朝日新聞の当時の報道、おわびします 袴田巌さん無罪確定へ
ゼネラルエディター兼東京本社編集局長 春日芳晃
再審を経て、いったん死刑囚となった袴田巌さんの無罪が確定します。無実の人を死刑にしていたかもしれないことの重大性を改めて痛切に感じます。
袴田さんが逮捕された1966年当時、朝日新聞は犯人視して報道していました。逮捕当初は「葬儀にも参列 顔色も変えず」といった見出しで伝え、「自白」した際には「検察側の追及をふてぶてしい態度ではねつけてきていたが、ついに自供した」とも書いています。明らかに人権感覚を欠いていました。こうした報道が袴田さんやご家族を苦しめたことは慚愧(ざんき)に堪えません。袴田さん、ご家族、関係者のみなさまに心からおわびいたします。
事件報道は世の中の関心に応え、より安全な社会を作っていくために必要だと考えています。ただ、発生や逮捕の時点では情報が少なく、捜査当局の情報に偏りがちです。これまでにも捜査側の情報に依存して事実関係を誤り、人権を傷つけた苦い経験があります。
こうした反省に立ち、朝日新聞は80年代から事件報道の見直しを進めてきました。推定無罪の原則を念頭に、捜査当局の情報を断定的に報じない▽容疑者、弁護側の主張をできるだけ対等に報じる▽否認している場合は目立つよう伝えるなどと社内指針で取り決めています。
科学捜査が大きく進歩したとはいえ、供述頼みや見込み捜査による冤罪(えんざい)は今もありますし、今後も起こり得ます。捜査や司法をチェックする視点を忘れず、取材、報道を続けてまいります。
犯人視報道、捜査当局に偏った内容を掲載
袴田巌さん(88)が逮捕された事件について、当時のメディアでは、人権侵害につながるような内容が報道されていた。朝日新聞も、犯人視するような表現や、捜査当局側に偏った内容をたびたび掲載した。
初報は発生当日の1966年6月30日の夕刊。その後は地域面を中心に記事を掲載した。7月5日、「従業員寮の一室から血のついたパジャマ、作業衣などを発見」「持主Hさん(三〇)に出頭を求め、事情聴取した」と報じた。捜査幹部による「返り血ではなく、事件と直接結びつかないだろう」との談話を載せつつも「Hさん」の指に切り傷や擦り傷があり「(6月29日午後)十時半以後のアリバイが証明されない」とも記した。
初めて実名で触れたのは8月18日夕刊。同日朝、県警が任意同行を求めたことを「従業員の袴田取調べ」の見出しで報じた。「清水署に連行されてからも笑顔さえうかべていた」とも記した。当時は、刑事事件の被疑者らを呼び捨てで報じるのが一般的だった。
脇に添えた記事では、知人などによる人物評として「モッサリしたタイプで人とあまり口をきかない陰気な男だったが(中略)静岡県一のアマボクサーといわれた」「練習はサボる、生活はルーズ」などと書いた。
袴田さんは同日夜に逮捕された。翌19日の社会面では「追及すると黙りこくって係官をけむにまいていた」と書いた。地域面では、取調官に「私は取調べを受ける覚えはなにもない」と供述したことを、「うそぶいた」と表現。袴田さんが「自供」した翌日の9月7日には「やはり袴田は犯人だった」などと報じた。
「冤罪(えんざい)」との訴えを大きく取り上げるようになったのは、最高裁で判決が確定した後の翌81年ごろになってのことだ。弁護団による再審請求の動きや、支援者の支援活動などを報じた。
袴田さんの呼称については、判決確定後は「元被告」や「死刑囚」の肩書を使っていた。2014年3月、静岡地裁で再審開始決定と死刑の執行停止決定が出て釈放されたことを受け、釈放翌日の紙面から「袴田巌さん」と改めた。
袴田さんの姉・秀子さんの話
事件の発生から数年間の報道はひどかった。巌を犯人だと決めつけるかのようだった。文句を言ってもしょうがないから、新聞やテレビ、ラジオは一切、見聞きしなかった。
当時は、警察は正義の味方だ、警察が悪いことをするわけがない、とみんなが思っていた時代だ。報道に恨みも何もない。でも、いまの記者のみなさんも、ひどい報道だったと思っているのではないか。
最近は、(現在の報道に携わる)みなさんのおかげで、ちょっとはマシになった。直していくのは、今の記者である、みなさんの力だ。
記者になると、その世界につかってしまうのではないか。中に入って溶け込んでしまったら、おしまい。疑問に思うことには抵抗しないといけない。「上司がそう言うから」ではダメだと思う。
弁護団の小川秀世事務局長の話
逮捕後はもちろんのこと、逮捕前から袴田巌さんを犯人視するような報道があったのは問題だ。捜査機関のリークや記者会見による情報で、自分たちで十分な裏付けを取ることなく、決めつけの報道がなされていたのではないか。事実に様々な矛盾が出てきてもその姿勢は変わらなかったように思う。「疑わしきは被告人の利益に」を前提に片方の立場に立つのではなく、しっかりと調べて報道することを心がけてもらいたい。