思い出の父はいつも酔っているーー。漫画家・菊池真理子さんがアルコール依存症の父との暮らしを描いたノンフィクションエッセイ「酔うと化け物になる父がつらい」(秋田書店)が9月に単行本化された。コミックサイト「チャンピオンクロス」で連載を始めて以来、同じような家族がいる人から体験談や反響が次々と寄せられた。
「アルコール依存症」といっても、父は酔っても家族に暴力を振るうわけではないし、平日になれば、仕事で出かけて行った。でも、泥酔した父が何を起こすかわからない日々に、心を削られ、平穏な生活が乱された。「このくらいの酔っ払いでも自分が嫌な思いをしたら、それを辛いと言っていいんです」。菊池さんはそう話す。
●笑い話にされる酔っ払い、「自分の我慢が足りないんだ」
小さい頃からの記憶を思い返してみると、父はいつも酔っ払っていた。家ではお酒を飲まない人だったが、週末になると近所の集まりで酒を飲んで豹変。車を燃やしたり、話も一切通じないほど泥酔したり、誰も手のつけられない「化け物」のようになった。
一方で、自営業をしていた父は、普段寡黙でおとなしかった。近所からは何かと頼られる存在で、酔っ払うと人格が一変するのも「面白いね」と言われて愛されていた。
「自分が見ている父と外からみた父の姿がものすごく違っていたんです。しかも、本やテレビでは『酔っ払いエピソード』って武勇伝のように語られる。だから、笑い話にしていない自分の方がマイナーなんだ、我慢が足りないんだと思っていました」
中学2年の時には母が自殺。父と妹と3人暮らしになった。父には自分と妹を一人で育ててくれたという感謝の気持ち、そして自分が放って置いたら泥酔した父の世話を誰がやるのかという思いがあった。だから、父から逃げることもしなかった。
「中高生の時は自分の家庭が他と違うことも分からず、苦しいという自覚もなかった。『お酒さえ飲まなければ、(父のことが)好きだ』と思おうとしていた。今振り返ると、そうやって自分を騙して、いいところだけを見るようにしていたのかもしれません。いいところにしがみついていないとあまりに辛いから」
結局、父の泥酔が嫌だったと言えるようになったのは、この10数年の話だ。これまで妹にも一切言っていなかった気持ちだった。でも父のことを嫌いになりきれたわけでもない。2014年の春、父はガンの闘病の末に亡くなったが、葬式でも涙が止まらなかった。
「酔っ払った父のことが嫌だったと今は心の底から思うけど、他人のようには嫌いになれない。それだけ、親と子どもの結びつきは強いから難しい問題。自分の気持ちがこんな風に混沌としていたのは、家族間ならではだと思います。」
●父のことをアルコール依存症とは微塵も思わなかった
お酒がないと暴れ家族に暴力を振るう、酒が切れるとおかしくなるーー。菊池さんにとって、「アルコール依存症」のイメージはそういうものだった。一方で、父は平日朝には車で1時間かけて仕事に行っていたし、家で暴力をふるったこともほとんどなかった。だからこれまで自分の父のことを「アルコール依存症だったのかも」とは微塵も思ったことがなかった。
「この漫画を描いてから医療関係者の方と話すと、父も十分『アルコール依存症』の治療対象になると言われて驚きました。父は記憶を無くすまで飲んだり、家庭に影響が出ているのにお酒を飲むことがやめられなかったりしていましたが、私はただの『酒飲み』とだけ思っていたので。医療関係者は啓発をしていても、実際に身近にいる家族はそのおかしさに気づけない。断絶が深すぎるのかもしれないですね」
同時に、菊池さんは「日本はお酒の失敗に寛容すぎる」とも考えている。
「父は休日になると近所の人に『お昼に蕎麦食べよう』と誘われて、結局蕎麦も食べずに酒だけ飲んで泥酔して帰ってきていました。私が真剣に『飲ませないでください』と周りにお願いしても、笑いながら『水割り薄くするわね』と言われるだけ。真剣に取り合うどころか、『ピリピリ怒るのはやめてあげてね』と私が悪いように言われることもありました。
日本社会では、お酒で泥酔して大失敗しても咎められないし、飲みニケーション文化が強くある。泥酔することが格好悪いことだという風になってほしい」