イラン軍「24時間以内に商店や道路を無人化」新型コロナ対策を決行…脆弱な医療インフラに大きな懸念

新型コロナウイルス 地図 WHO

世界保健機関(WHO)が公開している新型コロナウイルスの感染拡大状況マップ。イランの延べ感染者数は世界で3番目に多い(3月14日時点)。

Screenshot of World Health Organization website

世界保健機関(WHO)によると、3月15日0時現在、世界の新型コロナウイルスの感染者は累計で14万2649人、死亡者は5393人となっている(延べ人数、現時点での感染数ではない。また、各国当局の公式発表を集計したものゆえ、データ漏れも多いとみられる)。

国別にみると、感染者数のトップは中国で8万1021人、死亡者が3194人。続いてイタリアの1万7660人、死亡者は1268人。

3番目がイランで、感染者1万1364人、死亡者514人。続く韓国は感染者8086人、死亡者72人なので、感染者が1万人を突破しているのは中国、イタリア、イランの3カ国だけということになる。

ちなみに日本は感染者が716人で、死亡者が21人。現時点では世界で15番目の感染規模となっている(多数の感染者を出したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号は「国際輸送機関」とされ、日本の状況値には含まれていない)。

最高指導者から軍に直接命令

ハメネイ 最高指導者 イラン

ハメネイ最高指導者(左)と故ホメイニ最高指導者の肖像を背に演説するアフマディネジャド前大統領。最高指導者の求心力は絶大だ。

REUTERS/Morteza Nikoubazl

イランでは3月13日、ハメネイ最高指導者が新型コロナウイルスへの対策を軍に指示。それを受け、イラン軍のトップであるモハマド・バゲリ総参謀長は、「新たに設置した委員会が24時間以内に商店や道路を無人化させる措置を指揮し、今後10日間で全国民の状況を調査し、感染の疑いのある人を完全に特定する」と発表した。

全国民への外出禁止命令だ。感染拡大を抑える上で、きわめて高い効果が期待できるのは間違いない。

しかし、この措置は言い換えれば「10日間、全国民に対外活動を停止させる」ことであり、国民経済への打撃は計り知れない。また、極端に強制的な行動禁止は、自由の制限という人権的な問題にもかかわってくる。

副大統領や保健省次官など政府高官にまで感染が広がっているイランでは、当局の危機感が高まっており、きわめてドラスティックな決定に至ったのも緊迫した状況がそうさせたのだろう。

興味深いのは、この命令が政府(大統領)を飛ばして、最高指導者から直接、軍に下されたことだ。

ウイルス対策は内政の問題であり、本来はロウハニ大統領の管轄だ。しかし、今回は全国民を従わせる強制力が必要ということで、形式性の強い政府ではなく、真の実力組織である軍が前面に出て、責任を負うかたちになったとみられる。イランでは、軍の指示に逆らうのは不可能なので、外出禁止は徹底されるだろう。

「真の実力組織」イラン軍の制度は独特

kuroi_saudi_IRGC

イラン軍総参謀部の統制下にあるイスラム革命防衛隊(IRGC)の小型船。ホルムズ海峡でイギリス船籍のタンカーを拿捕した際の撮影。

Nazanin Tabatabaee/WANA (West Asia News Agency) via REUTERS

イランでは、かりそめの民主体制として、国民の直接選挙による大統領制が導入されている。

ただし、大統領選挙には事実上、ハメネイ最高指導者が認める人物しか立候補できない。当選して実施する政策も、ハメネイ最高指導者の考えの範囲内に限られる。ロウハニ大統領には政治の実権がない。

今回、新型ウイルスの流行という国家の一大危機にあたって、全国民に行動の制限を強制することを決断したため、ふだんは表向き隠されている権力機構が前面に出てきた、ということだ。

真の権力機構、つまり軍には、独特の制度がある。

トップは前出のバゲリ総参謀長で、その幕僚組織である「イラン・イスラム共和国軍総参謀部」が補佐にあたる。ただし、バゲリ総参謀長が自ら軍を指揮することはない。総参謀部の統制下には「イスラム革命防衛隊」「イラン・イスラム共和国国軍」「イラン・イスラム共和国法執行部隊(秩序部隊)」があり、それぞれに総司令官がいて各軍・部隊の指揮にあたる。

イスラム革命防衛隊はこれらの軍・部隊のなかで最上格に位置づけられ、イランで最も大きな軍事力をもつ集団だ。重武装の部隊に加え、「バシジ」と呼ばれる民兵組織を外局としてもつ。バシジはハメネイ体制を国内で護持する圧力団体のような存在で、民主派の弾圧などに投入される。

