第1回職員は標準中国語を口にした 香港を黙らせた謎の組織
香港の繁華街、銅鑼湾(コーズウェイベイ)。民主派による反政府デモの集合場所だったビクトリア公園を見下ろす高層ホテルに異変があったのは、昨年7月初旬のことだった。
反体制的な言動を取り締まる香港国家安全維持法が中国共産党の主導で施行されてから6月30日で1年。中国政府の出先機関による徹底的な弾圧で、民主派は次々と逮捕され、ほぼ壊滅状態となりました。今では反政府デモは消え、政権批判を続けた新聞は廃刊に追い込まれる事態になっています。「沈黙の街」に一変した香港の現在地を連載3回でお伝えします。
全面ガラス張りで2階まで見通せていたエントランスは、白いアクリル板で目隠しされた。青いシャツに黒いズボン姿の男たちや、カーキ色のつなぎに銃を腰に携えた「特務警察」が道行く人を鋭い目で見ている。ここに午前8時すぎから、マイクロバスや黒いミニバンで送迎される20代~50代ぐらいの男女が、無言で出勤するようになった。
ホテルは、中国への反体制的な言動を取り締まる香港国家安全維持法(国安法)が施行されてから1週間ほど後、中国政府の出先機関「国家安全維持公署」が一棟丸ごと借り上げて本部として使い始めた。
「彼らは、中国本土の公安省と、外国人スパイを摘発する国家安全省の2系統から派遣されている」。中国政府関係者と香港政界の有力者はそう話す。
公署の鄭雁雄署長は広東省スワトー市トップの書記時代に、党の末端組織の腐敗に反発した村民が自主選挙を行った「烏坎村事件」を、硬軟織り交ぜて収束させた「実績」がある人物。他の幹部4人は、公安と国家安全部門のエキスパートだ。このうちの一人、副署長の孫青野(別名・孫文清)氏は今年1月、米国務省に制裁対象に指定されている。香港メディアによると、孫氏は国家安全省から派遣され、かつて共産主義青年団(共青団)の機関紙「中国青年報」に在籍していたこともあり、日本で勤務したこともあるという。ただ、公署内部の実態はベールに包まれている。
〈国家安全維持公署〉昨年7月、香港に新設された中国政府の出先機関。 昨年6月30日に施行された国安法では公署の役割を、①香港における国家安全情報を分析・判断し、戦略や政策を出す②香港政府を監督・指導する、と定めている。「国家の安全」の名の下で、香港政府よりも上位に立つことが明確にされている。
6月、公署職員たちの動きを探った。
ある日の午後8時、約15人の職員を乗せたマイクロバスが公署本部を出た。銅鑼湾から東へ10分ほどのホテルで3人ほどが降りた後、バスは湾岸のバイパスで今度は西側に向かい、乾物街近くのホテルに到着。ここで全員が降りた。
関係者によると、この二つのホテルも中国政府が全棟を借り上げ、公署職員の宿舎にしていた。両ホテルの入り口付近では、やはり青シャツに黒ズボン姿の男たちが規制線をはって警備していた。公署本部を含む三つのホテルは、中国政府系の旅行会社や香港政府と関係の深い不動産大手が所有し、中国政府に便宜を図ったという。
この宿舎近くで、しばらく様子をうかがった。職員の出入りはほぼすべて送迎バスかミニバン。目立つのを避けるためか、職員が歩いて外出することはまれで、連れだって飲食に出かける姿はなかった。
ただ、ある夜、30代くらいの男性がスマホで誰かと連絡を取りながらホテルから出てきた。徒歩2分の中華料理店に入り、壁を背にした丸テーブルに座った。数分後、男性より少し若い2人が合流。さらに5分後、別の男性も加わり、4人でドイツブランドのビールで静かに乾杯をした。
完全に秘密主義を貫く公署の職員はいったいどんな人たちなのでしょうか。記者が、職員とみられる男性の会話などからその素性に迫ります。記事後半では、中国の中央政府が香港に容赦ない取り締まりを始めた背景も伝えています。
「来、来(さあ、さあ、食べ…