たたえ合う候補、批判したがらないZ世代の美徳 20歳が見た総裁選

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小川尭洋
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 今月27日に事実上の「次の総理大臣」が決まる自民党の総裁選。夫婦別姓や増税など身近な社会課題が盛りだくさんだが、多くの若者にとっては遠く感じられているのではないか。どうしたら距離を縮められるのか。記者の私(33)はヒントを探るため、ある20歳の学生と総裁選の討論会を見ながら話を聞いた。

「これって本当に討論会?」

 学生は、慶応大学総合政策学部の白坂里彩さん(20)。高校時代、国政選挙について解説する手書きのポスターを校内にはり出し、教員から「政治的活動だから、はがすように」と、誤った指導を受けた経験の持ち主だ。討論会があったのは今月14日。東京都内の会見場の階下の待合室で一緒に中継映像を見た。開始早々、私と白坂さんは驚き、顔を見合わせた。候補者9人の「討論」とは名ばかりで、その体(てい)をなしていなかったのだ。白坂さんが漏らす。

 「これって本当に討論会なんですか……? 候補者同士の意見が対立せず、再質問もしないので、候補者間の違いが見えてきません。内輪感が強く、『痛いところを突かず、お互いボロを出さずに終わらせたい』ように見えます」

 白坂さんの同年代は、どう受け止めるのだろう。

 「私がこうやって討論会自体を批判することを良く思う人は少ないでしょうね。政治について何かを批判すると、私の身の回りでは『批判するのは幼稚だ』というように受け止める人が多いです。できるだけ既存の体制を肯定的に受け入れ、与えられたものから『最善』を目指すことが美徳だと、考える空気があるのです」

 これは、白坂さんが選挙の解説ポスター掲示を認めなかった高校の姿勢を批判した時もそうだったという。

 「最初のころは、私が『選挙…

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この記事を書いた人
小川尭洋
デジタル企画報道部
専門・関心分野
人種差別、海外ルーツの人々、歴史認識、政治と教育