また、イラン・イスラム共和国国軍はその名のとおり国軍だ。対外防衛が任務で、国内の治安維持への投入は基本的に想定されていない。「アルテシ」と呼ばれ、英語では「Army」と訳されるが、「陸軍」ではなく「国軍」で、その下に陸海空軍および防空軍がある。

イラン・イスラム共和国法執行部隊は、警察の治安部隊にあたる。国家憲兵隊、民間警察、秘密警察、宗教警察などの武装警察を合わせた部隊で、イラン内務省に所属する。ただし、内務相は軍総参謀部の警察担当参謀次長を兼務しており、したがって法執行部隊は総参謀部の指揮を受ける。

強権的な外出禁止命令で、反政府運動が起きた場合は……

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国際原子力機関(IAEA)本部前に翻るイランの国旗。

REUTERS/Leonhard Foeger

このように、総参謀長とその補佐にあたる軍総参謀部には、すべての武装組織を統括する強大な権限が与えられている。

しかし、治安維持がきわめて困難な場合には、安全保障に関する最高意思決定機関「国家安全保障最高評議会」の決定により、治安維持の権限がイスラム革命防衛隊に付与される。

ただし、最高評議会の決定にはハメネイ最高指導者の承認が必要なので、実際には最高指導者の決定に従って、イスラム革命防衛隊の総司令官がすべての武装組織を指揮することになる。

今回の新型コロナウイルスの流行については、組織だった反政府運動のような局面ではないので、そこまでの事態にはならないはずだ。

国民に外出禁止を徹底させるための見回りなどは、警察・法執行部隊が担うことになるだろう。法執行部隊は予備役を招集すれば50万人近い動員が可能で、組織だった反政府運動でも起きないかぎり十分な規模だ。

さらに加えて、これほどの強制措置となれば、警察に加えて、数十万人の民兵組織バシジが補佐することになるだろう。

外出禁止命令でも解決できない問題

そこで問題となるのが、脆弱な医療インフラだ。

国民の健康調査はインターネットや電話、あるいは対面でということになっている。おそらくは調査を通じて、相当数の「健康が疑問視される国民」がリストアップされることになる。

けれども、そのリストをもとに検査を行って感染者を特定したり、軽症でない患者を治療したりする能力がない。患者の多くはそのまま自宅待機とされ、重篤の患者も相当数残される可能性が高い。また、無症状あるいは軽症の感染者は、簡単な問診では見過ごされる可能性もある。

要するに、全国民を対象とした外出禁止命令も、感染拡大の防止という意味ではかなりの効果をもたらすと思われるが、流行を終息させることができるかどうかはまったく不明ということだ。

なお、イランは3月12日、新型コロナウイルス対策の費用にあてるため、国際通貨基金(IMF)に50億ドル(約5500億円)の緊急支援を要請している。同国がIMFに融資を求めるのは、1962年以来のことだという。

イランの医療インフラがこれほどに脆弱なのは、核問題でアメリカから強力な制裁を受けていることが大きい。とはいえ、今回はアメリカの歩み寄りを受け入れ、問題を緩和する余地があったはずだ。

イランで新型コロナウイルスの問題が深刻化してきたころ、トランプ米大統領は「イランのウイルス封じ込めを支援する用意がある」と表明(2月29日)。米国務省はスイスを通じてその申し出を正式にイラン側に伝えている。

ところが、イランはこのアメリカの申し出を断った。

それ以前に、ポンぺオ米国務長官がイランの感染情報隠しを非難したため、イランは「感染が拡散しているなどということはなく、そうした話は我が国に恐怖をまん延させ、国の活動を壊滅させようとするアメリカの陰謀だ」と完全否定した経緯があったからだ。

イランでは当時国会選挙(2月21日)を控えており、それを優先させるために感染情報を隠蔽したとみられる。なお、選挙は立候補希望者の半数が事前に却下される徹底した穏健派はずしが行われ、過去最低の投票率で、ハメネイ最高指導者に近い反米強硬派が圧勝している。

イラン政府当局はその後のあまりに急速な感染拡大に驚愕し、強権的な封じ込めに大転換、というのが、冒頭の全国民を対象とする外出禁止命令に至った経緯だ。政府当局の不適切な態度が感染防止対策を遅らせ、感染拡大につながった面は大きい。

結果として軍が動くことになった以上、徹底した隔離が実行されるだろうが、上に書いたようにその過程では、脆弱な医療インフラのためにかなりの数の犠牲者が予想される。国際社会は支援を急ぐべきだろう。


黒井文太郎(くろい・ぶんたろう):福島県いわき市出身。横浜市立大学国際関係課程卒。『FRIDAY』編集者、フォトジャーナリスト、『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。取材・執筆テーマは安全保障、国際紛争、情報戦、イスラム・テロ、中東情勢、北朝鮮情勢、ロシア問題、中南米問題など。NY、モスクワ、カイロを拠点に紛争地取材多数。

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