ベビーシッターのマッチングアプリ大手、キッズラインが6月4日午後に男性シッターによるサポートの一斉停止を発表したことが波紋を広げている。
きっかけは、2019年11月に発生した、キッズライン登録シッター橋本晃典容疑者による預かり中の男児へのわいせつ事件だった。「たった1人」の逮捕により、どうして男性全員を排除しなければならなくなったのか。
既に加害者治療にかかわる筑波大の原田隆之教授や弁護士ドットコムニュースなどがこの判断は科学的でもなければ、社会的にも容認しがたい差別だと指摘しているが、キッズラインの決定の背景には、ゾッとするような事実がある。
それは、キッズラインを舞台にした性犯罪の被害報告は、逮捕事案の「たった1人」によるものだけではないということだ。
別の男性シッターXによる性被害が発覚
キッズラインは橋本容疑者について、2019年11月中旬には警察から捜査開始の連絡を受け活動停止したとしているが、4月下旬の逮捕報道後も5月3日に「一部報道に関しての報告および弊社の対策につきまして」を自社ホームページに掲示したのみで、すべての利用者にお知らせメールなどで周知することをしてこなかった。
そこから男性シッターの活動停止が発表される6月4日までの間に、少なくとも1件の、橋本容疑者とは別の登録男性シッターXによる、預かり中の子どもの性被害がキッズラインに報告されている。この被害者の子どもの家族をAさんとしよう。
Aさん家族は、2019年10月からキッズラインを利用しており、橋本容疑者の事件発生や逮捕について知ることなく、2020年5月中もXによる保育を複数回利用し続けていた。あることをきっかけに嫌な予感がして子どもに話を聞いたところ、Xからわいせつ行為を受けた内容を打ち明けた。
Aさんは即日、キッズラインの緊急電話にかけるが、つながらなかった。警察に通報し、翌日被害者であるAさんの子どもは病院で検査を受けた 。
その後、キッズライン運営側と連絡が取れ、被害を報告した。 後日警察署で被害届を提出し、受理されている。
被害者の親、Aさんは語る。
「子どもって、性に関する知識がなくても、された行為が恥ずかしいことだって分かるんですよね。恥ずかしいから誰にも言えない。娘には、あなたは何も悪くない、そういう悪いことをする大人が先生でもいるって伝えました。
うちの子は話ができたけど、もっと小さい子だったらお話もできないですよね。少なくとも、2019年11月の事件とうちで2件出ている。氷山の一角かもしれないと思うと怖いです」
わいせつ行為を働いた疑惑をかけられているシッターXは、6月4日の男性シッターの「一斉活動停止」を待たずに、すでにキッズラインの登録をキッズライン側によって抹消されている。
<時系列>
- 2019年7月 橋本容疑者が登録
- 2019年10月 Aさんが利用開始
- 2019年11月 橋本容疑者が犯行(ここまでにキッズラインにより複数家庭で80件のシッティング)。キッズラインが警察から報告を受け、橋本容疑者を活動停止
- 2020年4月24日 橋本容疑者の逮捕報道。キッズラインの社名は伏せられる
- 2020年5月3日 AERA dot.が橋本容疑者の逮捕についてキッズラインの社名を出し報道。それを受けてキッズラインが再発防止のための対応は完了しているとするプレスリリースを発信
- 2020年5月中 Aさん宅でXによる複数回の被害、Aさんが被害届とキッズラインへの報告
- 2020年6月4日 キッズラインが男性シッターによる活動停止をプレスリリース。男性シッターや利用者にお知らせメール
再発防止策はなされていたのか
キッズラインのプラットフォーム上で起きた性被害を巡り、解き明かされていないことは多い(写真はイメージです)。
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キッズラインの登録シッターによる預かり中の性被害疑惑は、たまたま橋本容疑者とXの2人によるものが立て続けに起こったということだろうか。本当にこの2件だけだろうか。
子ども達に丁寧な聞き取りをしたら、被害は一体何件でてくるのか。一人の加害者が、はたして何件の被害をもたらしているのか。そして同様の加害者は、キッズラインのマッチングプラットフォームに何人紛れ込んでいたのか。
水面下に隠れている氷山がどのような大きさなのか。おそらく、キッズラインは自社でも分からなくなったのではないかというのが私の見立てだ。
前回記事では、キッズラインは「厳格な審査をしてきた」という主張をしているのに対し、審査を厳格にしているとしても、こうした事件があったこと、プラットフォーム上でこうした事件は完全には防ぎきれないことのリスク周知をすべきだという主張をした。
実際に審査が本当に「厳格」だったのかについては、次回記事で取り上げる。
しかし少なくとも、2019年11月にキッズライン側に橋本容疑者による被害が報告されてから、きちんと類似被害が疑われるケースがないかの調査や評価システムの検証、利用者へのリスク周知などがあれば、2020年5月のAさん宅での被害は防げていた可能性が高い。
Aさんは、Xに子どもの保育を頼んだ際に、かすかな違和感を覚えていた。
「ちょっと遊ぶのが上手じゃないなとか、コミュニケーション下手な人だなって思ったんですけど、男の先生だからと偏見を持ちたくないし、レビューは高評価だったので違和感を押し込めてしまったんです」
