四川省にある世界遺産「都江堰」。チケットはオンラインで購入する前提となっているが、身分証・電話番号・中国の決済アプリが必要だ。
撮影:浦上早苗
3年にわたる中国のゼロコロナ政策が終了し、少しずつではあるが日本からの出張、旅行も再開している。ただし、コロナ禍前からデジタル化が進んでいた中国は、「鎖国」している間に感染症対策の文脈でオンライン化・実名制度が徹底され、中国の電話番号と銀行口座、決済アプリなしには身動きが取れない「デジタル・ガラパゴス」になっていた。渡航者は相当の準備と知識、あるいはリアルタイムで助けてくれる人が必要だ。ビザ免除の一時停止によって、そもそも渡航自体も簡単ではないが……。
ビザ免除措置停止で渡航のハードル上がる
中国への渡航はプラチナチケット化している。航空券もコロナ禍前に比べると高いし、ビザ免除措置が停止され入国には必ずビザが必要となり、取得までが一苦労なのだ。観光ビザの手数料は8000円かかるし、個人申請する際はオンラインで諸々の書類に記入して「申請予約」を取るが、現在だと最短で3週間後にしか予約できない。ビザセンターにたどり着いたら、予約しているはずなのに数時間待たされる。筆者が行ったときは終始怒号が飛び交っていた。
筆者がビザを申請したことをSNSに投稿したら、複数の人から「航空券を取ったのにビザの申請が間に合わない」と相談のDMが届いた。
2010年代後半にはスタートアップから大企業までビジネスパーソンが深センに視察に詰めかけ深センブームが起きたが、それはノービザで気軽に行ける国だったからだ。状況が一変し、深センに本社を置くテック企業の社員は「日本企業の方にオフィスに来てほしくてもビザの壁が高すぎる。中国に精通していないとその状況すら知らないので、『行きます』と言われても実際は実現しない」と嘆いた。
ビザ免除停止措置は長期化するとの悲観論も聞こえる。筆者も本来の滞在予定は1週間だったが、ビザ取得が大変だったので「すぐに帰ってたまるか」と思い、リモートワークをしながら3週間滞在した。
地下鉄はQRコード乗車前提、券売機も多くがキャッシュレス
成都市の地下鉄駅の券売機。アリペイとWeChat Payでしか買えない券売機も少なくない。
撮影:浦上早苗
中国に入国していきなり立ちはだかるのが、徹底したオンライン化と実名制度だ。
中国はTwitterやFacebookなど海外のSNSをブロックし、代わりにメッセージアプリ「WeChat(微信)」など独自のサービスが普及した。さらに2010年代後半にモバイル決済が当たり前となり、コロナ前からキャッシュレス社会に突入している。
多くの行政・民間サービスはWeChatと決済アプリ「アリペイ(支付宝)」からアクセスできるミニプログラム(アプリ内アプリ)を利用して、消費者にサービスを提供している。例えば空港の入管ではWeChatのミニプログラムで健康状況を入力し、発行されたQRコードを提示することで入国できる。日本のように、用途別にいくつものアプリをダウンロードする必要がない点はすばらしいが、3年超にわたる鎖国で、短期滞在する外国人の存在をほぼ忘れてしまったシステム設計が、海外からの旅行者に多大な戸惑いと不便をもたらしている。
アリペイはVISAなどクレジットカードと連携して決済できるが、対応していない商店やオンラインストアに何度か遭遇した。例えば町の牛肉麺店はクレカ連携での支払いを受け付けなかったし、アリババのオンライン旅行会社で航空券を取ろうとしたときもだめだった。
地下鉄やバスはアリペイのQRコードをかざすと自動決済される。
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地下鉄やバスはアリペイ内で各地の「交通乗車QRコード」を取得すれば、改札でQRコードをかざして認証するだけで利用できる。これだけ聞けば便利なのだが、深センは中国の銀行口座と連携していないアカウントを受け付けないようで、切符を券売機で買うしかなかった。そして今は券売機を使う人がいないため、ほとんどが「停止中」となっており、唯一使えた券売機は5元札以外を投入できなかった。仕方なく、近くのマクドナルドに行って5元のおつりをもらえるよう商品を購入した。
四川省成都市郊外の新しい地下鉄駅にあった券売機は半分がWeChatかアリペイでしか決済できなかった。
キャッシュレス決済は前回(2019年)の渡航時も一般化していたが、今回はメニューもレジもない店にしばしば遭遇した。ケンタッキーに入って、「メニューを見せて」と言ったら、「メニューはスマホから見て」と言われた。
成都のパンダ基地はチケット販売窓口を撤去
成都のパンダ基地はチケット購入窓口を撤廃し、オンラインでの事前予約・購入が必須となっている。購入は7月時点でWeChat Pay決済しかできない。入場するときはチケット購入時に登録した身分証明書で入る。
撮影:浦上早苗
キャッシュレスとオンライン化に加え、コロナ禍の間に徹底されたのが「実名制」だった。公共サービスの利用や契約に身分証明書の提示を求める「実名制」は筆者が以前中国で生活していた2010年代前半から少しずつ導入された。携帯電話の契約や高速鉄道のチケット購入がその代表例だ。
そのへんまでは分かるのだが、今回4年ぶりに中国に入国すると、観光地の入場券まで実名制になっていた。有名な観光地の入り口は身分証明書を読み取り、チケット購入時の情報と一致しているか確認する自動ゲートとなっており、地方の小さな観光施設でも、職員が身分証明書と入場券をチェックしていた。
そして、世界遺産のような著名観光スポットはいずれ外国人が押し寄せるはずだが、長い鎖国で外国人の存在すら忘れているかのようだった。
ゼロコロナが終了して中国人旅行者でにぎわっているのだが、窓口が追いつかないのか「入場券はオンラインで購入してください」が常識化している。現地に着いたらQRコードが至るところにあり、読み取るとWeChat内のミニプログラムで観光地の公式サイトにつながる。そこから実名、身分証明書情報(外国人ならパスポート番号)、電話番号を入力すると決済画面に遷移する。
