な病原体になる可能性がある。
- 鏡像生物学は、地球上の生命が持つ基本的な特性、すなわち分子の向きを逆転させることを研究する分野だ。
「鏡像生命」を創造することは、科学における最大級の突破口となる可能性を秘めているが、その取り組みを中止すべきだと訴える研究者もいる。
現在「鏡像微生物」は存在しない。しかし、もしそれが製造され、実験室から流出してしまえば、種を超えた壊滅的なパンデミックが引き起こされる可能性があると、38人の科学者が、科学誌「Science」に2024年12月12日付けで掲載された論文で警告している。
論文の筆頭著者であり、ミネソタ大学で合成生物学の研究室を率いる化学者のケイト・アダマラ(Kate Adamala)は、「我々は基本的に、完璧な生物兵器の作り方を教えているようなものだ」とBusiness Insiderに語っている。
「鏡像細胞」のリスクが明らかになるにつれ、アダマラは自身の研究室でその製造に取り組むことをやめた。この研究には複数年にわたって助成金が投じられており、それが期限切れとなったが、彼女は更新申請を行わないことにした。
現在、アダマラと他の37人の研究者は、他の科学者たちにも同様の行動を取るよう呼びかけている。
論文には、「当初、我々は鏡像細菌が重大なリスクをもたらすのかどうか、懐疑的だったが、次第に深刻な懸念を抱くようになった」と記されている。
「鏡像生命」とは何か?
鏡像生物学とは、地球上の生命が従う基本的なルールである「キラリティ」の反転について研究する生物学だ。
キラリティとは、分子(糖やアミノ酸など)が右型あるいは左型のいずれかを指向するという性質のことを言う。
生命を構成する各分子には1つのキラル形態しか存在しない。例えば、DNAの骨格を形成する際に使われる糖は右型であるため、DNAは右巻きにねじれる。
鏡像生物学では、このキラリティをすべて反転させた細胞を作り出すことを目指している。例えば、自然界の生命が右型ペプチドを用いてタンパク質を構築するのであれば、鏡像生物学における生命は同じペプチドの左型を用いる。
アダマラの研究は、鏡像ペプチドの作成に焦点を当てており、これにより効果が長期にわたって持続する医薬品の開発が可能になるとされている。
その研究の長期的な目標は、完全な鏡像細胞の創造だった。鏡像細胞は、環境に優しい化学物質の製造にバクテリアを使用するバイオリアクターの汚染防止に役立つ可能性がある。というのも、理論的に鏡像細胞は天然の微生物と相互反応しないからだ。
アダマラはこう述べている。
「指を突っ込んでも汚染されることがない、完璧なバイオリアクターを作れるかもしれない。しかし、それこそがまさに問題でもある」
鏡像バクテリアは、生命に備わる自然なチェックアンドバランス(抑制と均衡)の機能を妨げる可能性がある。例えば、他のバクテリアと競争したり、免疫システムに対抗したりといったことが考えられる。
免疫システムは鏡像細胞を認識できない
アダマラは、免疫学者たちと話したときに「鏡像細胞研究にとっての死刑宣告」を受けたように感じたという。
免疫学者たちは、人間や他の動物、植物にとって、免疫反応の活性化はキラリティに左右されると説明した。つまり、免疫細胞は病原体のタンパク質であれば認識できるが、鏡像異性体のタンパク質は認識できないのだ。
そのため「ミラー病原体は宿主と相互に反応することはない。栄養豊富で温かな宿主の体を、繁殖に適した環境として利用するだけだ」とアダマラは説明した。
鏡像バクテリアが研究室から流出した場合、症状がゆっくりと現われ、治療に時間がかかる感染症を引き起こす可能性がある。それらの症状は、抗生物質では治療できない。抗生物質もまた、キラリティに左右されるからだ。
鏡像バクテリアは、宿主の免疫システムによって排除されることがないため、トウモロコシやヤギ、鳥といった特定の生物へ感染しやすいように特化する必要がない。
「感染する可能性のあるあらゆる生物を病気にする可能性がある」とアダマラは言う。
最悪のシナリオでは、鏡像バクテリアは無制限に増殖し、拡散していく。宿主を支配し、最終的にはそれらを殺してしまう。農作物も破壊し、捕食者も存在しない。それは生態系全体に広がり、自然界を新たな鏡像の世界に置き換えてしまう。
すぐにでも研究の停止を
鏡像生物学システムの研究をリードする研究者の1人であり、中国の西湖大学で鏡像生物学の研究室を率いるティン・ジュ(Ting Zhu)は、慎重であるべきという意見を支持しつつも、「近い将来に完全な鏡像バクテリアが合成されることはないだろう」とBusiness Insiderに宛てたメールに記している。
ジュはScienceに掲載された論文には関与していない。
アダマラは、世界初の鏡像バクテリアが登場するのはまだ約10年ほど先だと予測している。だからこそ、最終的な一歩を踏み出すために必要なツールがまだ完成していない今、すぐにでも研究を停止すべきだと主張している。
「今、誰も1人でそれを成し遂げることはできない。技術がまだ成熟していないおかげで、『取り合えずやってみよう』と無謀な挑戦を試みる人から我々は守られている」
アダマラをはじめとした研究者たちは、今のうちに彼らが指摘したリスクについて、さらなる研究と検証を呼びかけた。
「もし、我々が間違っていたと誰かが指摘してくれれば、それはとてもうれしいことだ」