(惜別)青木幹雄さん 元自民党参院議員会長・元官房長官=訂正・おわびあり
■B面から力振るった「ムラ」の長
6月11日死去(老衰) 89歳
愛飲のたばこをくゆらすように、あの日もテレビカメラの前ではけむに巻いていた。「私は何も話していませんから」
自民党総裁選で安倍晋三、石破茂両氏の対決が迫り、事務所前に報道陣が詰めかけていた2018年8月。奥からひっそりと2階に上がった私を見つけ、「まあ、お茶でも」と座談を始めると雄弁になった。
「にぎやかになってきたわね。参院は石破でまとめる。安倍独走じゃなくて、しっかりと議論を戦わせないと、来年の参院選で大敗する」
総裁選に先立ち、派閥会長は事務所を共にする竹下亘氏にすげ替えていた。「竹下は私と同じ考えだ」。国会議員の現職を退いて8年。なお、隠然たる力で政治を動かそうとしていた。
「城代家老」として支えた竹下登元首相の政治的資産を引き継ぎ、「参院のドン」へと駆け上がった。口癖は「みんな仲良く」。故郷・出雲を舞台にした「探訪保守」の取材で見えてきたのは、利益再配分を重視し、村落共同体的な「ムラ」の長をめざした姿だ。
出雲大社に近い自宅の地域で長年選出されていた町議は共産党。町議に出会うと、「同じ町内だから頼むけんな」と声をかけていた。
島根県の「竹島の日」制定では、地元で推進する県議たちに「あんまり摩擦を起こすなよ」と自制を促した。制定した結果は、警告通り、日韓関係が悪化。その後も、対立をあおるイデオロギー的な「保守」に傾斜する党のあり方には顔をしかめていた。安倍氏らの政治姿勢とは相いれなかったのだろう。
小渕恵三首相(当時)が緊急入院し、意識不明の状態になった00年。官房長官として病室に入った後、「万事よろしく頼む」と託されたと言って、首相臨時代理に就任し、内閣総辞職を決めた。
「国家的危機にあって、たじろくことなく、政治の混乱を見事に収めた」。小渕氏の次女・優子氏はお別れの会でたたえた。しかし、密室で早大雄弁会の後輩である森喜朗氏への移譲を主導した真相を本人はかたくなに語らなかった。民主的な手法とは縁遠かった。
最後に公に姿を現したのは昨年11月。早大卒業生の会で、岸田文雄首相に「信じる道をいけばよい」とだけ伝えたという。リーダー層が細っていく政界において、表題にはならずB面から異彩を放つ存在だった。(南彰)
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あおきみきお
<訂正して、おわびします>
▼14日付惜別面「青木幹雄さん」の記事で、小渕恵三元首相の「長女・優子氏」とあるのは「次女・優子氏」の誤りでした。
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