筆者は7月初めに成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地に行った。中国はパンダブームの真っただ中にあり、同基地は4月23日にオンライン予約制を導入し、窓口でのチケット販売をやめた。旅行会社からもオンラインで申し込みができるが、筆者が調べたかぎりすべてがパスポートでの申し込みに対応しておらず、公式サイトだけが外国人の予約を受け付けていた。そしてその公式サイトもWeChat Payで決済しないと予約が完了しなかった。
ちなみに筆者が訪問したときは、WeChat Payは中国の銀行口座を保有していないと利用できない仕様だった。意図したわけではないだろうが、事実上「外国人お断り」である。
世界遺産「都江堰」の園内マップもQRコードから取得する。こちらもWeChatをダウンロードしないと開けない。
撮影:浦上早苗
世界遺産の「青城山」は入場だけでなく、園内の船やケーブルカーもオンラインでチケットを買う必要があった。オンラインで買うには電話番号を入力しないといけないが、中国の電話番号以外は跳ねられる。ただ、ここは身分証明書を忘れたり、何らかの理由でモバイル決済ができない人向けの有人窓口があったため、その辺にいるスタッフに問い合わせて窓口の場所を教えてもらった(成都のパンダ基地も、特殊な消費者向けの窓口があったので、WeChat決済できない外国人はそこで買えるだろうが、非常に分かりにくい)。
前述したように、観光施設、空港、高速鉄道の入場口の多くは身分証明書をかざすとゲートが開く仕組みになっている。パスポートには対応していないため、端の方にある「有人ゲート」を通ることになるのだが、事情を知らないと中国人が行列をつくっているところに並んでしまうだろうし、混雑している場合は入場ゲートまで来たところでスタッフに「外国人はここじゃない」と言われ、途方に暮れることになる。
多くのサービスが中国の携帯番号でSMS認証必要
フードデリバリーサービスが普及し、専用ロッカーと客室に配送するロボットがあるホテルも。
撮影:浦上早苗
中国には配車サービス、フードデリバリーなど世界に先駆けて広がった便利なサービスが多くあるが、それらも基本的には中国の携帯番号を入力し、SMSを送ってもらって認証しないと使えない。成都の国際空港でWiFiを使いたいと思ったが、それも中国の携帯番号が必要だった。3週間の間にいろいろなサービスを利用したが、外国の携帯番号で利用登録ができるのは1割もなかった。日本だったらFacebookやTwitterアカウント、メールアドレスで認証できることが多いが、それらは中国でブロックされているので、携帯番号一択になる。
筆者は子どもが中国に留学しており、彼が中国の携帯番号を持っているため、何かにつけて彼の番号を入力し、受け取った認証用の番号をメッセージアプリで送信してもらうことでサービスを利用していた。後から子どもに「(筆者の都合でしょっちゅう認証用コードが届くため)授業中もスマホをちょくちょくチェックしていて、忙しかった」と言われた。
システムの不備を人間がカバー
世界遺産「青城山」の入り口にあるコインロッカーはWeChat Payでしか使えなかった。
撮影:浦上早苗
現状、外国人旅行者は中国で「高度にデジタル化された社会と分断された人」になってしまう。5年前の深センブームの際は、好奇心旺盛な日本人がノービザで中国に入り、モバイル決済や無人店舗などなどさまざまな先駆的なサービスを利用し、ブログやSNSで発信していた。今の中国でそういったことは難しい。
ただ、陸の孤島に取り残された外国人を助けてくれる現地の人がたくさんいた。中国のオンライン化・実名制は(消費者と政府にとっての)利便性向上、感染防止が主な目的で、日本のような「人手不足」の文脈は薄い。だからレジやメニューがなくなって、客がオンラインで注文・決済するようになっても店員の数はあまり変わっていない。店内で手間取っていると、すぐに気づいていろいろと教えてくれる。
宿泊したホテルの客室からマクドナルドの朝食を注文し、画面に表示された受け取り時間に店舗に行ったら、一向に呼び出されない。客とおしゃべりしていた2人の女性店員が筆者に気付き、「どうしたの」「まだ来ないの?」と奥に確認しに行ってくれた(注文した商品が品切れになったのか、システムが勝手に注文キャンセルしていたと判明した)。
配車アプリを使いこなせない筆者に最初は苛立っているタクシー運転手も、こちらが外国人と分かった途端、「!」という反応をして優しくなる。
観光バスに乗るためのQRコードが外国人に発行されないことが分かったとき、その運転手は「早く座りなさい」とこっそり通してくれた。
彼らもこの10年弱に起きた急激なデジタル化と実名制を経験している。外国人には手に負えないシステムだと理解しているのだろう。システムの不備を店員や運転手の優しさが補い、少しずつトラブルシューティングを獲得していった。
そして筆者が旅行している間に、WeChatが決済手段として国際クレジットカードと連携すると発表した。7月中旬には、筆者の手持ちのMasterカードと連携できるようになった。外国人が少しずつ中国に来るようになり、「このままではまずい」と気づいたのだろう。
中国旅行を計画している人は、事前にWeChatとアリペイの2つのアプリをダウンロードしておき、クレジットカードと紐づけておこう。ただ、クレカでは決済できない店舗・サービスもあるので中国在住の友人から送金してもらってある程度残高を用意しておくことを強くお勧めする。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。twitter:sanadi37