前方後方墳から埴輪 「東日本にはない」定説覆すか 栃木の侍塚古墳
栃木県大田原市にある前方後方墳の「侍塚(さむらいづか)古墳」で、筒状の埴輪(はにわ)「円筒埴輪」とみられる破片が複数出土した。調査している県によると、4世紀後半(古墳時代前期)につくられた前方後方墳から円筒埴輪が出土するのは、東日本では極めて珍しいという。
侍塚古墳は、2基の前方後方墳で国指定史跡。水戸藩主・徳川光圀が発掘調査を命じたことで知られ、「日本考古学発祥の地」とも言われる。県が2021年から発掘調査を進め、今回は2基のうち「下侍塚古墳」での調査で、埴輪の破片が見つかった。
円筒埴輪は、権力者が集まっていた近畿を中心に、古墳の墳丘に飾りとして置かれたものが多数出土している。だが、東日本にある前方後方墳から埴輪が出土した例は、福島県喜多方市の古墳での1例のみ。今回の出土で「東日本の古墳時代前期の前方後方墳に埴輪はない」という定説が覆りそうだ。
赤色に彩色された跡も
円筒埴輪は、動物や人をかたどった「形象埴輪」の前段階とされ、埴輪としては初期のもの。発掘を担当する県埋蔵文化財センターによると、今回見つかった破片は4点で、最大のものが横幅10センチメートル、縦幅4センチメートル。
筒状の本体につける帯状の飾り「突帯(とったい)」や、本体に三角形の穴をあけたと見られる「透かし孔」の縁が確認できたという。赤色に彩色され跡もみられるという。
1975年に一度、この古墳は発掘調査されている。大田原市と県埋蔵文化センターが今回、その際に見つかった土器片の一つを調べ直すと、円筒埴輪の一部だったことも分かった。
県埋蔵文化財センターの角田祥一さんは、「前方後方墳にも埴輪があったことが今回の調査で分かった。那須地区にも有力な権力者がいて、近畿との情報伝達や関係性の強さをうかがわせる。貴重な資料だ」と話している。
〈おことわり〉当初配信時に、見出しの「前方後方墳」を「前方後円墳」と誤りました。また「調査坑」の写真説明を「調査抗」と誤りました。見出し、写真説明ともに修正しました。