Xは1年以上活動をしており、評価は5だったという。
前回記事でも書いたが、キッズラインの評価システムは相互で、誰がどの評価をしたかが相手に分かってしまうので、お互いに低い評価を付けづらく大半のシッターに最高値の5がついている。
評価が高くても、疑ってみるべきだった。子どもの反応に、身体を触られるのを嫌がるなど今思えばおかしいところはあった。だからこそ、Aさんが憤っているのは、一度事件が起こったあとのキッズライン側の対応だ。
「せめて5月3日のリリースを利用者画面でお知らせしていてくれたら、もっと警戒できたし、先生(シッター)ともこんな事件があったんですねって会話をすることで被害を防げたかもしれないのに」(Aさん)
橋本容疑者の逮捕について利用者の認知は低く、それまでに評価システムが見直しされた様子もない。その間に被害は繰り返されてしまったことになる。
利用促進のメルマガが多数届く一方で、2019年11月の事件については男性シッターの停止が発表された後も含め、これまで1件もお知らせメールが届いていないという利用者もいる。
Aさん家族は当初、会社側が周知や評価システムについて改善さえしてくれればと考えていたが、キッズラインの経沢香保子社長はAさんが求めている謝罪や改善についての説明に応じていない。
男性シッター「活動停止」の背景
子育てインフラとして、ベビーシッターを頼る家庭は数多くある(写真はイメージです)
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キッズラインが、5月3日にサポート体制や安全対策の強化を完了した旨を発表しているにもかかわらず、6月4日に唐突に「男性サポーター活動停止」を発表した背景には、Aさんの件が報告され、これ以上、現状を放置するのはまずいとの判断があったのだろう。
であれば女性も含めて一旦全サービスを停止しても良かったのではないかと思うが、それによって困る家庭があるのは事実だ。社としては利益も顧客も逃してしまうし、確率論的に摘発されている性加害は99%が男性だからと、優良な男性も含めて一旦切り捨てるという決断をしたのだろう。
一方で、男性シッターの一斉活動停止が発表され、優良である男性サポーターたちは何の非もなく収入源を絶たれたことになる。キッズラインで実績を重ね、保育園を退職してフリーランスで生きていこうと決めた人だっていただろう。継続を前提に子どもたちと約束していた人もいただろう。
現在の日本では、残念ながら保育園で働く保育士は低処遇で、長時間労働になりがちだ。
それに対しプラットフォーマーとして、シッター側に働く選択肢を増やすことは、育児の手が足りない親たちや待機児童問題を解決したい国や自治体に解決策を提示すると共に、キッズラインが目指してきたことだったはずだ。
家事育児を女性のものだけにせず、男性による保育の利点をアピールすることにも社会的意義があった。
しかし今回、シェアリングエコノミーで働くリスクの高さや保育にかかわる男性への認識を逆流させるような判断をせざるをえなかったのには、相当な焦りと危機感があったのだろう。
もちろん、「子どもの安全」は何事にも代えがたく、危機感は持ってしかるべきだ。しかし、その危機を招いたのは、他でもない自社の姿勢なのではないか。
問われる「事件が起こった後の対応」
性別による確率論以上に信頼性のある自社の審査や評価が構築できていなかったこと、そして何より、一度起こってしまったことに対し、最初に被害が報告された2019年11月以降も他に被害者がいないか、適切な検証や周知を怠ってきたこと。そこに都合の悪いことを開示せず、できる限り事業を伸ばそうという姿勢はなかったか。
小児性犯罪が起こってしまうという社会的背景こそが問題であり、また悪いのは明らかに犯罪を犯すその者たちである。国として、逮捕歴のある小児性犯罪者が子ども領域で働くことを制限するなどの法整備が必要だし、初犯を社会においてどのように防ぐか議論はしていくべきだ。
現状で、事業者がリスクをゼロにするのは難しいかもしれない。しかし、だからこそ、それが一度起こった後の企業姿勢が問われる。キッズライン経沢社長は、これまで自社の安心材料をさまざまなメディアでアピールしてきた。こういうときこそ表に出てきて真摯な対応を取れば、信頼回復とともに社会問題の解決にも動けたのにと残念でならない。
(文・中野円佳)
中野円佳:1984年生まれ。東京大学教育学部を卒業後、日本経済新聞社等を経てフリージャーナリスト。立命館大学大学院先端総合学術研究科での修士論文をもとに2014年『「育休世代」のジレンマ』を出版。2015年東京大学大学院教育学研究科博士課程入学。厚生労働省「働き方の未来2035懇談会」、経済産業省「競争戦略としてのダイバーシティ経営(ダイバーシティ2.0)の在り方に関する検討会」「雇用関係によらない働き方に関する研究会」委員等を務める。2017年よりシンガポール在住。著書に『上司のいじりが許せない』『なぜ共働きも専業もしんどいのか』。2児の母。
※編集部より:被害者家族の証言に登場するXのプロフィールのアプリ上の扱いについては、他のユーザーに配慮し、表現を変更しました。2020年6月10日19:00